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9世紀の日本僧侶中国への旅と現在の関連性

Posted on 2015年9月8日 by 大前伶子 in ブログ

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赤坂のキャピタル東急ホテルで行われたアメリカンクラブ婦人部9月の会合に招待された。

日本語と英語半々で、行われた講演会バージニア阿南史代先生の中國歴史のお話しでした。

阿南史代先生は前駐中国日本大使である夫阿南惟茂氏と共に1983年以来3度にわたって中国に滞在。

西暦838年の頃の高僧円仁の活動を阿南史代先生は現在を辿って植樹など、地球市民として活動されている。

 

 銀座教会のお友達(向かって右)にお招きいただきとても上品な人々「ご機嫌よう」の世界の方たち。

左の方はNYでギャラリーと絵のお仕事をされていて、NYの話に花が咲きました。

もう35年NYに住んでおられるれっきとしたニューヨーカー。来年3月には又私が

「NY-東京陶芸コンテト」が開催されるので再会をお約束しました。

 

 キャピタル東急ホテル、新築されて初めてでしたが、以前のヒルトンホテルから

古いキャピタル・東急を知っている私は何だか迷路に入ったようで、落ち着きませんでした。

今回ホテルオークラが建て直されるのですが、何だか寂しいですね。

古き良き時代のホテルも捨てがたいものがありましたから。

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戦後70年

Posted on 2015年9月6日 by 大前伶子 in ブログ

IMGP3745ベランダのドアーを開けたら

トンボが入ってきました。虫かと思って殺虫剤を取りに行ったら、天井に止まっているではありませんか?

じっと止まったままなのです。

こんな都会で、しかも11階まで、何と可哀そうなトンボなのでしょうか?

昔よく蓼科で大前の子供たちとトンボとりをしたと懐かしい想いです。

秋の風情ですね。

 

今では知らない人の方が多いと思いますが、先日テレビで渡辺はまこさんを特集していました。

「ああモンテンルパの夜はふけて」という歌が大ヒットした戦後を代表する歌手です。

渡辺はまこさんは私の母校「捜真」を卒業され、音楽大学をを出られて、その後母校に奉職されたと聞いています。

歌謡曲なんてもっての他という厳しいミッションスクールだったのですが、

その後何度も母校へいらっしゃいました。

彼女は「従軍慰問」をされていて、戦後7年が過ぎた時、フィリッピンのモンテンルパの収容所に

150人の日本人戦犯として収容されていることを知り、その頃フィリッピンとは国交がないので、

慰問に行かれずに悲しんでいる時、モンテンルパの死刑囚からトイレット・ペーパーに書かれてある

歌が届きました。

その歌に感動して「モンテンルパの夜はふけて」として発売すると瞬く間に大ヒットしました。

その後渡辺はまこさんは彼らを日本に帰国させようと奔走し、500万人の署名を集めた、フイリッピンの

当時の大統領キリノさんに届けた。

大統領は日本兵に家族を殺されていたので、日本を憎んでいたのですが、キリスト教徒の大統領だったそうで

「日本人はこんなに美しく哀しい歌を作る優しい心を持っている、戦争がわるいのだ、憎しみではなく

愛と寛容が必要だ」と思い日本人全員の釈放を決心したと記されています。

渡辺はまこさんの悲願が叶えられたのでした。

戦後70年を迎えて、学校の先輩が特集されていて、胸が熱くなり、

やはりどんな戦争もしてはいけない、と。

何度も書いていますが、私は人より戦争を身近に感じることが多かった人生。

第二次世界大戦の2日前に生まれ、朝鮮戦争は父の故郷対馬で大砲の音をドンドンと腹の底から

ひびくような、地響きのような・・・体験をし。

第一回目のNY滞在中ベトナム戦争を身近に感じ、湾岸戦争も二度目のNY在住中に経験し、

そのすさみようは恐ろしいほどでした。街にはドラッグでその恐ろしさを緩和している

患者が溢れていたし、マンハッタンのダウンタウンなんてとても歩けない怖い街でした。

今日の日曜討論を聞いても、安倍政権の無理に通過させようとしている安保法制、

熟考を望みます。さすがに今赤紙一枚で戦地に送られることは無いと信じますが、

「日本のいちばん長い日」に描かれている陸軍みたいなことが現実に起こってからでは遅いですから。

 

