柴裕子さんは元々3%の会でお会いしたことがあるのですが、
今日はその関連でお誘いを頂きチェロとピアノのコンサートに行って参りました。
ドミトリー・フェイギンさんのチェロ、絶品の音色でした。奥様の浩子さんのピアノで。
彼はロシア人だそうです。最近小原孝さんのコンサートでもロシア人のバリトン歌手が素晴らしかったけど
ロシアが続きます。サンサーンス作曲白鳥など、思わず白鳥が踊ってるのかと錯覚してしまいそうに見事な演奏でした。
6曲はプログラムにありましたが、アンコールの3曲も素晴らしかった。

柴裕子さんは元々3%の会でお会いしたことがあるのですが、
今日はその関連でお誘いを頂きチェロとピアノのコンサートに行って参りました。
ドミトリー・フェイギンさんのチェロ、絶品の音色でした。奥様の浩子さんのピアノで。
彼はロシア人だそうです。最近小原孝さんのコンサートでもロシア人のバリトン歌手が素晴らしかったけど
ロシアが続きます。サンサーンス作曲白鳥など、思わず白鳥が踊ってるのかと錯覚してしまいそうに見事な演奏でした。
6曲はプログラムにありましたが、アンコールの3曲も素晴らしかった。

今まで土曜日は母に何か作って食べてもらおうと張り切って行っておりましたが、
妹だけになってしまい行くのどうしようか?やはり10日の納骨式の日まで母が家にいるので行ってしまいました。
やはり十字架の箱に入っているのを見るのは寂しいが、これも現実だからしょうがない。
研一は生前母が頼んだところ、ゴールド・コースト、熱海、軽井沢の三か所は「巡礼の旅」を終了してくれました。
何処からも写真を送ってくれて・・・優しいわ。
最後にアーメンって書いてあるので笑ってしまいました。母もパスポートをお棺に入れてあげたので、
何処へでも行けたでしょう。息子が連れて行ってくれるから。
母が生きている時はお風呂屋さんに行っても「待っている人」がいるから焦って帰らなくてはと思いましたが、
その母がいないので、いくら、何時間お風呂屋さんにいてもいいのに、待ってくれている人がいないのって
絵も言えない寂しさがあります。
セーブしなくてはいけないことが無くなってしまったので、糸の切れた凧になったように9月15日から2週間
気持ちの整理をしにニューヨークへ行ってきます。
ニューヨークは私の原点ですから。
長年お世話になった「ホテレス」の50周年記念パーティーに参加させていただきました。
何だか久しぶりに華やかな場所で面喰いました。
長い事介護をしていたので、こんな世界があったことを忘れていました。
パレス・ホテルで2000人?満員のお客様でした。
テレビで見る顔、雑誌で見る顔、ニュースでみる政治家、有名経営者、等々。
目まぐるしく凄い方たちのオンパレード、ホテルもこれから4年先のオリンピックを控えて、
大いに盛り上がっていました。
終わってから村上専務のホテルの部屋で飲みなおし、昔からの友達や社員が
村上御大を慕って集まっていました。
こんな席に参加でき仕事を離れて昔話など・・・久しぶりに11時を過ぎてしまいました。
先日妹が「ねぇ、おねぇちゃま大変なことが起きたのよ」と申しました。
何が大変か・・・彼女の出生地が”長崎県対馬”になっていたのですって。
確か彼女は大阪の東住吉区鷹合町だったか、大阪の橋の下に捨ててあった子を拾ったと
言われていましたが、確かに我が家の次女なのです。
70歳になって初めて戸籍謄本を取って判ったのですって。
今回のように母のことで戸籍が必要になり、初めてじっくり見て知った有様。
そういえば私だって丸紅に入社が決まった時、戸籍謄本を出した時、私の誕生日が言われていた日ではないことに
気が付きました。
戸籍はなおせない法律らしいので、私はイヤも応もなく正式な書類には戸籍通りになってしまいましたが、
戦時中や戦後世の中がせわしなく激動していたので、戸籍何てどうでもよかったのでしょうか?
従って私は3か月遅く戸籍の誕生日が来るのです。
まだ両親が元気なころ母が「だから田舎はいやなのよ」と父に文句を言ったら、
父は「何を言ってるのか、少しでも娘の年が若い方がいいだろう」と。
9月生まれなのに当時は本家に戸籍があり、分家していなかったので対馬の田舎に頼んだのが
こんな羽目になった。私はどちらでもいいのですが、それ以来本当の誕生日と戸籍の誕生日があり、
もうこの年になったら3か月でも若い方がいいかなぁ。
妹はパスポートに出生地というところに「大阪」と書いていたのにこれからは「長崎」になるのよぉ、と
ご不満であらせられました。
別に皇室に嫁ぐわけじゃなし、70歳からのパスポートにそう変更したらいいだけだから。

