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ニュース23

Posted on 2016年8月24日 by 大前伶子 in ブログ

膳場さんを週末の番組に回してニュース23の視聴率が下がったって。

私はよく遅くなって観るニュースに今までの体制で落ち着てい良かったと感じていたのですが、

最近になってパリから帰国した「雨宮塔子」という元アナウンサーを持ってきた。

地味な番組だと思って安心しながら観られる唯一と評価が高かったのですよ。

先日そのつもりで観て「雨宮塔子」のしなびた姿に驚きました。

まだ、46歳?ほほはコケていて、貧相な姿に驚きました。

それと以前アナウンサーだったなんてどう見ても思えないたどたどしさ、

パリ帰りのスマートな女性を狙ったのでしょうがTBSもどうしょうもないです。

観ていても可哀想になるくらい、あれだったらいない方がマシだと感じました。

ネットを観ると彼女の老け方に驚きの声が満載、TBSもここまで彼女が貧相になっているって思わなかったのでしょうね。

パリ帰りはどうしても岸恵子さんを思ってしまうので、いくらパリに住んでいても

誰でもがあのような素敵な女性にはなれないのだなぁ。

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リオデジャネイロのオリンピックフィナーレを観て

Posted on 2016年8月22日 by 大前伶子 in ブログ

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熱狂的なオリンピックファンではないのですが、それでも今年リオのオリンピック、私にとって特別なものになりました。

母の状態が大変悪くなり医者から「今日か明日ですねぇ」と言われていた時期に開会式が行われました。

ほどんどテレビをみないか、またつけていても心ここになく、いつもドキドキしながら毎日を過ごしていた。

しかし、大前の番組でオリンピックの開会式は良かったというコメントがあったので、観ていれば良かったと。

先ほど閉会式をしていましたが、小池百合子さんが次の開催地に手渡される旗を受け取る儀式をしていました。

舛添前知事がなんとしてもこのイベントに参加したいとみっともないほど拘っていたのですから、

彼はどんな気持ちでいたのでしょうか?

小池知事の着物姿もあでやかで良かったし・・・この場面で舛添要一がテカテカしながら出てくる場面は想像したくない。

それにしても・・・リオのオリンピックが開催される数か月前にはマスコミで盛んに

まだ準備が出来ていないとか強盗団が爪を磨いて待っているとか、大統領が汚職で辞職しているとか、

負の報道ばかりでした。

今日フィナーレを観ていて、南米独特のラテン系明るさで、良くできていました。

さて、4年後の東京、リオを馬鹿にしていた論調からここまで素晴らしい演出が出来るプロデューサーが

いるのか?はなはだ疑問です。

よそ様のことをあまり言い募るマスコミも少し落ち着いて東京オリンピックを捉えてほしいと思います。

私は前にも書きましたが前回の東京オリンピックは丸紅で「花のOL」をしていたので、

そういう意味で今回のリオのオリンピックの最中に母を亡くした年としてずっと思い続けるでしょう。

 

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京都

Posted on 2016年8月22日 by 大前伶子 in ブログ

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京都亀岡という温泉渓山閣という旅館で「スーさんのセミナー」が開かれました。

スーさんのお嬢さんのNYでの結婚式に参加する予定が母の事でドタキャンしたので、今回は何としても

参加せねば・・・と行って参りました。

良くできたセミナーで、スタッフたちの努力は大変だったでしょう。

ただ、このところ旅館といえば「熱海のせかいえ」にばかり行っていたので、

今回の旅館の旧式!30年前の旅館にタイムスリップしてしまいました。

スーさんの配慮でベットではありましたが、かび臭かった。

ただ、ベットの脇に「当館の枕、ベットパットはエアー・ウイヴを使用しています」というカードが置いてあり、

その寝心地の良さに、早速私も買い求めたい!と気持ちが動きました。

ただ、以前「ホテレス」のパーティーでこの会社が主催されたことがあり、その時も気持ちが動いたのですが、

なにぶんにもお値段が高いので躊躇していました。

その折”ざぶとん”の引き出物を頂戴しパソコンの椅子に使わせていただいていますがいいですよ。

田舎宿失礼! ただ、昔風という意味です。

100名という団体のせいも値段というせいもあると思いますが、

当日の夜の食事に驚きました。

今時20年以上前の形式、温かいものは皆無、勿論卓上コンロのようなものに

肉2枚と屑野菜の温かいものはありましたが、それもおざなり、

フライは朝揚げたもの?と感じるカチカチに硬くなった(そっくり返った)もの、

グラタンらしきものも冷えているので味がゼロ、すべて朝作ったものを夜食べる、

駅で売っているお弁当の方が美味しいかも。

私は基本的に暖かい物が好きなので、お弁当はよほどでないと食べない。

すき焼き弁当も瞬間温める装置が付いているのが好きだ。

亀岡の温泉宿でしたが、何もかも冷え切った料理を出す、作る板前(もしかしたら板前はいないのかも)

は大昔から温泉宿しか知らないのかも。

私が生意気に「せかいえ」の料理に慣れてしまっているのです、反省。

ただ、この温泉宿にも中国の方たちが大勢泊まっていました。

彼らにこの料理が日本料理だと思われたらなんとも情けなくなります。

中国4000年の料理は素晴らしいですから。彼らは温かいものが料理として当たり前ですから、

お願いです、そっくりかえった朝揚げたフライなど出さないで欲しいです。

一人で京都を歩こうかなぁと考えていたのですが、昨日帰京して正解でした。

今日は台風で空の便も鉄道も大荒れですから。

新幹線京都駅の改札を入ったすぐ近くにあったラーメン屋に入って、

塩ラーメンを食べて”心底ほっと”しました。どれだけ温かいものが食べたかったか!

