大前伶子 - 公式サイト
  • Facebook
  • Rss
  • トップページ
  • プロフィール
  • お問い合わせ
Home» Articles posted by 大前伶子 (Page 141)

勝鬨橋

Posted on 2016年2月11日 by 大前伶子 in ブログ

朝の番組で高田純次さんの「じゅんさんぽ」を何気なくみていたら勝鬨橋近辺をレポートしていました。

勝鬨橋って一日に5回二つに分かれてその間大きな船が橋の下を通つていました。

そうそう、当時都電も通っていたのですよ。

昭和45年を最後に開閉することがなくなりました。

まぁ、私ぐらいの年齢の人でないとその風景は知らないとおもいますが、

丸紅に勤めていた当時勝どき橋の先に倉庫があり、よくお使いに行かされて、この橋が”キンキンキン”だったか”カンカンカン”だったかの

音がしているときは都電のレールも道も45度に上がってしまい、その間待たされお使いの時間が30分ほど遅くなってしまうのです。

よく上司に銀座のデパートにでも寄ってきたのか、と疑われたしましたが、今でも勝鬨橋を渡るときはその時の想いがよみがえります。

今の矢田区長が「夢よもう一度」と勝どき橋をもう一度よみがえらせたいとの公約を言ったことがありますが、

私は「とんでもない、そんなセンチメンタルな思いに1億円もかけるなんてもってのほか」と思ったことがあります。

それより、老人ホームや子供の施設にかけるべきだと・・・

そんな人寄せパンダのようなことを考えはダメですが、あの橋を渡るとき思い出す開閉は思い出だけで充分です。

昨日築地のお料理やさんに招待されて行ったところ・・・帰りに同席した男性が気が付いたのですが、

お座敷に上がっているうちに靴がきれいに磨かれていたのです。

ひと昔の料亭は必ず下足番という人がいて、お客様の靴を磨くという話を聞いたことがありますが、

今の時代でもなおそのようなサービス、感動しました。

>>

今日六本木で中田英寿さんに会いました

Posted on 2016年2月9日 by 大前伶子 in ブログ

IMGP4899IMGP4901

会いましたというより、見ました。六本木ヒルズでランチをしての帰り、日本酒のイベントを広場で開催していました。

彼は今文化人としてなのでしょうね。

中田さんがプロデュースした日本酒のイベント、普段の日にも関わらず、人出が多かったです。

いつも書いているように私はまったく球技はわからないのですが、彼の名前と顔くらいは知っています。

かっこいい青年でした。

鏡割りをした後、お客様に日本酒をふるまっていました。

かなり大きなイベントでした。

今週中くらい開催しているようですからぜひお立ち寄りしてあげてください。

 

>>

「ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります」

Posted on 2016年2月6日 by 大前伶子 in ブログ

IMGP4894

モーガン・フリーマンとダイアン・キートン主演「眺めのいい部屋売ります」を観てきました。

毎日病院通いをしていたので、今日は藪入り、一日好きなことをしていました。

朝からクローゼットの片づけと少し春らしい服を出して・・・その後築地に研いでもらった包丁を取りに行き、映画を楽しみました。

ニューヨークというと観てみたいと思う私ですが、今回の映画よくできたストーリーでした。

落ち着いた夫婦がウオーク・アップの5階に住んでいて、そろそろ階段が辛くなっている。

勿論3階でも大変なのに5階まで階段というのはものすごく大変だと思います。

一大決心をしてこの部屋を売りに出すのです。

内覧の新聞広告を出すところから、姪の不動産やが労をとるのですが、その悪どいこと。

絶対に売って見せるというNYでよくいる不動産屋さんの風景が物の見事に描き出されています。

入札方式で、売るのも買うのもドタバタになりがちですが、その辺のところは笑えます。

まず、今住んでいるアパートがいくらで売れるのか、それによって次の買うアパートの値段が決まってきます。

モーガン・フリーマンは勿論名優ですが、ダイアン・キートンの落ち着いたおばさん風が素敵でした。

恋愛小説家で彼女の良さは最高でしたが、今回の映画もとても素敵です。

ただ、今日は土曜日ということもあり、12時45分の2回目の回は満員でした。

私は一人で行くので何とか席が取れましたが、思ったよりヒットしているのだなぁ。

とにかくNYで不動産を1件でも扱った人は思い当たることが多く、その描写の鋭さに大笑いしてきました。

ブルックリンから観るマンハッタンの景色だけでも価値ありでした。

 