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好評に答えて・・・

Posted on 2015年9月5日 by 大前伶子 in ブログ

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先週白楽で妹が凄く喜んでくれた天ぷら。

今週もまた天ぷらが食べたいって。

築地に寄って行く時間がなかったので、近所のたった1軒しかない魚やでエビを調達し、

三浦三崎から直送というシラスの生とエビ、三つ葉を入れてかき揚、レンコン、かぼちゃ。

母が喜ぶことは勿論ですが、私はいつも介護してくれている妹が喜んでくれるのが一番重要。

彼女は50歳までOLをしていたので、料理というとパソコンで調べて作っているらしい。

そりゃぁ、主婦や料理やをしていたねーちゃんにはカナウマイ。

毎日母が食べてくれるものを考えているらしいが、いかにせん主婦未満。

かき揚ってどうやってくっつくの?と。大き目のスプーンに材料を取って、油にそっと入れるのよ。

と言って教えても絶対に自分では作らない。散らばらないわねぇと言っておりましたが。

絹ごしの豆腐で味噌汁も。どうしておつゆが美味しいの?

絶対に出汁を取るのに手を抜かない、丁寧に、丁寧に。

家庭料理の基本を毎週白楽では作っています。

 

 

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あっぱれ晴天!

Posted on 2015年9月3日 by 大前伶子 in ブログ

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上の写真は私が北京に行った時写した天安門の隣、北京飯店の写真です。

この青空!!本当に私が見て撮った写真、誰に言っても信用してくれなかった青空です。

2年前の国慶節(10月)に初めて北京に行った時、信じられない青空。

東京でもめったに見られない絵に描いたような空でした。

 

IMGP3733

この写真は今日天安門広場で「抗日70周年のお祝い」が開かれている北京の青空です。

テレビで写される青空に「ほらね、北京で青空が見られるのよ」と言いたくなりましたが、

彼らは空まで統制で作り上げるのですかねぇ。

「私北京に行ってきたのよ」と言うと決まって「空気が悪かったでしょう」というリアクション。

「それがねぇ~物凄い青空だったのよ」というと決まって「へぇ~~~?」と怪しい声を出されてしまう。

「あ!判った!大前さんが北京に行くって、政府が怖いおばさんに北京の空が灰色だったと言われないために、

工場を停めて、車の排気ガスも制限してがんばったのよ」と言われてしまった。

私が行くからじゃなくって、こういう空が欲しいと中国の首脳が望めば出来るのです。

東京だって昔私が横浜から東京に湘南電車で通っていた時、川崎辺りはスモッグで灰色でした。

空気がきれいになるプロセスは我を張っていないで、日本をお手本に頑張ってほしい。

ただ、抗日をわざわざ今回のパレードに出す必要があったのでしょうか?

国民党=蒋介石では?台湾。軍事パレードを見せつけていましたが、

コピー商品大好きなお国、諍いはもうぜったに起こさないよう、中国好きな私は今後に期待します。

 

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エンブレム騒動

Posted on 2015年9月2日 by 大前伶子 in ブログ

今回のエンブレムが発表された時初めて佐野研二郎というデザイナーを見た。

爽やかで今風な風情が感じられたが、メディアによって次々にあぶり出される彼の行状。

最近のトーンは如何にも悪いことをした!というバッシングの嵐。

彼の今までのことを知らないから判らないけど、どんどんダーティーなイメージが作られている。

多分いけいけどんどんの精鋭のデザイナーという売り込みだったのでしょう。

何だか可哀そうになるほど苛め抜いている。

出来レースという噂もあるが、もっと黒いイメージは森喜朗、遠藤利明五輪担当大臣のしたたかさ、

能無しの文部大臣、すべてこんなに顔に出ている人達も珍しい。

何でオリンピックが文部大臣だったのかもわからないですが、急遽設立した五輪担当大臣の頭悪そうな動き。

特に森元総理の機嫌の悪さは「思いどうりにならない苛立ち」が顔と態度に現れている。

こんなはずじゃなかった、という後悔か、一人理論だっているふりをしているのが舛添東京都知事。

これもしたり顔で嫌な感じ。

もう、せっかくだからオリンピックご辞退したら?

