数日前にニュースで”携帯メールを打ちながら歩いていて、踏切に気づかずひかれて亡くなった”というのがありました。よく駅のホームから転落とか・・・その他もろもろ。私はこのニュースを聞いて「あぁそ~~お、私だって八丁堀駅界隈で何度も自転車にぶつかってきた人がいるのだから、そういう人がいても同情はしないわ」と思ったものです。ニュージャージーもこの手の事故が多く、ついに罰金75ドルを科すって聞きましたが、そのくらいすればいいのですよ。中国の人も携帯メール大好き、私は招かれたディナーの席で全員が携帯に目を落としていた時がありました。実に感じ悪い。携帯中毒の感ありです。私は自転車に乗っている時向こうから携帯メールしながら歩いてくる人には決まってベルを鳴らします。たいていはっとしてこちらを見ますが、その際の怖い顔、「なんだよぉ」という顔します。今では一時ほど携帯電話をしながら走っている車も余り取り締まっていないように感じます。もっと、もっと取り締まりを強化してもらいたいものです。携帯しながら歩いていて、私が自転車でぶつかったら交通法によると絶対に私が悪いとなるのですよ。携帯しながら歩く姿どうにかなりませんかねぇ。
京都から着物届きました
渋い大島紬からこの写真のように派手な打掛まで・・・デザイナーの下鳥裕子さんと大いに語り合いました。私はこの色を着る気で買って来ましたが、人は何と言おうと好きなものは好きなのです。ショッキングピンクもさることながら蝶々も大好き。ワンピースだといかにもド付漫才の相方みたいですが、黒の絹を配してと考えています。どんどん夢が膨らみますが、それにしても凄い色です。これは打掛なのですが、どんな人を想像して織ったのでしょうか?また、出来上がったら公開しまーーす。
京都・大阪へ
11月18日、19日20日は神戸そごうさんでリ・ライフ・NYの展示会が決まりました。その打ち合わせをコロネットの安本雅美さんと大阪のビーズ界の女王こと中井恵子さんと梅沢知代さんの4人で盛り上がりました。ビーズとはジャンルが違いますが、ご協力を仰いで顔合わせ。大阪らしい物ということで、串揚げを食べにいきました。何が大阪らしいかもわからず、何年振りかと考えたら5年ぶりかしら。大阪に着くといつも感じるのですがまずエスカレーターの並び、左と右の違い。車は日本中一緒ですが・・・何だかとても変です。羽田に帰ってきてエスカレーター半々でした。従って大阪の方と東京に人が半々なのでしょうね。洋服の趣味も違うみたい、勉強になりました。
新しい着物を仕入れようと京都に行ってきました。ここは凄い宝の山でした。今月19日からマンションの1回サロンでご覧いただけます。素敵なのがあります!お楽しみに。
北京最終回
「北京飯店」です。今では古いホテルで余り格が上ではないそうですが、「王府井」に近く、北京の銀座通りみたいなところだそうで散策しました。上海とは違う雰囲気ですが、銀座みたいに買い物をする人たちの波が凄かったです。何だかその波にのまれてしまいそう。中国風のブーツを買ってしまいました。「北京飯店」ではトイレをお借りしただけですが、雰囲気は落ち着いて良い感じでした。
王さんの家族全員の写真です。王さんは妹さんが西安に住んでいるらしいですが、一人息子のおおやまさんが末っ子で男の子だったので、ご両親が凄く大事にされたって、何処の家も、何処の国も息子を大事にするのは一緒ですね。王さんも埼玉大学大学院を出られていますが、おおやまさんも日本の大学を卒業されているので、日本語はOKです。二人を日本に留学させたご両親は日本をとても理解していて、本当に素敵な家族でした。王さんが、「中国のお父さん、おかぁさん、日本のおかぁさん」と私をみんなに紹介した時は涙が溢れました。彼女は私を日本のおかぁさんと呼びますが、こうして日中で素敵な交流をしているのに、どうぞお互いのお国も仲良くしてくださいね。おかぁさんも「私も泣いてしまうから・・・さぁ、食べましょう、ここは私たちが大好きだった西安料理なのよ」と私の背中をさすって下さいました。このレストランは王さんの故郷西安から北京に出てきているのだそうです。下の写真3枚は西安ではとても有名な料理で、西安って中国の中ほどにあるので、山の食材が多いとか。高菜や豆腐、ジャガイモ、など山の幸を多用した料理とハンバーガーのようなパン料理、肉もはさんで食べるのが特徴だそうです。
この上の料理はここの料理長しか作れない肉料理ですが、肉と野菜の蒸し料理です。本当に珍しいお料理と珍味で堪能しました。お漬物も円卓にたくさん並んでいましたが、このまま日本人にも美味しく感じられるものばかりでした。