京都風の上品なラーメンスープでした。暖かい物は2日ぶりでした。

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耳鼻咽喉科へ

Posted on 2016年8月19日 by 大前伶子 in ブログ

これまでの事が落ち着いたら耳のトラブルを解決しようと決心していました。

私はもう10年ほど前から左耳の雑音と難聴で悩んでいました。

見舞いに訪れた大前に「母の事が片付いたら耳を本格的に治したいのよ」と申しましたら、

神田神保町に耳鼻科のいい先生がいるよ、と紹介してくれました。

今日アポをとり行ってきました。

難聴は治すのはむりだそうですが、耳垢をファイバースコープで吸い取ってくれるのです。

綿棒はだめです!と固く言われました。

綿棒も特に太いのは押し込んでいるだけでいけないそうです。

テレビの画面に私の耳の中がばっちり、すごくリアルに見えるのです。

何だか頭まですっきりしました。3か月に一度くらいこの治療をしに行くつもりです。

自分で耳かきなどもっての他だそうです。

聴こえがよくなったみたいですっきりしました。

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現代の宗教

Posted on 2016年8月18日 by 大前伶子 in ブログ

母は昔からキリスト教でした。

というのは私たちのおばぁちゃまが明治生まれにしてはハイカラな人で、4人の子供たちを

当時から横浜の教会に子供たちを行かせていた。

叔母たちもオルガンニストとして教会で奉仕をしていたのを私が小さい時当たり前に見ていました。

従妹たちも女の子は全員ミッションスクール出身なのも祖母の影響か。

もっとも横浜はメジャアな学校はほとんどミッションスクールだったのですが。

我が家も当時からクリスマスをしていました。教会の方たちが家にキャロルで回って来てくれる。

母は甘酒やお汁粉を作ってクリスマス・キャロルを家の前で歌ってもらうのを楽しみにしていた。

そんな我が家でしたが、父はまったく興味なし、ただ、拒否もしない、自由人だったので、

力の関係か、母の育て方で我が家の子供たちは育った。

 

 今回母が通っていた(まだ元気なころ、2年くらい前まで)日本基督教団 六角橋教会は近所ではあるのですが、

私は初めて行きました。

加山真路牧師と初めてお会いして、母の葬儀の打ち合わせをしました。

とても今風で、こちらのお願いを全部聞き入れてくださいました。

押しつけがましい宗教色が強い牧師が多い中、加山先生はとても自由で素晴らしい。

母の事を話すのに大前は「テーラーメードの葬式で本当によかった!」と感心していました。

母の生前をよく理解し、小さなエピソードを心温まる言葉で語ってくれて、何度も涙しました。

結婚式や葬式に牧師さんが人となりを如何に話せるかが、これからの宗教の要かも。

佐藤栄一伝道師も人間的な暖かさで私の行っている銀座教会にはない雰囲気がありました。

銀座教会も最近日曜日に行かれないことが多いですが、

大きな教会はどうしてもなじむまで日時が掛かります。

これからは母のように自分の葬儀を「こうしてほしい」としっかり書いておく、残る子供たちに言い置いて死ぬ。

家族葬だったので、20人ほどの小さな葬儀でしたが、心温まるいい葬儀だった。

それもこれも家族仲良く母の言いつけを守ったからだと、今ほっとしているところです。

写真のパスポート母使っていたもの、まだ少し期限が切れていなかったので、

お棺にいれました。あの世に行くときもしかして必要かもしれないて、妹と相談して。

IMGP5560

 

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かりゆし

Posted on 2016年8月17日 by 大前伶子 in ブログ

IMGP5548

先日テレビを観ていたら、バイオリンニストの葉加瀬太郎さんが着ていた沖縄のかりゆし素敵でした。

早速調べたら売っている店を見つけました。

音楽好きの研一と小原孝さんにどうかなぁと思い、オーダーをしました。

音符とト音記号のプリントが可愛い!、可愛いという年代ではありませんが、研一も気に入ってテレビの

収録に着て出ていました。

いつもはパソコンで彼の番組を観るのですが、当日は横浜の家にいたので大画面見ることが出来ました。

彼はかりゆしが好きみたい。小池百合子さんが環境大臣になった時クールビスとやらで国会内も

大流行していましたが、その後どうなったのでしょうか?