ここまでケチついているのに、いったい誰がこの収拾をするのでしょうか?

3人集まると文殊の知恵と言ったものですが、これだけ頭悪そうな人たちが集まっても結論でませんよ。

昔のオリンピックは今みたいにネットも情報も瞬時でなかったから、案外もらう人はがっぽりもらって

人民は知らないうちにハッピーに終わりましたが、今じゃ何でもすぐに情報が取れるので今後

ずっとこういう状態が続くのでは?

安倍さんも何だか体調が悪そうだし、安保法案はアメリカと約束してきたし、

どうすればいいのよ~~真夏のオリンピック、もし今年のように暑かったら外国の

いい選手を送り込まない可能性があるでしょうね。

もういいよ、やめようよ。あ、もしかして私生きていないかも。

 

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青葉インターナショナルスクール見学

Posted on 2015年9月1日 by 大前伶子 in ブログ

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8月に王さんをお連れして行った時は夏休み中だったせいか生徒がいなかったので

今一つ学校のイメージが掴めませんでしたが、今日は新学期楽しそうな子供たちを見てきました。

王さんのご主人徐先生と教室での姿や給食など拝見してきました。

ここ青葉インターナショナルは9月初めで学年が変わるので、中国も同じだそうです。

日本は4月始めが新学期ですが、これは世界標準にした方がいいと思います。

この議論は良く言われては消えていますが、9月が新学期の方が夏休みを思いっきり楽しめる。

徐先生もこの学校に自分の子供を入れるとなると、大森から通えないので、

近所に引っ越ししようかなぁと。

光が丘って遠いようですが、六本木から大江戸線で1本ですから案外行きやすい。

徐、王夫妻は子供たちを日本の学校に転校する決心をしているようです。

 

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料理って・・・

Posted on 2015年8月31日 by 大前伶子 in ブログ

手を加えることで美味しくなるとは限らないが、

昨日実家で何年かぶりに天ぷらを揚げました。

写真を撮ろうと思っていたのですが、温かいうちに食べたいとがっついて、

「あぁ、美味しかった!あれ?写真撮るの忘れた!」てな具合で写真を撮る前に胃袋に入ってしまいました。

小さ目の車海老だったので、一匹で揚げるのは貧相だから、三つ葉を買ってきてかき揚にしました。

あとレンコンも。

まだ青いですが柚子が出ていたので、柚子と塩、丁寧に削り節で取った出汁で天つゆ。

椀は蛤の潮汁、母は珍しく完食。こんなに喜んでくれるのなら毎週作ってもいいです。

ただ、少人数で天ぷらやフライをするのはどうしても後の始末が大変なので、

天ぷらは天ぷら屋さんに行くというあんばいですが、こうして自宅で作る天ぷら良いものです。

正しい食事をしているところに問題は起きません、めんどくさいという心が人との絆を破壊します。

自宅でめんどくさい料理を作るというのは、どんな一流料理人が作る料理にも叶わぬ効能を持っているということを

実感したのです。油の始末なんて末端のことです。

 

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ネット・ビジネス・カレッジの発会式

Posted on 2015年8月29日 by 大前伶子 in ブログ

以前文春の編集者からご紹介頂いていた「佐藤きみひろ」さんが立ち上げたNBCが本格的に動き出したとのこと。

ご招待頂いていたので、楽しみにしておりました。

ゲスト・スピーカーは田原総一郎さんでした。彼はさすがにメディア慣れしているということでしょうか?