自由になった日曜日、朝銀座教会へ久しぶりに行きました。
やはり週の初め礼拝から始まるのはいい気持です。
礼拝が終わってからシネスイッチで上映している「はじまりはヒップホップ」を観てきました。
上は94歳のおばぁさん、ほとんど80歳代のニュージーランドの島に住んでいるバーサマ、ジーサマの
元気な姿をドキュメンタリーを含めて笑わせます。
アメリカのラスベガスでコンテストに参加すると決めてその費用や体の状態、ヒップ・ホップを踊る姿が
また可愛いのです。
アメリカ人もそうですが、年を取るにしたがって明るい洋服になっていくのですよ。
ラスベガスまでの行程やその宿泊先での奇想天外な行動など、
大いに笑わせてくれました。
母をあの世に送ったばかりの私は「あぁぁ・・・あんなに元気なおばぁさんもいるのに」とちょっと悲しくなりましたが、
それでも人間寿命がありますからね。
明るい色の服を着て、好きな映画を観て、小原孝さんのピアノを聴いて、美味しい物を食べて・・・
満足、まんぞくと呪文を唱えています。
明日は大竹しのぶの「後妻業」を観る予定、学ぶものはあるでしょうか?

昔は中華を食べようとすると中華街まで行くのが当たり前でしたが、最近はとんと行かなくなっていました。
今回ゆみこさんがここ「清風楼」の冷やし中華は8月いっぱいで終わるので行きましょうと誘ってくださいました。
何年ぶりでしょうか。すっかり様変わりしている中華街でしたが、雰囲気は中国風。
清風楼って「あいそなし」が名物!店主の女主人は本当にこれで店を経営しているのか?と思うほどです。
ココでのかに玉は絶品でした。美味しいから行くのですが、愛想なしも売りのひとつらしい。
シュウマイも名物。写真は8月いっぱいの冷やし中華そば。
そういえば昔定期試験が終わったら父が中華街の「同発」でご馳走してくれたっけ。
まだ母の遺骨が実家にあるので、カーネーションを買って行きましたが、
存命のころを思い出して何度も妹と涙しました。
思い出が多すぎるのであの家に行くとやはりまだツライ。
膳場さんを週末の番組に回してニュース23の視聴率が下がったって。
私はよく遅くなって観るニュースに今までの体制で落ち着てい良かったと感じていたのですが、
最近になってパリから帰国した「雨宮塔子」という元アナウンサーを持ってきた。
地味な番組だと思って安心しながら観られる唯一と評価が高かったのですよ。
先日そのつもりで観て「雨宮塔子」のしなびた姿に驚きました。
まだ、46歳?ほほはコケていて、貧相な姿に驚きました。
それと以前アナウンサーだったなんてどう見ても思えないたどたどしさ、
パリ帰りのスマートな女性を狙ったのでしょうがTBSもどうしょうもないです。
観ていても可哀想になるくらい、あれだったらいない方がマシだと感じました。
ネットを観ると彼女の老け方に驚きの声が満載、TBSもここまで彼女が貧相になっているって思わなかったのでしょうね。
パリ帰りはどうしても岸恵子さんを思ってしまうので、いくらパリに住んでいても
誰でもがあのような素敵な女性にはなれないのだなぁ。

