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同時多発爆破事故から25周年の日

Posted on 2026年9月11日 by 大前伶子 in ブログ

WTCワールドトレイディングセンターに2機の飛行機が飛び込んだ事故からもう25年が過ぎたのですね。
あの報を聞いて娘がエアーラインに入社して間もないころで、今のようにラインや電話が通じないので彼女と連絡を取ろうにも通じなかったので半日以上私は部屋の中をうろうろ、何にも手がつかず心臓はドキドキ、やっと娘から電話でテキサスに来ていて、フライトが全部ストップしたので待つしかない、と生の声を聞いて部屋に座り込んでしまったのを今でもしっかり覚えています。90階建てのビルが2本同時多発と言われる大事件、じっとしていられなくて私は事故後数日であえて誰も乗らなくなった飛行機でNYに行きました。ビジネススクラスに5人、エコノミーに3列位乗ってたかな、後ろは電気も消えていました。かなり不気味なフライトでニユーアーク空港へ。
「FRIX]という映画雑誌にその時のことを書いたエッセイが残っているので、そのまま書いてみます。

NEW YORK STYLE 8回 同時多発テロ後のニューヨークを訪れて感じたこと
悲しみに包まれたニユーヨーク

ニユーヨークとワシントンであの痛ましいテロが有ったのち、私は10日目にニユーヨークを訪れた。未だ事件が生々しく、何と悲しいできごとだったことか。今までこんなに元気のない街の様子に出会ったことがない。ここ10年、景気回復と共にニューヨークの街はきれいになり、名物のホームレスもいなくなった。街はわが世の春を欧歌していたし、たびたび映画の舞台として登場し、私たちを楽しませてくれた。
私がニユーヨークに住んでいた1968年、あのワールド・トレイディングセンターは建設中だった。日系の設計者ということも有り、日本人クラブからの見学会が開催され、足元が危ないと注意を受けながら見て回った事を思い出した。その後、年に数回ニユーヨークを訪ねている間にいつの間にかビルはツインになったが、当時は何の変哲もない、つまらないマッチ箱のようなビルだと実はあまり評価していなかった。
クライスラービルやエンパイヤービルは、アールデコの美しい姿で私たちを楽しませてくれていたが、今回の爆破で初めてマンハッタンの重要な景観が、このワールド・トレイディングセンターだったことを認識した。というのも、今回空港に到着してマンハッタンのアパートに向かうタクシーの中から一生懸命あのビルを捜している自分に驚いた。なんということだ!街の様子がテレビや新聞で見聞きするのとは違い、心の底から悲しく、涙がとめどなく溢れてくるのを止めることができなかった。
慣れ親しんだニューヨークの景色は、心にぽっかりと穴があくという言葉でも足りない、いきなり頭を殴られたような感じで、しばし呆然としてしまった。タクシーの運転手も私の泣いている姿をバック・ミラーで見て、じっとこらえているのが感じられ、事件の日、いかにマンハッタンの交通がマヒしたかを話し出した。マンハッタンの南端に位置するこのビルは3つの空港から必ずみえるし、また目標にもなっていた。目標を失ったマンハッタン島は物悲しく沈んでいた。

犠牲者を追悼する集会に出席
到着した翌日ヤンーキースタジアムで”PLAYER FOR AMERICA”という集会があり、どうしても参加したいと思っていた。集会に関してインターネットでで調べていたので、チケットをニューヨークに住む、友人に頼んでいた。友人と共にブロンクスの消防署に受け取りに行き、その足でヤンキー・スタジアムに向かった。手に手に星条旗を持つ人々が、ものすごい警戒の中スタジアムに入った。どういうわけか日本人の姿はまったく見かけなかった。日本のマスコミだけが私を取り囲む。5,6社のインタビューを受けたが、余りにもピント外れの質問に、我を忘れて怒ってしまった。領事館はまだ死亡が確認されていないからと、この集会の「手配をしなかった」というではないか。集会は事件後12日目。それでも生存を夢見てるという常識外れに、いくら希望的観測を持ちたいとしても、あの惨状を確認しながら、遺族に伝えられない日本の役所的な行動は理解に苦しむ。集会は各宗教の司祭がそれぞれの言葉で祈りを捧げ、5000人とも6000人ともいわれている犠牲者になった方々の冥福を祈った。
ドミンゴが「アべ・マリア」をリー・グリーンウッドが「GOD BLESS AMERICA]を熱唱したが、涙がとめどなく溢れた。勿論ジュリアー二市長、クリントン元大統領夫妻。タパキ州知事たちが参加していた。目の前にいたクリントン元大統領は群を抜いて素敵だった。この集会は当初セントラル・パークで予定されていたが、警備の都合でヤンキー・スタジアムに変更になった。私は皮肉にも野球では1度も行ったことがなかったが、このイベントに参加でき、このスタジアムは生涯忘れられない場所になった。
それから2週間マンハッタンに滞在し、取材を重ねるうちに、亡くなった方々のドラマが胸にせまり、何度街角で涙したことか。いつもならニユーヨークに滞在していると、友人がスケジュールをいっぱいにしてくれるのが楽しみだったが、今回はマンハッタンに来ていることすら伝えられず、夜になると大好きな日本食屋「東京レストラン」のカウンターで一人で食事していた。ここのオーナー小平さんは昔から親しいので、私が昼間泣いた顔していってもわかってくれる。彼の所には今回事件に遭って脱出した人も来ていて、壮絶な体験談を聞かせてもらった。

瓦礫の中から15日目に助け出された1羽の”鳩!

