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川筋かたぎ

Posted on 2016年6月25日 by 大前伶子 in ブログ

筑豊の遠賀川に育った荒くれ男のことを「川筋かたぎ」という。

昨夜BSでこの辺のお祭りを特集していて、炭鉱が華やかなりしころの画面に釘付けになった。

ぼた山、川すじ、筑豊、直方、若松港など遠賀川を中心にとてもいい番組でした。

私の母は根っからのシティー・ガール。

その証拠に文化服装学院の卒業生で、世が世なら”森英恵”になっていた、とまだ元気なころは

よく口にしていました。つまりデザイナー志望?

母の父親が日立造船の技師だったので、母の生まれは広島県因島だったそうだが、

すぐに横浜に転勤になり、その後シティー・ガール一直線。結構アプレ・ガールだったと自慢していた。

それが、どうして長崎県対馬出身の父の元へ嫁に行ったか?

当時の見合いは今考えると残酷です。第二次世界大戦の足音がひたひたと近づいていたので、

早く結婚しないと「男」がいなくなってしまう、と親の言いなりでたった15分しか見なかった人と

次は結婚式だったって。当時は当たり前みたい。

その証拠に母の姉妹も見合いで結婚させられていた。

そんなわけで、対馬出身の父と横浜育ちの母が結婚して福岡で生活し始めるのですが、

母はご飯を炊く火も起こせなかったって、自慢?していました。

私たちが育った若松も昨日画面にでてきましたが、家の前は石炭を運ぶトロッコの線路がありました。

昭和40年に炭鉱の大事故が起き、その後閉山、今ではすっかり衰退産業になってしまいました。

それでも川すじ気質はいいですねぇ。よか~~

若松港から石炭を運び出す、その港で遊んだ覚えがあります。

私の女学校の大親友が鞍手郡直方ということろへ嫁に行って、彼女はすっかり川筋女に変身していますが、

都会からあの街で暮らすのって凄いなぁ。それでも彼女のご主人は凄くいい人なので、

たぶん母も横浜から福岡へ行った時も「おとうちゃまがいい人だったから我慢できたのよ」と。

父はその当時炭鉱会社の経理部門に勤めていたらしい。父は5つ玉のそろばんを物凄いスピードで

はじいていました。

母は私たち子供に九州弁を使うことを禁止していたと覚えていますが、学校ではそうはいかず、

すっかり九州弁になっていました。昨日番組できゃぴきゃぴの九州弁を聞いて、胸がいっぱい!

男も女も九州弁に色気を感じるのは血なのでしょうか?