次の日私は北京から羽田まで余韻に浸りながら帰ってきました。7泊8日でしたが、毎日ホテルが変るのでとても大変でしたが、それぞれのところでお会いした方々、本当にお世話になりました。常熟の湖畔で食べたワンタンも上海で集まってくださった上流階級の淑女たちも、11時間の夜行列車も初めて行った北京も皆様歓待していただき、私にとって素晴らしい中国の旅でした。もっと歴史を学んで行ったらもっと、もっと楽しいでしょう。歴史の勉強はこれからの課題です。
北京・恭王府
おおやまさんと彼の息子(2歳半)ここ恭王府が一番空いているだろうということで案内してくださったのですが、どうして、どうして、ここも人で溢れていました。現代残る清代の王府としては北京最大級だそうだ。ここの主だった王は”ある日捕えられて、財産を没収されたが、その時の中国の全予算よりたくさん隠し持っていた”って王さんが教えてくれました。この国の賄賂や隠し財産は病巣として今も変わっていないのよね、と冗談とも本気ともつかない話をしてくれました。こういう凄い建物を建てられるって凄いです。行けども行けども館で延々と続いているのですから。
北京・天安門
かの有名な天安門広場です。おおやまさんが国慶節の間は車が停められないのでと夜と昼ゆっくり走って見せてくれました。歩いていないので、その広さはわかりませんが、人、人、人でした。地下鉄の満員状態が続いていました。毛沢東さんの写真もしっかり撮れました。北京のすべてのパワーはここから始まると言われているらしい。あぁぁ、あの写真のところねってな感じで観てきました。北京に来て天安門も観なかったなんて・・・とおおやまさんは無理をしてこの前を通過しました。お巡りさんだか、党員だか知りませんが、侵入禁止の所も通りましたが、片側8車線でも車が多くてその上凄いマナーなので、何度も悲鳴をあげてしまいました。日本で運転できる人でも上海も北京も無理でしょうね。ただ、運転が上手だというだけじゃなく、ずうずすしさがないと進めません。カーチェイスしているようですから。
北京のじゃじゃ麺
北京で一番有名なジャージャー麺だそうです。麺には添えてある味噌をまぶして少しずつスープを入れながら食する。この店は朝から大入り満員で朝から長い待ち時間、待ってでも食べたい店だそうです。日本でいう所の太麺です。ご両親もご一緒しました。
北京
本場の北京ダックです!!勿論日本でも食べられますが、ここ北京での食べ方はうすくそいだ皮に御砂糖を付けて食べると今回招待してくださった東方集団の鄭さんが教えてくださいました。この食べかためちゃくちゃ美味しい。勿論普通に甘味噌とネギも用意されていましたが、お砂糖というのは初めてでした。東方集団は半年ほど前に日本でお会いして、北京に来たらぜひ連絡をと言ってくださっていたので、王さんが連絡をしたらこうして会ってくださった。写真左の女性はおおやまさんの奥様です。「頤和園」の帰りに行ったので、何分にも普段着で失礼してしまったのですが、これも北京の広さを考えないで出発してしまって・・・簡単に着替えに帰るというわけにはいきません。王さんが一日分のスケジュールを朝ホテルに迎えに来てから聞かされるので、あちゃちゃ~~~ということも度々です。王さんが「中国の人ってそんなこと気にしないから」と言ってくださいますが、せっかくよそ行きを持ってきているので着替えたいのです。
北京観光
「頤和園」は西太后の還暦を祝うために建設された館の跡。西太后は1835年~1908年、落日の清朝を波乱に生き抜いた「女帝」。こんな歴史を垣間見ながら頤和園を散策しました。勿論上海も歴史に残る名所は行ったのですが、何分にも北京は初めてだったので、王さんも弟さんも私に観光をさせてあげようといろいろ考えてくれていましたが、国慶節ということもあり、何処も満員でした。中国の地方からの客が多かったように感じました。おおやまさんのお嫁さんと3人で観光の初歩、彼の家から40分ほどのところにあるこの観光地もご多分にもれず大混雑でした。万寿山や昆明湖を見ていると、中国の奥深さや歴史をいやというほど感じさせられました。
北京・王さんのご両親
北京駅に到着し、王さんの弟さん(通称おおやまさん)が迎えにきてくださった。素晴らしいお宅、北京の高級マンションに住んでいる。170平米の4ベットルームでお子様がおもちゃの自動車を走り回らせていてもOKな広さ。お父様おかぁ様に初めてお会いしました。お父様は学者で、いかにもお勉強が大好きという感じでした。おかぁさまも学校の先生だったそうで、明るい素晴らしい方でした。お料理がまた凄い。彼女たちは西安出身でおかぁさまのお料理は西安料理だそうですが、トウガラシを多用したものです。王さんがいつも西安のお料理は最高と言っていますが、そりゃあおかぁさまのお料理が最高でした。前日から緊張して作ったのよ、とスープは逸品でした。明日から北京をご案内します。