1996年6月13日版の日刊スポーツ誌に写真の記事が載りました。
今から25年前です。この記事をみて、私の葬儀の際は「こうしてほしい」というのを書いていたのです。
祭壇に飾る写真もその時決めていたみたい、すっかり忘れていましたが、その時決めた写真をこれから先
使ったら(勿論これから何日、何年先だかわかりませんが)余りに若い時の写真なので、
詐欺だと言われそう。厚かましすぎる若い時本物のカメラマンに撮ってもらったものです。
今じゃ恥ずかしくてとてもお見せできる代物では有りませんが、日刊スポーツの記事を読んで、
まともに写真を決め、教会も(これはまだ銀座教会に転回する前なので、捜真教会)
25年経つと書いてある遺書まがいの便せんに友人代表を数人書いてありましたが、何と全員この世の人で
は有りませんでした。
こんなもの早く書いてもダメね。私は片付け大好きで毎年衣替えする時思うのです。
来年この夏服着ることがあるかなぁ?とかダウンコートをしまう時も来年の事を考えながらしまうのです。
だからしまう夏、冬ものもそれぞれケースに「伶子夏物」「伶子冬物」と書いて外からわかるようにしています。
そうそう、この時書いたものの中に変わらないことが一つありました。
分骨を頼んでいる文面があり、これは変わらないかなぁ?だけど香港のスターフェリーからというのは
今は無理ですよね。NYのブルックリンブリッジは何とかなるかなぁ、早くコロナ騒動が終結してくれないと
遺書もお願いも出来ないわ。
この新聞記事もセピア色になってしまっています。