1932年のお生まれだそうで1941年生まれの私と9歳違いだったのね。私は殊の外岸恵子さんと草笛光子さんとはずっと応援というか気になる女優さんでした。両方とも横浜ご出身で今でも中学で1番の成績でないと平沼高校に入れないと言われている秀才学校ご出身でした。
県立では平沼高校と翠嵐高校が双璧でしたが、お二人とも平沼高校をご卒業されていました。母はこの学校に入れない成績だったと見えて、常にあの学校は中学でも1~2番の人しか受けられのよ、と申しておりました。
岸恵子さんは私が女学生だったころ、白楽の駅前を「松竹」と名前入り”外車”が彼女の家までお迎えに来ていて、狭い道路いっぱいに大きな車が助走しているのを何度も見ました。あの頃から細いお体でしたからやたら外車が大きく見えました。
映画もヒットし名女優として華やかな時にフランス人と結婚しフランスへ行ってしまわれました。一人お嬢さんがいますが、彼女は日本に帰らず外国で暮らしていると伺いました。
岸恵子さんというとその後日本に帰国され、ご実家のある白楽に住んでいらっしゃると聞いていましたが、私は母を看護している時数年白楽に頻繁に泊まっていましたので、東横線白楽駅から六角橋に続くマーケットで何度もお会いしました。
彼女は小説のような自伝のような本を出されて、当時年下の男性と白楽にいらしたみたい。何故?知ってるのか?実際に小説のようなお二人でしたから。お二人にはよくマーケットでお会いしました。
いいな、いいな!の雰囲気でしたが、その私小説によると東日本大震災の時彼は家に帰ってしまって終わりになってしまった、という小説を読んだ記憶があります。
岸恵子さんにしても草笛光子さんにしても何とも言えないオーラがありました。草笛光子さんは指揮者の芥川也寸志さんがお相手でしたから。
岸恵子さんはマーケットを歩いているだけでこちらはぼーーーと立ち尽くす、なんだかわからないけどオーラがありました。
ああいう”何か”を持っている女優が少なくなりました。出てきては消えていくかテレビでお笑いにでてしまうとか、一本芯が有るような女優も男優も少なくなりました。
私も妹も田村正和が好きでしたが、母に言わせると”なんであんなへなちょこが良いの?判らないと言われたものですが、女優も男優も流行りがあるのでしょう。昨今、二枚目を演じているのはとても私の趣味ではないです。
岸恵子さんのご冥福をお祈りいたします。