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「さんまとカタール」

Posted on 2016年6月24日 by 大前伶子 in ブログ

IMGP5492

宮城県女川町の復興にかける人々を通じて、人間の底力を描いたドキュメンタリーの試写会に招かれました。

復興の力になってくれたのが中東のカタールだったなんて、知りませんでした。

大型冷蔵冷凍庫「マスカー」が寄付され、建物も整備されて、水産業で成り立つ女川の街に活気が戻るという

若者中心のコミュニティーが出来上がる。

町内は、街中心部を更地にして嵩上げする工事が休みなく進み、2015年3月のJR女川駅開通。

復興祭を盛大に開催することすら批判を浴びながらではあったが、津波が来たら高台に逃げることを伝承する

リレー大会を通して「復興男」レースの、「逃げろー」の合図で始まった、すべては津波に記憶を未来に伝えるため。

2015年12月、駅前商店街とプロムナードがオープン。

女川の名物魚介類の開発を都会からユータンしてきた若者が担うという素晴らしい映画でした。

震災後すぐに救助の手を差し出してくださった台湾はよく話題になりましたが、

中東のカタールとの絆はあまりしられていないが、「カタールフレンド基金」の総額は1万USドル、

当時のお金で100億円もの資金が女川に供出されていたのです。

NHK的なドキュメンタリーでしたが、数々の感動場面に何度も涙しました。

カタールと言えばサッカーで有名な首都ドーハ、イスラム圏です。海洋国家だそうです。

日本人と同じ魚がよく食べられている。

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高橋真利子さんのエピソード

Posted on 2016年6月22日 by 大前伶子 in ブログ

「日和」での出来事、私はいくら有名な方がいらしても、いつも通りの接客をしていました。

ある日高橋真利子さんの熱狂的なファンを自任している男性が来ていました。

彼は我が店では常連、高橋真利子さんが来ているのが気になって、気になって仕方がない。

でも、私は近づくことはNGですと言ってあるので、彼は我慢していたのです。

我慢しきれなくて、店の角に文明堂があり、そこでカステラを買ってきて、「彼女に渡して」とお願いされてしまいました。

彼は次の週に横浜で高橋真利子さんのコンサートのチケットを買っていたらしい。

私にその件とリクエスト曲を何とか伝えてよ、と。

常連客でもあるし、カステラとその件をお知らせしたのですが、すっかり忘れていました。

次の週、彼ら夫婦でコンサートに行った時、真利子さんが「この間のカステラありがとう、リクエストの曲歌うわね」

と舞台から言われたのですって。

彼は天にも昇る気持ちになって感動したって、奥様は「日和だけは行ってもOK」と許可が出たので

大ぴらに行かれるよ、と大喜びしたのです。

プロ根性と言ってしまうには余りにもったいない、それが長続きする歌手の原点なのでしょうね。

私はその後高橋真利子さんが出演されている画面を拝見すると、気持ちの優しい方と思うし、

歌も素敵だし、ご主人も優しいし、すべての総称が彼女の歌に出ています。

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高橋真利子さんという歌手

Posted on 2016年6月20日 by 大前伶子 in ブログ

先日BSで高橋真利子さんの特集を放映していました。

私は彼女の歌を見たり、聞いたりするとあの日を思い出します。

いまから20年前銀座4丁目歌舞伎座の隣で「日和」を経営していた時、彼女が何回か来てくださいました。

何故か?真利子さんのご主人ヘンリー・広瀬さんのお姉さんが私と同級生。そういう縁でいらしていたのですが、

私はこの手の歌のジャンルに疎く、「桃色吐息」を青色吐息と言って顰蹙を買っていました。

小さな店なので誰が来ているかすぐわかってしまう、ただ、私はどんな有名な人が来店しても

サインはだめ、せっかくプライベートにいらしているのだからそっとしてあげて、というスタンス。

たいてい客がそわそわし始めますが、だめはダメ。

先日の番組で真利子さんはご主人のヘンリーさんを仕事でもプライベートでもすごく尊敬している姿に感動。

いつも陰になり、彼女を支える姿がいい感じ。

ヘンリー広瀬さんもご実家が凄いお金持ち、余裕で真利子さんを支えている感じがします。

彼らは10年くらい結婚をせず一緒にいたらしかったが、ちょうど「日和」にいらしたとき、

NYの公演後フロリダで結婚式をされるので、一緒にいかない?と誘われたのですが、

当時店を経営していたので涙を呑んで参加できなかったのです。

その折のNYカーネギーホールでの高橋真利子さんのコンサート満員だったとか。

娘が行きたいと言ってチケットを買ったのに凄い後ろの方しか取れなかったので、「ママの友達に頼んでよ」と。

何とか前の方に家族席?を頂いたのを覚えていますが、

カーネギーホールを単独で満員に出来るのは高橋真利子さんだけじゃないかと思います。

何故?彼女が人気があるか?

駐在員へのお土産に何がいい?と聞くと必ず「高橋真利子さんのCD」とリクエストがあります。

NYの駐在員は車で遠出するのに車内で聴く音楽で彼女のが一番心地いいって聞いたことがあります。

そのCDで聴いていた本物が来てカーネギー・ホールで歌うのですから人気があるのもうなずけます。

あれ以来、高橋真梨子さんがテレビにでていると、ヘンリー広瀬さんも思い出してしまいます。

彼は真利子さんを立てて目立たず、でもしっかりと支えている素敵な男性、芸能界ではあまり見ないお二人です。

宇崎竜童さんと阿木洋子さんご夫妻も有名ですが、そういえば阿木洋子さんも学校の2年後輩でした。

もう一つ高橋真梨子さんのエピソードは次に書きましょう。素敵な話です。

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久しぶり、映画へ。

Posted on 2016年6月19日 by 大前伶子 in ブログ

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現英国女王がまだ王女様のころ、第二次世界大戦が終わった1945年の一夜の出来事を現実と空想のコラボ。

エリザベス女王とマーガレット王女が終戦の勝利に酔ったロンドンの一夜、両親に願い出て街へ出かける。

世の中が安定していない終戦を迎えた日、一般人としてディスコやパブに行く。

本当に行ったかは定かではありませんが、王女を描いた「ローマの休日」に近い。

エリザベス女王は長女として今でも燦然と輝いていますが、マーガレット王女は当時不倫相手の

タウンゼント大佐との恋愛が取りざたされたのを思い出します。

米語と違って格調高い英国英語とあの頃のドレスを見るだけでも息抜きになりました。

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年(とし)