築地移転に関しては昨日のニュースに出てくる東京都の職員の不自然さ、「これは何かある!」と感じさせる

対応でした。

百合子よ頑張れ、築地が移転した後の土地利用合戦はもうとっくに決まっているのですよぉ。

何としても江東区に移転しなくてはならない事情が・・・江東区の事情、税収も・・・

矢田中央区長さんがんばってよ、一生懸命応援したのだから。

>>

すべて終わって40日ぶりに自宅に帰ってきました

Posted on 2016年8月16日 by 大前伶子 in ブログ

8月8日に母が老衰でなくなり、大前が「すぐブログに書くなよ」と申し付けられていましたが、

BBTの番組で彼が公表したので、私のブログも解禁です。

マンションって部屋を開けないとすごく湿気るのですね。クローゼットに”水とりぞうさん”を15個くらい入れてあったのが

満杯になっていました。

大急ぎで3台あるエアー・コンをフルに動かし、換気をしています。

母も幸せな人生を送ったのだなぁ、98歳まで自宅で死にたいと申しておりましたが、それも叶えられ、

葬儀も家族だけでと、それも叶え、好きな讃美歌と聖句で元気なころ行っていた六角橋教会で送られました。

思い通りの人生に幕を閉じる人ってそういないのでは?

私たちはある意味満足した母の野辺送りでした。

これからは今までセーブしていた私の人生弾けよう!!

人間の一生は楽しまなくちゃ、長いようで短いのですから。いくら生きても100歳は中々かなわないのです。

はかない人生をいかに素敵にいきるかですからね。IMGP5577

 

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1時間余り八丁堀に帰ってきました

Posted on 2016年8月6日 by 大前伶子 in ブログ

今日も研一が来て弟妹で3人で母を見守りました。

何時その時が来ても不思議ではありませんが、今の時代エアコンも長寿に味方になつているのですね。

この季節部屋の温度調整がしてあるので、病人にとっても看護する者にとつても有り難い事です。

一時代前の事を考えるといまの世の中感謝です。

この体制も1人ではとても出来きらない、妹弟が居てこその体制です。

こんなに身内が居るのが有り難いと感じたことはありません。親が死んでも兄弟仲良く暮らしてね、と

母がまだ幾らか元気な時に、言い残していました。

母の姉妹の所は、親が亡くなつたら即遺産争いになつて、見るも無残な状態ですから。

我が家はみんなで仲良く暮らす事を母に誓いました。

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実家滞在も1ヶ月ーになりました

Posted on 2016年8月5日 by 大前伶子 in ブログ

iPadでブログを書いていますが、写真を入れる道具を忘れてきた。

もつとも写真を入れる、写す機会が殆ど無い今日、毎日のように銀座のデパートを覗いていた生活は夢のまた夢です。

今日も研一が私達二人にお疲れ様と言う意味で?すし富のお寿司を差し入れと云つてお昼に持つてきてくれました。

こうして3人弟妹が揃つて母の寝ている姿を見ているつて、幸せだなあ〜

それにしても丈夫だつた母故か、4週間水だけで生きています。

医者も今晩かもと、、、とここ3週間外れぱなしで、ここまで生きる力がある人は会つたこと無い、つて。

家族全員のスケジュールが立てられない状態です。

母の引き出しに彼女が書いていた日記があり、まあ読んでいると幸せな人生だったのだなぁ~~~

之を基に私が母を送った気持ちを書いてみたい。

家で看取るという事も、一言では言えない大変さと充実感を文章にしたいです。

ドラマよりドラマがありました。

>>

九重親方の想い出

Posted on 2016年8月2日 by 大前伶子 in ブログ

IMGP5634今、白楽に滞在中なので写真が載せられないのが残念!

まだ、九重親方が現役で、関脇のころでした。

体も小型でよく怪我をしていた彼を、応援していた四日市の病院の院長が、後援会に誘つてくださいました。

相撲の後援会なんて、知らない世界。

名ばかりの後援者でしたが、その先生は名古屋場所に招待して下さり、豪華に桟敷き席で応援をしたものです。

先生に、千代の富士さんに何を贈つたのですか?

と聞いたら「牛半頭」と軽く言われて驚きました。

その後千代の富士が優勝する度に、ニユーオータニでの記念パーティー、その後忘れられない

結婚式、プライベートの飲み会等数知れずご一緒しました。

或る日の事、銀座でお寿司を食べて、銀座のクラブに行って綺麗どころに何人も取り囲まれて遊びました。

千代の富士さんの付き人も含めて7~8人、ジャツクダニエルの空瓶が林立する豪快な呑み方でした。

当時私は今滞在している白楽に住んでいて、大雪になり、タクシーで送つてくださつたのが、

他でも無い千代の富士さんでした。

優勝祝賀会も当日までわからないのですが、優勝旗のセレモニーの最中に電話があり、急ぎニユーオータニへ

駆けつけるのです。

千代の富士の親方北の富士のさんも良くご一緒させて頂きました。

北の富士さんのハンサム振りも相当で、彼らと呑んでいると目立つこと。

62歳で亡くなられた九重親方の訃報に接して、あの時代の想い出が豪快だつただけに、

早すぎる死心よりお悔やみ申し上げます。

家に帰ってこのブログに当時の写真載せましょう。

昨日写真がでてきました。千代の富士さんも若かったけど私も若!

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