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高橋真利子さんという歌手

Posted on 2016年6月20日 by 大前伶子 in ブログ

先日BSで高橋真利子さんの特集を放映していました。

私は彼女の歌を見たり、聞いたりするとあの日を思い出します。

いまから20年前銀座4丁目歌舞伎座の隣で「日和」を経営していた時、彼女が何回か来てくださいました。

何故か?真利子さんのご主人ヘンリー・広瀬さんのお姉さんが私と同級生。そういう縁でいらしていたのですが、

私はこの手の歌のジャンルに疎く、「桃色吐息」を青色吐息と言って顰蹙を買っていました。

小さな店なので誰が来ているかすぐわかってしまう、ただ、私はどんな有名な人が来店しても

サインはだめ、せっかくプライベートにいらしているのだからそっとしてあげて、というスタンス。

たいてい客がそわそわし始めますが、だめはダメ。

先日の番組で真利子さんはご主人のヘンリーさんを仕事でもプライベートでもすごく尊敬している姿に感動。

いつも陰になり、彼女を支える姿がいい感じ。

ヘンリー広瀬さんもご実家が凄いお金持ち、余裕で真利子さんを支えている感じがします。

彼らは10年くらい結婚をせず一緒にいたらしかったが、ちょうど「日和」にいらしたとき、

NYの公演後フロリダで結婚式をされるので、一緒にいかない?と誘われたのですが、

当時店を経営していたので涙を呑んで参加できなかったのです。

その折のNYカーネギーホールでの高橋真利子さんのコンサート満員だったとか。

娘が行きたいと言ってチケットを買ったのに凄い後ろの方しか取れなかったので、「ママの友達に頼んでよ」と。

何とか前の方に家族席?を頂いたのを覚えていますが、

カーネギーホールを単独で満員に出来るのは高橋真利子さんだけじゃないかと思います。

何故?彼女が人気があるか?

駐在員へのお土産に何がいい?と聞くと必ず「高橋真利子さんのCD」とリクエストがあります。

NYの駐在員は車で遠出するのに車内で聴く音楽で彼女のが一番心地いいって聞いたことがあります。

そのCDで聴いていた本物が来てカーネギー・ホールで歌うのですから人気があるのもうなずけます。

あれ以来、高橋真梨子さんがテレビにでていると、ヘンリー広瀬さんも思い出してしまいます。

彼は真利子さんを立てて目立たず、でもしっかりと支えている素敵な男性、芸能界ではあまり見ないお二人です。

宇崎竜童さんと阿木洋子さんご夫妻も有名ですが、そういえば阿木洋子さんも学校の2年後輩でした。

もう一つ高橋真梨子さんのエピソードは次に書きましょう。素敵な話です。

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久しぶり、映画へ。

Posted on 2016年6月19日 by 大前伶子 in ブログ

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現英国女王がまだ王女様のころ、第二次世界大戦が終わった1945年の一夜の出来事を現実と空想のコラボ。

エリザベス女王とマーガレット王女が終戦の勝利に酔ったロンドンの一夜、両親に願い出て街へ出かける。

世の中が安定していない終戦を迎えた日、一般人としてディスコやパブに行く。

本当に行ったかは定かではありませんが、王女を描いた「ローマの休日」に近い。

エリザベス女王は長女として今でも燦然と輝いていますが、マーガレット王女は当時不倫相手の

タウンゼント大佐との恋愛が取りざたされたのを思い出します。

米語と違って格調高い英国英語とあの頃のドレスを見るだけでも息抜きになりました。

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年(とし)

Posted on 2016年6月18日 by 大前伶子 in ブログ

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8日、大昔の友達・・・というか中学、高校時代の友達で捜真女学校に併設されいた「捜真教会」の仲間と

毎年集まっています。「ともしび会」と名付けられていました。

この連中とは毎年本栖湖でキャンプをしていました。

キャンプファイアと歌が付きものでした。今でもそのころに歌った歌詞カードが配られます。

会ったとたん「年取ったなぁ」と感じるのですが、歌ったり飲んだりしているとあの時のまま。

マイクを持っている人は当時医学生でしたが、もう80歳だそうです。

若いころは素敵でした。まだ医者の卵で、卵が孵っていなかったのですが、誰かが怪我をしたとき、

お腹が痛いとき、彼の出番でした。

私がまだ高1の時、一つ話になっているのですが、私のあだ名「ネオ・ライオン」と言われていたのです。

私はすっかり忘れていたのですが、この医者の卵が、本栖湖で私が捻挫してしまい、

医者の卵がやって来て、ライオン歯磨きを足首に塗ってくれたのです。

次の日治ったのでみんな大笑い。それ以来私のこと「ネオ・ライオン」とあだ名がついてしまいました。

藪医者と呼んでいましたが、彼は今でも地域医療の現役です。

20人ほどが集まりましたが、この会は本当に長い付き合いです。

最後に祈り、また会う日までと来年の再会を約束しました。

 