お話は凄く面白かった。

何十年ぶりに日比谷公会堂に行きましたが、重量感あふれる、レトロな公会堂で、

なんでも今はコンテンポラリーな建物が多い中、凄く落ち着くいい会場ですね。

聴衆は1500人ほど、佐藤きみひろさんの集客のテクニックは凄いと思いました。

田原総一郎さんはテレビと違って親しみやすいお話しで、彼のテレビ東京時代の面白いお話しとか

電通に散々してやられたお話し、憎き電通の話は大前と同じで共感しました。

7時から場所を第一ホテルに移して、懇親会がありましたが、今日のお客は20代が圧倒的に多かった。

若い人は頑張っていますよ。IMGP3713IMGP3715

日比谷公園では盆踊り大会が開催されていました。夏も終わりましたね。今日は何となく寒く一枚羽おりたくなりました。

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久しぶりにボンマルシェ

Posted on 2015年8月28日 by 大前伶子 in ブログ

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打ち合わせをするのにやはり落ち着くのは築地のボン・マルシェ。

イタリア料理ではありますが、デザートにかき氷。

今年二度目ですが、前回は「かのこ」の宇治金時でした。

昨年はついに食べそこなった氷ですが、ここ数日涼しくなりましたね。

あの暑い日も遠くなったのでしょうか?

お風呂屋さんに行くとき公園の桜の木の葉が黄色くなって落ち始めています。

長かった夏もあと僅か、氷が恋しいなんて遠い昔になってしまうのです。

今年もあと4か月、年々一年が早まっています。

もう11月12月のスケジュールが入ってきていますが、何だかせわしない日々です。

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何歳が適当なのでしょうか・・・

Posted on 2015年8月24日 by 大前伶子 in ブログ

週末母をお風呂に入れている時、「ねぇ、もういいのよ、適当に死にたい」って。

「そういっても私たちはおかぁちゃまが生きている内は面倒を見る義務があるから、

そんなこと言われても困るわ」と言う会話が毎度繰り返される。

大きな病を持っていない人は老衰というので亡くなる、がそこまで行くのが大変だ。

社会学者として名前が売れていた「鶴見和子」という人は祖父は後藤新平、津田塾を出て

アメリカのプリンストン大学で社会学者となり、博士号を取った才媛だが、彼女が77歳の時

脳溢血で倒れ、半身不随になってから歌人として花開いた人生。

病を得てから新たな人生を歩んだが、死が近づいて来た時

「死ぬって面白い体験ね、こんなの初めてだわ。人生って面白いことが一杯あるのね。

こんなに長く生きていてもまだ知らないことがあるなんて面白い!驚いた」

と兄弟で語り合ったという記述があります。

そんなことを読んだ私は心で(口には出しませんが)母はまだ知らないあの世に行くということに

案外面白がっているのかも。

大型客船で世界中の船旅を体験し、行かないところはない、行かないところはあの世だけ、と

豪語していた母ですが、毎週この「早くあの世に行きたい」というフレーズを聞くのは大変です。

それでも美味しい物はしっかり食べるし、鰻も特別の所で買って来たものは

「今日の鰻おいしわね」と言うのです。

今はデラウエアの葡萄が大好きで、ご飯を食べなくてもお食後は待っています。

先日ネットで取った鰻は美味しくなかったので一口で食べるのを止めてしまいましたが、

私が上野にいってわざわざ買って持って行った鰻はかなり食べました。

昔母は鰻は嫌いだったのに、歳を取ってから好きに変更されて、案外意地悪バーサン気があります。

お寿司もその辺でのお寿司は寿司飯が美味しくないと。まぁ、うるさいのだわ。

研一の母上ゆえ、仕方ないか。

新聞はしっかり読むし、私が持って行く週刊新潮も読んでいる。

勿論研一の「大前通信」BBTの番組は毎週欠かさずだし・・・

口癖の「もういいのよ、早くあの世に行きたい」だけはよしてもらいたい。

昨日白楽のスーパーマーケットで捜真の同級生にばったり会いました。

彼女曰く「主人と10歳違いなので、もう80を過ぎているのよ、今じゃぼけてねぇ」と

愚痴をいっていましたが、今では母の代じゃなく自分の番なのを実感しました。

あぁぁ~~~生きているという事の大変さ、命は神が司っていると私は信じていますが・・・

 

 

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