>>

ニューグランドホテルにて

Posted on 2016年2月5日 by 大前伶子 in ブログ

IMGP4893

入院していた母を横浜市民病院からリハビリ病院へ転院させて、妹と”やれ、やれ”という気持ちになりました。

お昼1時半になってしまいましたが、今日は気分転換で山下町まで足を延ばしてニューグランド・ホテルまで。

ここのレストランは母が元気な時はよく行ったところです。

母は元々横浜の人で、母の家族は何かイベントがあるとニューグランドホテルと決まっていました。

だから懐かしいことと、車が停められるのとが大きな理由でした。

ここのナポリタンもカレーも安定していて美味しいのです。

母の母つまり私の祖母の88歳の祝いもここでありました。そう、このホテルは思い出がたくさんあります。

マッカーサーが滞在した(接収されていたとき)部屋もみたことがありますが、帝国ホテルとも違う趣、大好きなホテルです。

そういえばここでの行事を好んでいた人たちもみんなあの世に行ってしまいました。

母が唯一存命ですが、今日の病院で少しはリハビリに精を出してほしいものです。

 

>>

NYのカウントダウン

Posted on 2016年2月3日 by 大前伶子 in ブログ

BSプレミアムで2015年の終わり、2016年の始まり、タイムズ・スクエアのカウントダウンが放映された。

100万人の人が集まるカウント・ダウン、この紙吹雪が人の手で撒かれているって初めて知りました。

それも95歳の方など25年もこのボランティアをしているて紹介されていました。

窓を開けて新しい年が来る時、人々の思いを書かれた小さな色紙、「摩天楼が歓喜に包まれるとき」に一気に撒かれるのだ。

世界の交差点というタイムズ・スクエア、もう10年ほど前になりますが、私もこのカウント・ダウンを経験しました。

一度は体験したい!!それを実行した時、それは、それは感動します。

4時ごろから飲む水をひかえ、トイレに行くのは困難だから、準備万端整えて、NY在住の坪田裕子グルソンさんと二人で

出かけました。寒い、寒い12月31日、かなり狂気な思いもしましたが、これを逃すと今後チャンスはないとの想いが募っていました。

どんな思いをしても、「行ってよかった!」今日BSでこのドキュメンタリーを観て尚更、今更そう感じています。

NYではフランク・シナトラの最後の舞台も観たし、ソフィア・ローレンの姿もパレードで拝めて、なんて素敵な街なのでしょう。

このような体験は思い切って行動しなくては思い出にもなりません。

今年の「NY-東京陶芸コンテスト」のNY行は母のことで、キャンセルをしたのですが、こうしてNYを思い出す番組を観ていたら、

カウント・ダウンの風景を思い出し、なんだか涙ぐんでしまいました。

12時半に飛び込んだスープの店のトマトスープの美味しかったこと!何もかもが暖かくなりました。

 

>>

おしゃれな人

Posted on 2016年2月2日 by 大前伶子 in ブログ

このところ病院行に1時間かかるので、本を読むことが多い。

昨日読み終わった林真理子さんの「野心と美貌」というエッセイは何度か笑ってしまった。

彼女は言い切っています。「初対面から引き付けられるという人はおしゃれな人」

おしゃれでない人に魅力的は人などいない、って。

彼女は物書きだから多少の誇張はあるでしょうが、何度もダイエットを試み、そのたびに挫折し、

素晴らしいブランドものを着ているのでしょうが、そう見えないところが林真理子の神髄。

服装をおざなりにする人は、自分に興味がない人だ。流行をくだらないと考える人は、頑な人だ。

おばさんたちのグループが、端からみていてどんよりした印象を与えるのは、みんな黒やグレイ、茶色を着て

ぼんやりとした長いスカートをはいているからだ。

どうせ、私なんか見てくれる人もいないし・・・

おばさんになりたくないという気持ちと、おばさんになればラクチンかも、という気持ちの間で揺れ動く、美魔女なんて、

嫌悪感しか思わないが、ダイエットどころか、最近は病院の帰りに妹と思いっきり外食している私。

だって~~~入院している整形外科の患者さんを見ていると、

ある日、足一本切断されて、寝かされえている。

元気で美味しいものが食べられて、政治の悪口や

芸能界の話を責任なく垂れ流していると、人生の後半だなぁと納得しながら毎日をすごしています。

あのような姿になっても生きていかなくてはいけないの?もし、私だったらどうするだろう。

おしゃれして美味しいもの食べて、好きなお風呂屋に行って、etc.