 

IMGP5483

その後白楽へ。母がまた転んで歩けなくなってしまいました。

妹が大変なので、2泊して帰ってきました。

朝妹が「おねぇちゃまぁ、これ読んでよ」と朝日新聞朝刊を差し出した。

”中田武仁さん死去”というタイトルが付いていて、記事事態はたいしたこと?ないのですが、

神戸市内の病院で亡くなっていたことがわかった。老衰78歳。

この方は1993年カンボジアで選挙監視員のボランティア活動中に凶弾に倒れた中田厚仁さん(当時25歳)の父、

だそうだ。

何が驚いたって78歳で老衰と書かれてあったこと。これじゃわたしゃあと3年で死んでも

老衰と言われたらどうしよう。70代で老衰って言うだろうか。

老々介護をしているとこういうニュースにとても敏感になります。

 

 このすき焼き肉人形町の今半の切り落としです。

100グラム780円、家で食べるにはこれで十分、今半の牛肉は美味しいのです。

前日に人形町で会議があり、せっかく人形町にきたのだからと漬物と肉を買い求めました。

今半で目撃したのですが、ステーキ肉5枚2万6千円買っている人を見ました。

へぇ~~~肉だけで26,000ー家でたべるのでしょうか?

人の家の事とはいえ、凄いなぁと顔をみてしまいました。普通の奥様。

レストランでステーキを食べたらその値段ではないでしょうが、ま、人さまのことはいいです。

今半の肉は切り落としでも美味しいのです。特に肉じゃがの時はここの肉だと一味違います。

 

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舛添劇場フィナーレ

Posted on 2016年6月15日 by 大前伶子 in ブログ

騒々しい劇場も終わってしまった。

高1の娘と中Ⅰの息子の話も出て涙したと報道されていたが、これまでどれだけ心配したか。

人さまのお宅の事であっても、子供に罪はないですから。奥さんには何故?という疑問がついて回りますが、

あの意思の強い舛添さんの上を行く奥さんとお見受けしますから、

案外終わってみたら、もう何も答える必要がないと口をつぐんでしまうなんて、政治資金のあり方も

政治家だったら手を付けたくない事案でしょうから、これで the end

民衆、会衆、がくや、マスコミ、は梯子を外されました。

以前書かれた著書はコントのように繰り返し放送されていましたが、どれだけ笑いを誘うか。

政治家としてしてはいけないことを著書にしたためていましたが、それをご自分が実行して見せてくれたのは

ほどんど笑いを誘ってしまいました。

それにしても舛添さんって友達がいなにのだなぁ、と想像してしまいます。

小さいときからお勉強が出来て、東大法学部に現役で入学し、その後政治学者としてマスコミに重宝され、

ルンルンで政治家に転身、失敗なんて自分の辞書になかったのでしょう。

あの悔しそうな顔はそのきかない気の強さに表れています。

北九州の八幡に生まれ、東京大学に入った時から国を司る夢を見て生きてきたのでしょう。

彼は自分で首相にはなって見せる、くらいの野心があったと思います。

まさか、まさかのホテル三日月でぼろをだしてしまいました。

最初から家族旅行だったと言ったら、ここまで都民が怒らなかったと思いますよ。

ホテル三日月って家族旅行には近くて打ってつけですから。私は2回行ったことがありますが、お風呂、あかすり、

サウナ、プールと一日すごく楽しみました。

ホテル三日月さんはイイ宣伝になったでしょう。この宣伝効果はお金に換算したら・・・・

それにしても舛添さんの錬金術も相当なものですから、これからは誰に遠慮に要らないので

ネット・オークションでお好きな絵画を買うもよし、中国服で書をしたためてもいいのですから。

明日からメディアは何を追うのでしょうか?

あ、そうです、次の都知事候補を選ばなくては、前々知事と前知事と同じ轍を踏まないようにお願いしますよ。

 

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週刊誌と侮るな、か。

Posted on 2016年6月13日 by 大前伶子 in ブログ

1か月ほど前に「週刊文春」が暴露した舛添都知事問題、何と尾を引いて彼の辞任要求までされている。

しかし、この問題が週刊誌で掲載されなかったら、まだ舛添さんんは東京都の知事として職務を務めていたのでは?