頭がガンガンするほど泣いてしまう毎晩だった。80階からの脱出劇の感動と共に、消防士が人々を助けに階段を駆け上がっていく姿がいまだに頭に残っていると話してくれた。あの時の消防士は間違いなく亡くなったそうだ。消防士今度の事故でヒーローになっていたが、いくら職業とはいえ、あんな恐ろしいところへ行った彼らには、感謝してもしつくせないほどだ。
メトロポリタン・オペラのソプラノの歌手の友人は,早速、消防士の遺児たちのために学費を将来にわたって集めると頑張っていた。一晩で2億3千ドル集めたと自慢していたら、ニューヨーク・フィルハーモニーのメンバーの一人は2億ドルだ、と競っていた。どんなに有名なオペラ歌手でも出演料は勿論のこと、自分たちでも5000ドル、1万ドルを寄付するのだから頭が下がる。悲しい事件だったが、多民族国家のアメリカで今回いくつもの感動する場面に出会った。ニユーヨークの人々に素晴らしい物を数限りなく見せてもらい、胸が熱くなった。喪失した事務所の面積は東京ドームの78個分だそうだ。献血する人々は長い列を作り、ドラッグストアのデアン・リードはろうそくを山のように提供していた。
またレストランが行方不明の写真をもって,探している家族に「サンドイッチ」を提供していたし、近郊の医者は白衣を着たまま、バスでマンハッタンに駆けつけていた。彼らは必ず今まで以上にニューヨークが発展することを固く信じている。
”GOD BLESS AMERICA”のCDを買いに行ったら、有名歌手の物が特別コーナーにあり、このCDを買うと自動的に1ドルが寄付される。思わず10枚まとめ買いしてしまった・
102階から奇跡的に助かった消防士はニユーヨーク株式市場が再開された時ゴングを叩いた人だ。
彼は「ミラクルの人と紹介されたが、ミラクルがあるなら、亡くなった人全部に有って欲しかった」
と挨拶した。それ以降一切マスコミに登場しなくなった。350人程の消防士が亡くなったが、どの消防署にも殉職者を悼む気持ちが自然に溢れていた。
消防士はとても人気がある職業で、毎年消防士のカレンダーが飛ぶように売れるとのことだ。親子で消防士という人は街の名士だと古くから住んでいる人に聞いた。犠牲になった消防士の勇気を讃える陰で、目の前で仲間が死んでいったのが、生き残った人を苦しめていることも事実だ。
写真と花ろうそくが街にあふれていて、この惨劇から立ち直るにはまだ時間がかかるだろう。

宗教や貧困が世の中を複雑にし、地球を壊していくという悪循環に陥ってしまった。人種差別や宗教の違いで線引きすることを続けていたら問題は永遠に解決できないだろう。「標的」ではなく「同志」にならなくては、多民族で構成されたアメリカがテロや戦争から抜け出ることはあり得ない。
武器で制圧すると、人々は宗教に逃避し、正常な人間ではやらない狂信的なことをしてしまうのだ。テロは根絶しなければいけないと、ニユーヨークの惨劇を目の当たりにして痛切に思った。

GOD BLESS AMERICAという歌がベトナム戦争を描いた「ディア・ハンター」のラストシーンで流れたのを思い出す。戦死した友人を偲んで故人ゆかりのバーに集まり男たちが、誰からともなく無伴奏で歌いだすのだ。
あの瓦礫の中から15日目に濡れ鼠になった”鳩”が一羽生きて出てきた。救出隊員たちはひと時救いであっただろう。鳩に餌をあげ「ホープ」という名前を付けて空高く飛ばしたという話は新たな希望と喜びを感じさせる。がんばれ!!私の大好きなニューヨーク。

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トランプ大統領の思うグレートアゲインとは?

Posted on 2026年9月10日 by 大前伶子 in ブログ

中間選挙が近づいてきました。わが日本の政治より日本のメディアはアメリカのトランプの行く末を興味を持って特集しています。今までの大統領選より何を置いてもアメリカの中間選挙を時間を取って報道しています。
それだけトランプ大統領の行動が気になるのね。グレート・アゲインで自分が選ばれなかったら,その後のトランプ大統領の運命は奈落が待っていますから。