これも一応元気だから出来ることなのです。

 

>>

この頃考えさせられることの一つに

Posted on 2016年1月30日 by 大前伶子 in ブログ

IMGP4864IMGP4889

BONDの現役学生さんたちの新年会に招かれました。

入学早々の人からもう少しで卒業の人まで、すごいエネルギーを感じました。

天気が今一つでしたが、それでも100名近い方たちが集まって、お互いを励ましあっていました。

何しろ本業を持ちながら、勉強する、それも30代から40代の人たちが多いのは、今の日本において、

彼らの役目は”これからだ”という感じがそこかしこに表れていました。

勉強が忙しいのにバンドも披露されて、それは、それは楽しいひと時でした。

皆さん芸達者です。BBTでの音楽会もありますが、昨日の彼らは現役ですから、さぞ大変だと思います。

職種も多種多様、今の日本はこのままじゃやっていけない、それには新しい勉強をという意気込み、

世の中捨てたものじゃないと感じた一夜でした。

楽しい仲間、辛い勉強、きつい今の仕事、その後に続く人生をBONDの学生として勉強をしている

彼らに心からエールを送りたいと思いました。

彼らが卒業するときはゴールド・コーストで私の手料理をふるまって差し上げたいと・・・・頑張れBONDの方たち。

 

>>

私ってこんなに寒がりだったのかしら?

Posted on 2016年1月28日 by 大前伶子 in ブログ

IMGP4863

ゴールド・コーストから帰ってきてから、3週間余り、まだ寒い、寒いと言いっぱなし。

今年は電子レンジに入れるあんかを買いました。これが離せないアイテムになってしまいました。

昔はお湯を入れての湯たんぽでしたが、今ではこんな便利なものがあります。

裏表3分づつのレンジで朝までぽかぽか。

先日もう少し温めようと数分長くレンジに入れたらパンクしてしまい、新しいのを買いました。

これなしでは寝られない、確か今年は暖冬だと言っていましたが、私がゴールド・コーストから帰るや否、

寒い日が続いています。

従って横浜の病院に入院している母の見舞いの帰り、妹は「泊まれば?」と言ってくれますが、

一軒家は寒くてかなわないので、無理してもマンションに帰ってきてしまいます。

病院にいる母は外気がどんなに寒かろうがわかっていませんが、整形外科に入っている患者は

ほどんど車いすで、なんだかドキッとする怪我の方もいます。

あの痛そうな患者を見ていると、寒いくらい我慢しなくては・・・

>>

夢のような苺

Posted on 2016年1月25日 by 大前伶子 in ブログ

IMGP4861

名古屋の日本料理「土方」さんから送られてきた苺、普通の苺5つ分ほどの大きさです。

母の見舞いに持っていったら、研一も来ていて、ゴールド・コースト以来でした。

ゴールド・コーストでは咳をしていたので、心配したのですが、すっかり良くなって元気そうでした。

限りなく大トロに近い中トロを1貫とあなごを一貫、研一に食べさせてもらって、幸せな母です。

苺も「甘いわね」と言いながら食べていましたが、病院で出る食事はまったく食べていない。

私たちも悪いのですよ、毎日持ち込んで食べさせているから、そりゃぁ病院の味は美味しくないのは当たり前。

昨年聖路加に入院した時から、こうして甘やかしていたので、今更ねぇ。

世の中には美味しいものがあふれていますから、いつまで生きるかわからない母には大いに甘やかしてもいいかと

いう気持ちです。家族全員で後悔したくないのです。

今日は弟妹全員が集まりました。

病室でもここまで家族が一団となっている人たちは少ない。

中には来るたびに怒っている息子がいて、その方が来ていると、私までちじみあがってしまうのです。

「おふくろよ、仏壇の前に銀行の通帳があるって言ったけどないよ」と大声で「しっかりしてくれよ」とか。

怪我をして入院しているのだからもう少し優しく言ってあげて欲しいのです、が、

よそのお宅のことまで心配することないわよ、と妹に叱られています。

病院行もすっかり慣れて、京浜急行、東海道線、日比谷線から東横線と

なんでも行かれますが、京浜急行がうまく特急になると一番早いです。

 

 

>>

病院で・・・

Posted on 2016年1月22日 by 大前伶子 in ブログ

昨年暮れに母が大腿骨骨折で横浜市民病院に緊急入院しています。

私はゴールド・コーストから帰ってきてほぼ毎日行っておりますが、整形外科という病棟は何と残酷なところでしょう。

母はあとリハビリをするという段階になっていますが、母の前のベットに入院している方は片足切断しているのです。

とても明るい方で救われていますが、私たちが帰ったあとの母の姿や朝のリハビリについて教えてくれるのです。

ただ、なぜ切断されたのか?先日私に「知らないうちに説明もされずに片足切断されたのよ」と言っておられましたが、

息子さんには説明があったのでしょう。たぶんおかぁさんには本当の病名は伏せているのだろうと思っています。

彼女が「お宅は女の子だから毎日見舞いにくるのね、うちは男の子だから(もう相当な年齢)さみしいものよ」と。

私も妹もわが身に置き換えて”本当に老後を考えてしまうのです”

娘だから看病してくれるという保証もないし、だからと言って病院に入り続けるわけにもいかないし、

これからの老人はどうするのでしょうか?