ただ、今回の反響を見ていると、彼が起こした小さな積み重ねが、ここまで大きくなるのは彼の尊大な態度が

都庁の人たちも腹に据えかねていたのでは?

もういいじゃない、とか、これ以上可哀想という言葉が聞かれないのが彼の不徳の致すところでしょうか。

フランスでは子供にいい音楽を聞かせるのは教育にいいからN響のコンサートに連れて行ったなんて、

フランス風ふかすので、また、炎上してしまうのですね。

私も同じ故郷ですが、田舎者が都会に出てきて、ましてやおフランスに留学して、通訳なしに外交が出来ると

豪語していた輩ですから、子供の教育には特別配慮しているのでしょうが。

ここまでアッパー・カットくらわされるなんて、彼は夢想だにしなかったでしょう。

総理の椅子も狙っていたらしいから、なんだか可哀想になってしまいます。

実れるほどに頭を垂れるという言葉は舛添知事にはないのでしょう。

凄く打たれ強い、強靭の心臓を持ち合わせているのでしょうが、ここ数日心なしかお痩せになったみたい。

 

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日枝神社のお祭り

Posted on 2016年6月12日 by 大前伶子 in ブログ

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二年に一度のお祭り、朝から笛や太鼓の音が聞こえてきていましたが、

私は朝から大掃除、この秋からマンションの大規模修理になるので、ベランダを片付けないと・・・

今まで植木をたくさん育てていましたが、全部部屋に入れなくてはいけないので、

少し準備しようとベランダを集中的に掃除をしました。

その後ビッグカメラに行く途中、京橋でこの祭りの最大イベントが行われていました。

矢田区長とも久しぶりにお会いしたのですが、お元気そう。

「やぁ~れいこさん」と近づいてこられました。

7期目の区長で、私は何度もご一緒に食事に行ったり、飲みに行ったりしていますが、

舛添さんと違ってお金にきれいな方です。

だから7期目も自民党から推薦されなかったのにダブルスコアで区長の椅子が守れました。

 

 

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Graduation Class of 2016

Posted on 2016年6月11日 by 大前伶子 in ブログ

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大前の息子つまり私の甥の長女がめでたく中学を卒業しました。

今回15人、それも今回で日本を離れる人、それぞれの国に帰る人、日本的な卒業を体験させたいと

この華やかな卒業式になりました。

私にも招待状が来たので、小さいときから可愛がっていた子なので喜んで参加しました。

それにしても盛大なセレモニー、一人ずつスピーチをしました。

若いときから自分の主張をきっちりと言う習慣なのですね。

15人それぞれ母国は違いますが、とても素敵なスピーチを聞かせてくれました。

日本語がほとんど出来なかった人もいたらしく、小学校6年間と中学3年間で9年の勉強でようやく日本語も話せるようになった

子供もいて、ユニークな卒業式でした。

全員着物を着たのは、彼らはこれから先このような日本的な風習を記念にしていきたいとの父兄の願いだったみたい。

仮想行列の体がありましたが、みんなとても嬉しそうでした。

 

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Duo YUMENO 夢乃

Posted on 2016年6月10日 by 大前伶子 in ブログ

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BBTの番組でも紹介された琴、三味線、チェロのデュオ、NYと日本のみならず海外で活躍していらっしゃるお二人です。

1815年制作のチェロはいかにもその雰囲気が出ていて素敵な音でした。

ただ、私はクラッシックが好きなせいか、現代音楽は聞きなれないということもあり、違和感あり。

NYフィルハーモニーのコンサートに行ったときも、現代音楽は不協和音が気になり、

没頭できなかったのですが、昨日のコンサートもある意味そんな感じかなぁ。

2005年作曲とか2014年のものはどう聴いたらいいのかわかりません。

この音楽でNYが受け入れてくれるって凄いです。

モーツアルトもバッハも作曲したときは聴衆にどう反応されたのか、長い年月がかかります。

私は勉強不足だから武満徹さんの作曲も違和感で、コンサートの時むずむずしたのを覚えています。

現代作曲家がこれから残る音楽を演奏し続けるって大変だと思います。

ジニーが一生懸命彼らの売り出しに頑張っているので応援です。

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大樋長左衛門を襲名されました

Posted on 2016年6月9日 by 大前伶子 in ブログ

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大樋年雄先生が第11代大樋長左衛門を襲名されて、昨日から日本橋高島屋で襲名記念を開催されています。