Posted on 2016年6月18日 by 大前伶子 in ブログ

IMGP5482

8日、大昔の友達・・・というか中学、高校時代の友達で捜真女学校に併設されいた「捜真教会」の仲間と

毎年集まっています。「ともしび会」と名付けられていました。

この連中とは毎年本栖湖でキャンプをしていました。

キャンプファイアと歌が付きものでした。今でもそのころに歌った歌詞カードが配られます。

会ったとたん「年取ったなぁ」と感じるのですが、歌ったり飲んだりしているとあの時のまま。

マイクを持っている人は当時医学生でしたが、もう80歳だそうです。

若いころは素敵でした。まだ医者の卵で、卵が孵っていなかったのですが、誰かが怪我をしたとき、

お腹が痛いとき、彼の出番でした。

私がまだ高1の時、一つ話になっているのですが、私のあだ名「ネオ・ライオン」と言われていたのです。

私はすっかり忘れていたのですが、この医者の卵が、本栖湖で私が捻挫してしまい、

医者の卵がやって来て、ライオン歯磨きを足首に塗ってくれたのです。

次の日治ったのでみんな大笑い。それ以来私のこと「ネオ・ライオン」とあだ名がついてしまいました。

藪医者と呼んでいましたが、彼は今でも地域医療の現役です。

20人ほどが集まりましたが、この会は本当に長い付き合いです。

最後に祈り、また会う日までと来年の再会を約束しました。

 

 

IMGP5483

その後白楽へ。母がまた転んで歩けなくなってしまいました。

妹が大変なので、2泊して帰ってきました。

朝妹が「おねぇちゃまぁ、これ読んでよ」と朝日新聞朝刊を差し出した。

”中田武仁さん死去”というタイトルが付いていて、記事事態はたいしたこと?ないのですが、

神戸市内の病院で亡くなっていたことがわかった。老衰78歳。

この方は1993年カンボジアで選挙監視員のボランティア活動中に凶弾に倒れた中田厚仁さん(当時25歳)の父、

だそうだ。

何が驚いたって78歳で老衰と書かれてあったこと。これじゃわたしゃあと3年で死んでも

老衰と言われたらどうしよう。70代で老衰って言うだろうか。

老々介護をしているとこういうニュースにとても敏感になります。

 

 このすき焼き肉人形町の今半の切り落としです。

100グラム780円、家で食べるにはこれで十分、今半の牛肉は美味しいのです。

前日に人形町で会議があり、せっかく人形町にきたのだからと漬物と肉を買い求めました。

今半で目撃したのですが、ステーキ肉5枚2万6千円買っている人を見ました。

へぇ~~~肉だけで26,000ー家でたべるのでしょうか?

人の家の事とはいえ、凄いなぁと顔をみてしまいました。普通の奥様。

レストランでステーキを食べたらその値段ではないでしょうが、ま、人さまのことはいいです。

今半の肉は切り落としでも美味しいのです。特に肉じゃがの時はここの肉だと一味違います。

 

