丸善・丸の内オアゾの4FギャラリーでNYで知り合った森本計一画伯の展覧会が昨日から開催されている。
森本画伯の今回のテーマはーセーヌとパリ街角を描くーパリがメインの景色、油絵です。
先生にお会いできるかと思って伺ったのですが、神戸から明日到着だそうで、残念でした。
上の写真は森本先生にNYを書いて頂いた我が家の絵ですが、特注です。
帰りに丸善の本屋に寄ったら、相変わらず大前の新書が並んでいました。
丸善・丸の内オアゾの4FギャラリーでNYで知り合った森本計一画伯の展覧会が昨日から開催されている。
森本画伯の今回のテーマはーセーヌとパリ街角を描くーパリがメインの景色、油絵です。
先生にお会いできるかと思って伺ったのですが、神戸から明日到着だそうで、残念でした。
上の写真は森本先生にNYを書いて頂いた我が家の絵ですが、特注です。
帰りに丸善の本屋に寄ったら、相変わらず大前の新書が並んでいました。
孫が古希で娘が米寿でわしが茶寿。
60歳 還暦 60歳で干支の組み合わせが一回りすること
70歳 古希
77歳 喜寿
80歳 卒寿
88歳 米寿 米の字が八、十、八と分解できるから
90歳 卒寿 卒の略字が九十と書くことから
99歳 白寿 百の字から一を引くと白になることから
108歳茶寿
111歳皇寿
112歳珍寿 百二十歳以上は珍しいため毎年祝う
珍寿まで生きるって凄く大変だとおもいますよ。
長生きしてくださいね、なんて簡単に言いますが、そりャあ90歳過ぎたら大変ですから。
養命酒の広告に載っていました。
私は絶対に使わなけど、スイカでコンビニやタクシー代を払うって今一つピンときていません。
銀行も人がいるところへ行くことがほとんどない、カードですべて賄えます。
その上ロボットが人間に代わって代行してくれるとなると益々人の手が要らなくなります。
今では副業OKの会社が企業全体の22%だそうです。
大企業だってこれからずっと続くなんて考えられない時代になってしまいました。
昔の親は大学を卒業したら、名の通った大企業に入ったら万々歳で胸を張って息子や娘自慢したものです。
ところが今じゃ本体で給料を賄えなくなるので、副業を薦める会社が増えてきたって。
そうかと言って転職もままならないし、起業するたってそう簡単じゃないし・・・
データーによると、今起業する人の40%が60歳以上だそうだ。
これじゃ頭が固くなった人が起業するのだから、今の情報についていけないでしょう。
9割が失敗するらしい。退職金も起業時に使ってしまって悲惨な状態になるって。
安倍さんも簡単に働き方改革を言っていましたが、簡単に遡上から降ろしましたね。
2WAYの仕事を考えるって大事な事だと思います。政府も企業も余り信用がなくなっていますから。
一昨日BSで部屋の片づけ方をこの手のプロがチエックする番組を観ました。
俄然片付け意欲がわいてきました、いつもなら春分の日にこの行事をするのですが、
雨だったし、今一つ寒くってその気になれなかった。
今日は妹がご飯食べない?という誘いも断固断って一気にクローゼットからと春物、夏物を出してしまいました。
誰の誘惑にも負けない、いや、こんなに出してしまって何処かに出かけたら泥棒に入られたみたい。
手術後元気なのにこういう意気込みには、乗り切れない、何度もお茶を飲んだりアイスクリームを食べたりして、
休み休みでしたが、夕方までには片付きました。
BSの片付けプロに言わせると捨てられないのはある意味病気だそうだ。
私も思い切って捨てました。
冬物このケースに4個にまとめてしまいました。
体は一つですからね、もう荷物は出来るだけ少なくするのが「私らしい人生のしまい方」ですから。
その他要らない箱や飾り物もぜ~~~ぶ捨てました。
場所はお金ですから、特に中央区という地代が高いところにいると荷物で部屋をつぶしてしまうのは
もったいない。
すっきりしたところで、近所のお風呂屋さんが土曜日お休みだから隅田川を越えて
月島温泉へ。部屋も片付き、お風呂屋に行って全部すっきり。
こういう一日も有り難い。
スーさんがこの日フライトが満員で乗れないので一日空いたの、と電話があり、お花見でもいきましょうか。
桜が嫌いと言い続けていますが、この儚さはやはり寂しくなりますね。
靖国神社に行くと拝殿に向かって左側に第二次世界大戦の時、強制的に戦争に行った若者の遺書があります。
私は時々この遺書を頂いてきて、じっくり読みます。
戦争はしてはならぬことですが、あの第二次世界大戦の時はそんなこと言ったらお縄になってしまう、
でも、私の父も戦争に行っていました。
終戦とともに(敗戦か)父は南方から帰ってきましたが、昨日読んだ遺書の陸軍伍長は20歳で台湾台北方面で
戦死したのです。
拝啓
父上様、母上様、長い事お世話様になりました。
19歳の今日まで何一つ孝行できず、本当に申し訳ございません。
自分もいよいよ、待ちに待った南方の第一線へ行くことが出来るようになりました。
もとより、生還を期せず、一死君国に報ゆる覚悟です。
今度こそはきっと立派な孝行を致します。
大君のためにきっとやります。
では父上さま、母上さまには、自分のことにはご懸念無く。お元気にて、
では最後に、ご統一様のご健康を祈ります。
遺歌(自作)
身はたとひ砕け散るとも君が代を
思う心の一すじに
今日の日待ちて惜しみし我が命
愛機と共に今ぞ咲くらん
昭和19年12月3日
いつも頂いてくるこの遺書に今のこの年齢の人たちには絶対に書けない言葉です。