6階美術画廊入り口にはほどんどの大臣からのランの花が寄贈されていて、それは見事でした。

大樋先生とはもう10数年NY-東京陶芸コンテストの審査員をしていただいているので、NYでお会いすることが

多いですが、いつ作品を作っておられるのか、お付き合いも広いし、ちゃめっけもある大御所とは思えない方です。

裏千家のお茶席も設けてあって、お客様も大勢、凄いファン層を感じました。

こういう陶芸はお好きな方でないと良さもわからないので、わたしのように凡人はとても難しく感じますが、

大樋先生の作品は温かみがあって素敵です。先生の人柄です。

いつもNYへご一緒する海老沼彩花さんとお祝いに駆けつけました。

 

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今時のつまらないお笑いを見るより、面白かった舛添都知事

Posted on 2016年6月7日 by 大前伶子 in ブログ

舛添バッシングが止まらない、止まらないというより今回の第三者の弁護士の弁を聞いて

火に油を注いでしまった。

もっとも弁護士というのは依頼者の味方になるのが普通、都民の味方になんてあり得ない。

まぁ、舛添氏はのらりくらりと逃げ切る腹積もりだと思うが、

彼の子供2人?珍しい名前なので目立つだろうし、どうしているのかなぁと思う。

気の強い妻と厚顔の両親の元、ホテル三日月で遊ぶくらいの年齢?他人ことながら心配。

 

 今回都庁から提出された舛添さんの海外豪華視察の資料、金額や人数の黒塗り、まったく読めない資料、

私思い出したことがあります。

私がNYに住んでいて某旅行社でツアーガイドをしていたことが4年ほどあります。

その当時日本はバブルの真っ盛り、勿論バブル紳士もたくさんNYに遊びにきていましたが、

政治家、地方自治体の市長や議員さんが主なお客でした。

彼らは年に一度「お疲れさま会?」で団体旅行を慣行していました。

ある地方の市長さんグループがNY視察と称してきた時の事、忘れられない事件がありました。

私はその地方の特徴を調べて、NY市庁舎を訪問、担当者にコンタクトを取り、NYでの取り組みをお話ししてほしいとお願いしていました。

彼らを連れてNY市庁舎に行った時の事、玄関先で集合写真を取ったら、もう買い物に行くからと

その後の行動をドタキャンされました。写真さえあれば証拠になるから「もういい」なのです。

私の顔はどうなるのよ、と怒りましたが、彼らは視察何てどうでもいいのです。

その後の私の気持ちは爆発寸前、買い物も孫に頼まれたブランド品の雑誌の切り抜きを持ってきており、

その調達に夢中でした。

かように、視察旅行なんて、そんなもの、ストリップ劇場に連れていけとか、あのねーちゃんに声をかけてくれ、とか

それはそれはひどいものでした。

選挙民が見ていないところでは何をしてもOKという感じがしました。

8人で行ったレストランでも総額の領収書を全員が欲しがりました。

都庁の職員がそうだとはいいませんが、あの黒塗りの報告書には通訳やガイドの人数など

実際と請求が異なることが書いてあるのでは?と疑います。

これは舛添さんだけの話ではなく都庁の一部の人の不正がばれるのではないかと黒塗りにしている可能性がある。

都知事は変わるけど職員の一部はいい思いをしているので口に手を当てて漏れないようにしているのでは?

舛添さんだけが使った経費だったら黒塗りにする必要がないではないですか?

こういう議員さんや高級官僚など、私たちが知らないところで税金の無駄使いをしています。

 

 ついでに書きますが、ある雑誌社からこういう依頼がありました。

「ある地方自治体の人たちがベニスに消防事情視察」という旅行をしたのだけど、どれだけ信ぴょう性があるか

原稿を見てほしい、って。

だって~~~ベニスって消防自動車はまず自動車は走っていません。

ま、水上消防方法は熟知しているでしょうが、あの町は車は走れません。人間もゴンドラで移動ですから。

私はその旅行日程をみて、「観光よ」と一言のもとに切って捨てましたが、

NYで旅行社に勤めていて、本当に海外視察を熱心にした人を見たことありません。

本当にその国を知りたかったら自分のお金で行かないと、金魚の糞みたいにただくっついて行くだけ、

選挙民がいないところでは何をやってもOKという風潮があるのを身に染みて覚えております。

海外視察なんて、自分のところもしっかりできていないですから、何をかいわんや、です。

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