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舛添劇場フィナーレ

Posted on 2016年6月15日 by 大前伶子 in ブログ

騒々しい劇場も終わってしまった。

高1の娘と中Ⅰの息子の話も出て涙したと報道されていたが、これまでどれだけ心配したか。

人さまのお宅の事であっても、子供に罪はないですから。奥さんには何故?という疑問がついて回りますが、

あの意思の強い舛添さんの上を行く奥さんとお見受けしますから、

案外終わってみたら、もう何も答える必要がないと口をつぐんでしまうなんて、政治資金のあり方も

政治家だったら手を付けたくない事案でしょうから、これで the end

民衆、会衆、がくや、マスコミ、は梯子を外されました。

以前書かれた著書はコントのように繰り返し放送されていましたが、どれだけ笑いを誘うか。

政治家としてしてはいけないことを著書にしたためていましたが、それをご自分が実行して見せてくれたのは

ほどんど笑いを誘ってしまいました。

それにしても舛添さんって友達がいなにのだなぁ、と想像してしまいます。

小さいときからお勉強が出来て、東大法学部に現役で入学し、その後政治学者としてマスコミに重宝され、

ルンルンで政治家に転身、失敗なんて自分の辞書になかったのでしょう。

あの悔しそうな顔はそのきかない気の強さに表れています。

北九州の八幡に生まれ、東京大学に入った時から国を司る夢を見て生きてきたのでしょう。

彼は自分で首相にはなって見せる、くらいの野心があったと思います。

まさか、まさかのホテル三日月でぼろをだしてしまいました。

最初から家族旅行だったと言ったら、ここまで都民が怒らなかったと思いますよ。

ホテル三日月って家族旅行には近くて打ってつけですから。私は2回行ったことがありますが、お風呂、あかすり、

サウナ、プールと一日すごく楽しみました。

ホテル三日月さんはイイ宣伝になったでしょう。この宣伝効果はお金に換算したら・・・・

それにしても舛添さんの錬金術も相当なものですから、これからは誰に遠慮に要らないので

ネット・オークションでお好きな絵画を買うもよし、中国服で書をしたためてもいいのですから。

明日からメディアは何を追うのでしょうか?

あ、そうです、次の都知事候補を選ばなくては、前々知事と前知事と同じ轍を踏まないようにお願いしますよ。

 

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週刊誌と侮るな、か。

Posted on 2016年6月13日 by 大前伶子 in ブログ

1か月ほど前に「週刊文春」が暴露した舛添都知事問題、何と尾を引いて彼の辞任要求までされている。

しかし、この問題が週刊誌で掲載されなかったら、まだ舛添さんんは東京都の知事として職務を務めていたのでは?

ただ、今回の反響を見ていると、彼が起こした小さな積み重ねが、ここまで大きくなるのは彼の尊大な態度が

都庁の人たちも腹に据えかねていたのでは?

もういいじゃない、とか、これ以上可哀想という言葉が聞かれないのが彼の不徳の致すところでしょうか。

フランスでは子供にいい音楽を聞かせるのは教育にいいからN響のコンサートに連れて行ったなんて、

フランス風ふかすので、また、炎上してしまうのですね。

私も同じ故郷ですが、田舎者が都会に出てきて、ましてやおフランスに留学して、通訳なしに外交が出来ると

豪語していた輩ですから、子供の教育には特別配慮しているのでしょうが。

ここまでアッパー・カットくらわされるなんて、彼は夢想だにしなかったでしょう。

総理の椅子も狙っていたらしいから、なんだか可哀想になってしまいます。

実れるほどに頭を垂れるという言葉は舛添知事にはないのでしょう。

凄く打たれ強い、強靭の心臓を持ち合わせているのでしょうが、ここ数日心なしかお痩せになったみたい。

 

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日枝神社のお祭り

Posted on 2016年6月12日 by 大前伶子 in ブログ

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二年に一度のお祭り、朝から笛や太鼓の音が聞こえてきていましたが、

私は朝から大掃除、この秋からマンションの大規模修理になるので、ベランダを片付けないと・・・

今まで植木をたくさん育てていましたが、全部部屋に入れなくてはいけないので、

少し準備しようとベランダを集中的に掃除をしました。

その後ビッグカメラに行く途中、京橋でこの祭りの最大イベントが行われていました。

矢田区長とも久しぶりにお会いしたのですが、お元気そう。

「やぁ~れいこさん」と近づいてこられました。

7期目の区長で、私は何度もご一緒に食事に行ったり、飲みに行ったりしていますが、

舛添さんと違ってお金にきれいな方です。

だから7期目も自民党から推薦されなかったのにダブルスコアで区長の椅子が守れました。

 

 

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Graduation Class of 2016

Posted on 2016年6月11日 by 大前伶子 in ブログ

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大前の息子つまり私の甥の長女がめでたく中学を卒業しました。

今回15人、それも今回で日本を離れる人、それぞれの国に帰る人、日本的な卒業を体験させたいと

この華やかな卒業式になりました。

私にも招待状が来たので、小さいときから可愛がっていた子なので喜んで参加しました。

それにしても盛大なセレモニー、一人ずつスピーチをしました。

若いときから自分の主張をきっちりと言う習慣なのですね。

15人それぞれ母国は違いますが、とても素敵なスピーチを聞かせてくれました。

日本語がほとんど出来なかった人もいたらしく、小学校6年間と中学3年間で9年の勉強でようやく日本語も話せるようになった

子供もいて、ユニークな卒業式でした。

全員着物を着たのは、彼らはこれから先このような日本的な風習を記念にしていきたいとの父兄の願いだったみたい。

仮想行列の体がありましたが、みんなとても嬉しそうでした。

 

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