母の時代は戦争も体験し、苦労した分子供たちに囲まれて病院生活ができますが、果たしてこれからはどうなるのでしょうか。

母の前に入院している方を見ていると、ああいう状態になっても生きていくのは残酷だと感じてしまうのですが、

これが自分に置き換えてしまうのです。

昨日歯医者であった「出っ歯事件」なんて、小さい、小さい。

生きていくって本当に大変、毎日元気でいられるのは感謝、感謝です。神様にありがとうと日々感謝しています。

 

>>
  • «
  • ‹
  • 139
  • 140
  • 141
  • 142
  • 143
  • ›
  • »

サイト内検索

最近の投稿

  • 本当の誕生日
  • どういう気持ちでつけた値段か
  • 佐渡島に行ってきました
  • やっと長いお休みが終わり・・・
  • 長いお休みですが、、、
  • 戦後80年・一言で言っていいのか
  • だから言ったでしょう?
  • 真夏のジャズ イン 軽井沢
  • 銀座教会の歴史
  • ピーチシティ
  • 今日参議院議員選挙投票に行ってきました
  • 関西万博開催から3か月経過
  • 料理番組の土井善晴さん
  • 暑さも最高、、、
  • 今日の日曜日は・・・
  • 何故テレビに映る男の子の前髪が長いの?
  • トランプブランドの香水
  • え?え?ベトナムにトランプ・タワー?!
  • 久保修先生の展覧会が来週始まります
  • 親愛なる日本様・・・たぶん名前覚えられていない

アーカイブ

  • 2025年9月
  • 2025年8月
  • 2025年7月
  • 2025年6月
  • 2025年5月
  • 2025年4月
  • 2025年3月
  • 2024年11月
  • 2024年10月
  • 2024年9月
  • 2024年8月
  • 2024年7月
  • 2024年6月
  • 2024年5月
  • 2024年4月
  • 2024年3月
  • 2024年2月
  • 2024年1月
  • 2023年12月
  • 2023年11月
  • 2023年10月
  • 2023年9月
  • 2023年8月
  • 2023年7月
  • 2023年6月
  • 2023年5月
  • 2023年4月
  • 2023年3月
  • 2023年2月
  • 2023年1月
  • 2022年12月
  • 2022年11月
  • 2022年10月
  • 2022年9月
  • 2022年8月
  • 2022年7月
  • 2022年6月
  • 2022年5月
  • 2022年4月
  • 2022年3月
  • 2022年2月
  • 2022年1月
  • 2021年12月
  • 2021年11月
  • 2021年10月
  • 2021年9月
  • 2021年8月
  • 2021年7月
  • 2021年6月
  • 2021年5月
  • 2021年4月
  • 2021年3月
  • 2021年2月
  • 2021年1月
  • 2020年12月
  • 2020年11月
  • 2020年10月
  • 2020年9月
  • 2020年8月
  • 2020年7月
  • 2020年6月
  • 2020年5月
  • 2020年4月
  • 2020年3月
  • 2020年2月
  • 2020年1月
  • 2019年12月
  • 2019年11月
  • 2019年10月
  • 2019年9月
  • 2019年8月
  • 2019年7月
  • 2019年6月
  • 2019年5月
  • 2019年4月
  • 2019年3月
  • 2019年2月
  • 2019年1月
  • 2018年12月
  • 2018年11月
  • 2018年10月
  • 2018年9月
  • 2018年8月
  • 2018年7月
  • 2018年6月
  • 2018年5月
  • 2018年4月
  • 2018年3月
  • 2018年2月
  • 2018年1月
  • 2017年12月
  • 2017年11月
  • 2017年10月
  • 2017年9月
  • 2017年8月
  • 2017年7月
  • 2017年6月
  • 2017年5月
  • 2017年4月
  • 2017年3月
  • 2017年2月
  • 2017年1月
  • 2016年12月
  • 2016年11月
  • 2016年10月
  • 2016年9月
  • 2016年8月
  • 2016年7月
  • 2016年6月
  • 2016年5月
  • 2016年4月
  • 2016年3月
  • 2016年2月
  • 2016年1月
  • 2015年12月
  • 2015年11月
  • 2015年10月
  • 2015年9月
  • 2015年8月
  • 2015年7月
  • 2015年6月
  • 2015年5月
  • 2015年4月
  • 2015年3月
  • 2015年2月
  • 2015年1月
  • 2014年12月
  • 2014年11月
  • 2014年10月
  • 2014年9月
  • 2014年8月
  • 2014年7月
  • 2014年6月
  • 2014年5月
  • 2014年4月
  • 2014年3月
  • 2014年2月
  • 2014年1月
  • 2013年12月
  • 2013年11月
  • 2013年10月
  • 2013年9月
  • 2013年4月

メニュー

  • 大前伶子のニューヨーク(旧ブログ)
(c) 2013 - 2024 大前伶子 公式サイト