それだけ一億総戦争に突入していく姿が読み取れます。
それにしても北朝鮮はこの時代を思い出す報道が多いのですが、
どうなっていくのでしょうかねぇ。一抹の不安があります。桜の下でそんなこと考えていました。
久米宏×池上彰 の対談「若者につたえたいこと」を何気なく観ていました。
久米宏さんは今テレビを”卒業”してラジオに出演しているらしい。
彼が言っていました「一年ってすぐに来てしまう、思ったより早い」って。
私もこのところ本当にそう思います。ここまで生きてきて、いつ死んでもいい!と思いながら、
本心はまだ先だろうなぁ、と漠然と考えてします。
昨日夕飯に招いた友達は今月末で定年だそうだ。私が知り合ったときは40代、あっという間に
10数年が過ぎた。
私は毎年このブログに「桜は嫌い」と書いていますが、また、桜の季節になって、メディアが盛んに
満開は何時?というのが流れますが、うっとうしい。
そういえば昨年の今頃は?その前の年は?と考えると5年なんてあっという間です。
久米宏さんは還暦の時???と思うほど実感がなかったって。私も同じです。
だから今の若者に若いときはあっという間に過ぎてしまうので大事に生きなさいね、と。
ラジオの息遣いが好きだという久米宏さん、相変わらずの軽いタッチで話していましたが、
いい感じでした。
スーさんがNYへ帰る前に一度家庭料理を食べてもらおうと待ち構えていました。
彼女はほどんど外での食事、胃にやさしい物をと考えていましたが、今日築地はお休み。
本当はアジフライを作りたかったの。御徒町の「吉池」で材料は調達。
大豆を昆布で優しく煮て、新レンコンのユズを使った酢の物、タラバガニのお鍋と最後は雑炊。
今春らしい野菜がたくさん出ています。白アスパラガスも茹でました。先日村松さんのところで
頂いたマヨネーズで食べようと考えています。
左のチーズはゴールド・コーストから持ち帰ったものです。
タンボリン・マウンテンのチーズ工房で買ってきましたが、こういう乳製品は特に美味しい。
本来料理をするのが大好きな私は時々手の込んだものを無性に作りたくなります。
人の心は胃袋からですから、術後3か月が過ぎ、こうして人さまをお招きできるほど元気になっています。
昨今自分が体に障害を持って街を歩くと危険な事ばかり目に付きます。
その一つが道路のポッチ、視聴覚障碍者用の道案内なのは百も承知です。
ただ、これをたどって歩いている視聴覚障害の方を見た事がないのです。
こういうことをブログに書くことが危険だということはよくわかったうえです。
先日来ブログのクレームで1か月ほど書くのを止めましたが、どうしたの?というメールがたくさん
寄せられて、勇気を出してまた、書き始めました。
過激にならないように注意しながらです。
あの黄色いポッチ、私が腰の手術後退院した時もあの上を歩くと痛みが増すし、
スーツケースを持ってあの場所に来るとスーツケースがひっくり返ります。
健常者が危ない思いをするのですが、誰も弱いものには触れないようにしている。
撤廃してほしいと言っているのではないのですよ。もう少し利用している人を見たら
優しくなれるのに、ついぞあれに沿って歩いている視覚障害者を見た事がないのです。
役人はあれさえ作っておけば、自分たちの役目は終わったという論理じゃないかと思うのです。
そんなことより八丁堀駅のエスカレーターどれも中途半端、進行方向前でも後ろでも
スーツケースを持って絶対に地上に上がれません。
従ってタクシーを使わざるを得ません。本当に何処もかしこも中途半端です。
せっかく公共交通機関を使って羽田でも成田でも行かれるのですが、スーツケースを
あの階段を上がり降りしなくてはと思うと苦痛です。
2020のオリンピックまでには絶対に何とかしてください!
沖縄って上海より遠いのですよ。
何度も行っている沖縄ですが、今回ほど心地よく過ごした日々はなかった。
それも、モリンダ社が全国大会を開催し、お招きを頂いたのでホテルも滞在も会社が用意してくださって、
スーさんが「黙って来てくれたらいいのよ」ということで、沖縄嫌いの私をかなり強引に連れていかれたのです。
ところが、ところが、沖縄在住のご夫妻のアテンドで、レストランも見学も素晴らしかった。
私は今まで沖縄というとゴーヤチャンプルとかソーキそばのイメージで苦手でした。
お土産も銀座1丁目に沖縄のアンテナショップと同じものを売っているので、何も買う気がしなかったが、
人との出会いが素晴らしいかったので、沖縄大好きになりました。
珍しい花が咲き、台風銀座と言われている沖縄諸島の建物も平たくできていて、
頭上を爆音を立てて飛び回る軍用機を肌で感じて、基地を移動するのは賛成だと実感。
昨日沖縄から帰ってきましたが、妹とサンモトのセールに行く約束していたので、
まだ、片付いていないのですが、今日は妹孝行してきました。
サンモトの本店ではとてもとてもお高いものばかりですが、春のセールは本当に凄いのです。
珍しく妹は一枚も買わなかったですが、銀座で食事をしてからこの映画を観てきました。
シャーリー・マクレーンは何歳になったのでしょうか?
ビジネスで成功し財をなした老婦人役でしたが、80代に入ってからの孤独と不安で
強気な女に扮するのですが、整形した人が年を取ると結構怖い顔になるのですね。
何だか自分の姿を見るようでハッピーにはなれませんでした。
明日沖縄編を書きましょう。