ベランダのドアーを開けたら
トンボが入ってきました。虫かと思って殺虫剤を取りに行ったら、天井に止まっているではありませんか?
じっと止まったままなのです。
こんな都会で、しかも11階まで、何と可哀そうなトンボなのでしょうか?
昔よく蓼科で大前の子供たちとトンボとりをしたと懐かしい想いです。
秋の風情ですね。
今では知らない人の方が多いと思いますが、先日テレビで渡辺はまこさんを特集していました。
「ああモンテンルパの夜はふけて」という歌が大ヒットした戦後を代表する歌手です。
渡辺はまこさんは私の母校「捜真」を卒業され、音楽大学をを出られて、その後母校に奉職されたと聞いています。
歌謡曲なんてもっての他という厳しいミッションスクールだったのですが、
その後何度も母校へいらっしゃいました。
彼女は「従軍慰問」をされていて、戦後7年が過ぎた時、フィリッピンのモンテンルパの収容所に
150人の日本人戦犯として収容されていることを知り、その頃フィリッピンとは国交がないので、
慰問に行かれずに悲しんでいる時、モンテンルパの死刑囚からトイレット・ペーパーに書かれてある
歌が届きました。
その歌に感動して「モンテンルパの夜はふけて」として発売すると瞬く間に大ヒットしました。
その後渡辺はまこさんは彼らを日本に帰国させようと奔走し、500万人の署名を集めた、フイリッピンの
当時の大統領キリノさんに届けた。
大統領は日本兵に家族を殺されていたので、日本を憎んでいたのですが、キリスト教徒の大統領だったそうで
「日本人はこんなに美しく哀しい歌を作る優しい心を持っている、戦争がわるいのだ、憎しみではなく
愛と寛容が必要だ」と思い日本人全員の釈放を決心したと記されています。
渡辺はまこさんの悲願が叶えられたのでした。
戦後70年を迎えて、学校の先輩が特集されていて、胸が熱くなり、
やはりどんな戦争もしてはいけない、と。
何度も書いていますが、私は人より戦争を身近に感じることが多かった人生。
第二次世界大戦の2日前に生まれ、朝鮮戦争は父の故郷対馬で大砲の音をドンドンと腹の底から
ひびくような、地響きのような・・・体験をし。
第一回目のNY滞在中ベトナム戦争を身近に感じ、湾岸戦争も二度目のNY在住中に経験し、
そのすさみようは恐ろしいほどでした。街にはドラッグでその恐ろしさを緩和している
患者が溢れていたし、マンハッタンのダウンタウンなんてとても歩けない怖い街でした。
今日の日曜討論を聞いても、安倍政権の無理に通過させようとしている安保法制、
熟考を望みます。さすがに今赤紙一枚で戦地に送られることは無いと信じますが、
「日本のいちばん長い日」に描かれている陸軍みたいなことが現実に起こってからでは遅いですから。