テキサスの上院議員選挙でジェームスー・タラリコという民主党の候補とケン・パクストン共和党の一騎打ちだそうですが、ヒスパニック系だとか・・・いいじゃないですか、トランプ大統領だって移民してきて定住して大きな顔しているのだから。でも・・・あそこまで圧顔で君臨するっていくらグレート・アゲインでもやり過ぎよね。
でも、応援している人達の振舞はトランプが救世主だと思っているのよ、自分の事しか頭にないトランプはイランへの攻撃もやめないし、何がグレート何だか知らないけどアメリカ第一だとグレート、グレートのオンパレード。アメリカ国民にお金を上げる政策まで出してきて、いよいよ追い込まれているのだな、私みたいに素人にもわかるほど支持率が下がると慌てて国民全員に5000ドル配るって、どこか聞いたことある政策だったような?
5000ドルって大きなお金です。日本円で780,000万円です。どうやって細部まで行きわたるのでしょうか。住所だって家賃が高すぎるからアパートもシェアしている人が多いでしょうし、やはり行きわたらないのが現状だと思います。最近側近のキレイどころが良く出てきますが、何でもアリのトランプ大統領です。あと二年の任期全うできるかに掛かっています。

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福岡へ行ってきました

Posted on 2026年9月9日 by 大前伶子 in ブログ

NYの「東京レストラン」でバーメイドをしていた「ゆきちゃん」が帰国後住んでいる福岡県小倉へお見舞いがてら久しぶりなのでお会いしてきました。
懐かしいNYの「東京レストラン」の話に華が咲き、彼女は頭がいいのでいろんなお客様の事覚えていてしばしNYがよみがえりました。
この春東京レストランの店主古平哲男さんが東京にいらしたので、お会いしましたが、やはりNYでの東京レストランは外すことができない思い出の場所でした。
今行っても東京レストランがないので、何処へ行ったらいいものか、あの場所は特別な場所でした。
私も長いこと通いましたが、NYに着いたら先ず「東京レストラン」に駆け込んだものです。
名物店主の古平哲ちゃんに会う、カウンターにはいつも同じ顔の人が仕事終わりに一杯飲みに来ていて、毎度同じ顔ですが、何となく安心してしまうお店でした。
そこのバーメイドとしてベテランのゆきちゃんが客の相手をしてくれていました。
ゆきちゃんが日本に帰ってきて故郷の小倉に住んでいるとのことで、私の故郷近辺(若松)なので会いに行きました。
小倉というと私が幼少の頃住んでいた若松のお隣何だから懐かしい響きです。母が私たち小学生の頃どうしても横浜に行くと父を説得して横浜に移り住んだのですが、あのまま若松に居たら私の人生どうだったのだろう?と想像しました。
博多に2泊しましたが、博多駅前の阪急デパートは東京でも感じないスマートさで、昔銀座にも阪急デパートは有りましたが、想像できないくらい洗練された素敵な雰囲気のあるデパートでした。
勿論私は福岡というと故郷を感じるので、ひいき目に見ているかもしれない、博多弁が心地良い気持ちで帰京しました。

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線状降水帯

Posted on 2026年9月7日 by 大前伶子 in ブログ

最近の天気予報で良く聞く言葉ですが、統計によると日本は地勢的ににも天気予報を当てるのが難しいところらしい。この予報が出ても3回に一回は見逃すと天気予報の人が言っていました。
随分前ですがNYの天気予報はずっと確率が良かったのでは?
というのはNYに住んでいる時、朝カンカン照りで今日の外出は絶対に傘は要らないと自信をもって外出して、周りの歩いている人の三分の一は傘を持っている。
あら、こんな晴れているのに傘を持って居るって置き傘にするのだろう、と軽く見ていると必ずと言っていいほど夕方から雨。甘く見ていた天気予報が当たるのです。
昔日本では下駄を投げて裏返ったら夕方から雨が降る、なんて冗談のように言っていましたが、今はアメダスとかの働きで可なりの確率で当たっています。
ただ、このところの大雨は車や家まで浸水する大雨が降ってきて、本当に地球温暖化が納得だな。
私はこれから生きている日数の方が少ないので甘く考えて生活していますが、若い人はこれから恐ろしい地球になってくるような。知りたくない。

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出生地主義の大統領令

Posted on 2026年9月3日 by 大前伶子 in ブログ

ここで今トランプ大統領が命令を出している「出産ツールズム」を標的にしている大統領令が物議を呼んでいますが、あなたの最後の息子さんは調子よくご自分の範囲内で出産されたのかしら?がつく国の出身ではなかったでしょうか?本妻になってしまったから大きな顔していられるのかもですが、???がついても大統領のお子様だからねぇ。
前にも書きましたが私が泊まったホテルのロビーで見かけた出産のためだけにアメリカに入国していたインド人としっかりお話しました。「この子(生まれて数日)のおかげで私たちはアメリカに住むチャンスが来たのよ!」胸を張って言っていましたが、大統領令ではこれは出生地主義は反故にすると言い張っている。これは元をたどれば南北戦争までさかのぼり当時奴隷の子供も市民権を保護するものだったらしい。トランプ大統領はそんなこと歴史なんてばからしいと思う御仁だから、ご自分の3番目の奥様の子供はちゃっかり大統領の息子として認めてNY大学に行けるのです。
外交官や外国政府関係はOKだとか、全く彼の発言は支離滅裂で何でもありの御仁だから。
でも、駐在員の子供で2重国籍の人にも言えることですが、2重国籍で痛い目に遭った我が家は身に染みてこの法律に立ち向かった方がいいですよ・・・とご忠告申し上げます。

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