カーネギーホールの前にある日本クラブビルが移転するって今回の「ニューヨーク生活」誌で知りました。ここは私が最初にNYの住んだ時丸紅の社員妻として何度もパーティーが有ったり、食堂で美味しいすき焼きが食べられていたところ。ここは現金で支払うのではなくサインでしたが、まだ、大前がマサチューセッツ工科大学の学生で貧乏な頃唯一私が連れて行ってご馳走できた場所でした。その間ビルは建て直されましたが、コロナ前まで「ニューヨーク=東京陶芸コンテスト」を毎年開催されてそのお役で開会式に出席していた場所でした。あの場所にあるのがとてもいい場所でしたのに・・・竹中工務店が買い取るらしい。NYの会員制社交場としてあそこに有るのがいいと感じていたので、何だか寂しい。
あの有名な野口英世が将棋を指していたとのこと、由緒あるクラブでした。800万ドルで売却と書いてありましたが、カーネギーホールの前でしたし、57丁目という憧れの土地でしたので残念です。
数十年前の写真、今整理しているから「こんな時もあったのだなぁ」と感慨深く・・・・先日も中学一年で席が隣になった友達が亡くなったって、何となく気になって携帯に電話したら「その電話は使われていません」というメッセージ。何となく胸騒ぎがしてお宅の電話に掛けたらご主人が出て、「千枝子は亡くなりました」とのお話、私は脳天を突き破るほど驚きましたが、今の年になったらそうよ、そういう年なのよと納得しましたが、ご主人が「どんな方と付き合ったいたのか全く知らなくて・・・」とのお話、そうよね、お互いにあだ名で言い合っていたので正式な名前なんてわからないわよ。葬儀の時に使ってもらう写真を娘に言いおいていますが、彼女は聞きたくない話なので「はい、はい、わかりましたよ、何度も言わなくていい」とつれない返事、聞きたくない話とみえてカラ返事されています。