熱狂的なオリンピックファンではないのですが、それでも今年リオのオリンピック、私にとって特別なものになりました。
母の状態が大変悪くなり医者から「今日か明日ですねぇ」と言われていた時期に開会式が行われました。
ほどんどテレビをみないか、またつけていても心ここになく、いつもドキドキしながら毎日を過ごしていた。
しかし、大前の番組でオリンピックの開会式は良かったというコメントがあったので、観ていれば良かったと。
先ほど閉会式をしていましたが、小池百合子さんが次の開催地に手渡される旗を受け取る儀式をしていました。
舛添前知事がなんとしてもこのイベントに参加したいとみっともないほど拘っていたのですから、
彼はどんな気持ちでいたのでしょうか?
小池知事の着物姿もあでやかで良かったし・・・この場面で舛添要一がテカテカしながら出てくる場面は想像したくない。
それにしても・・・リオのオリンピックが開催される数か月前にはマスコミで盛んに
まだ準備が出来ていないとか強盗団が爪を磨いて待っているとか、大統領が汚職で辞職しているとか、
負の報道ばかりでした。
今日フィナーレを観ていて、南米独特のラテン系明るさで、良くできていました。
さて、4年後の東京、リオを馬鹿にしていた論調からここまで素晴らしい演出が出来るプロデューサーが
いるのか?はなはだ疑問です。
よそ様のことをあまり言い募るマスコミも少し落ち着いて東京オリンピックを捉えてほしいと思います。
私は前にも書きましたが前回の東京オリンピックは丸紅で「花のOL」をしていたので、
そういう意味で今回のリオのオリンピックの最中に母を亡くした年としてずっと思い続けるでしょう。
京都亀岡という温泉渓山閣という旅館で「スーさんのセミナー」が開かれました。
スーさんのお嬢さんのNYでの結婚式に参加する予定が母の事でドタキャンしたので、今回は何としても
参加せねば・・・と行って参りました。
良くできたセミナーで、スタッフたちの努力は大変だったでしょう。
ただ、このところ旅館といえば「熱海のせかいえ」にばかり行っていたので、
今回の旅館の旧式!30年前の旅館にタイムスリップしてしまいました。
スーさんの配慮でベットではありましたが、かび臭かった。
ただ、ベットの脇に「当館の枕、ベットパットはエアー・ウイヴを使用しています」というカードが置いてあり、
その寝心地の良さに、早速私も買い求めたい!と気持ちが動きました。
ただ、以前「ホテレス」のパーティーでこの会社が主催されたことがあり、その時も気持ちが動いたのですが、
なにぶんにもお値段が高いので躊躇していました。
その折”ざぶとん”の引き出物を頂戴しパソコンの椅子に使わせていただいていますがいいですよ。
田舎宿失礼! ただ、昔風という意味です。
100名という団体のせいも値段というせいもあると思いますが、
当日の夜の食事に驚きました。
今時20年以上前の形式、温かいものは皆無、勿論卓上コンロのようなものに
肉2枚と屑野菜の温かいものはありましたが、それもおざなり、
フライは朝揚げたもの?と感じるカチカチに硬くなった(そっくり返った)もの、
グラタンらしきものも冷えているので味がゼロ、すべて朝作ったものを夜食べる、
駅で売っているお弁当の方が美味しいかも。
私は基本的に暖かい物が好きなので、お弁当はよほどでないと食べない。
すき焼き弁当も瞬間温める装置が付いているのが好きだ。
亀岡の温泉宿でしたが、何もかも冷え切った料理を出す、作る板前(もしかしたら板前はいないのかも)
は大昔から温泉宿しか知らないのかも。
私が生意気に「せかいえ」の料理に慣れてしまっているのです、反省。
ただ、この温泉宿にも中国の方たちが大勢泊まっていました。
彼らにこの料理が日本料理だと思われたらなんとも情けなくなります。
中国4000年の料理は素晴らしいですから。彼らは温かいものが料理として当たり前ですから、
お願いです、そっくりかえった朝揚げたフライなど出さないで欲しいです。
一人で京都を歩こうかなぁと考えていたのですが、昨日帰京して正解でした。
今日は台風で空の便も鉄道も大荒れですから。
新幹線京都駅の改札を入ったすぐ近くにあったラーメン屋に入って、
塩ラーメンを食べて”心底ほっと”しました。どれだけ温かいものが食べたかったか!
京都風の上品なラーメンスープでした。暖かい物は2日ぶりでした。
これまでの事が落ち着いたら耳のトラブルを解決しようと決心していました。
私はもう10年ほど前から左耳の雑音と難聴で悩んでいました。
見舞いに訪れた大前に「母の事が片付いたら耳を本格的に治したいのよ」と申しましたら、
神田神保町に耳鼻科のいい先生がいるよ、と紹介してくれました。
今日アポをとり行ってきました。
難聴は治すのはむりだそうですが、耳垢をファイバースコープで吸い取ってくれるのです。
綿棒はだめです!と固く言われました。
綿棒も特に太いのは押し込んでいるだけでいけないそうです。
テレビの画面に私の耳の中がばっちり、すごくリアルに見えるのです。
何だか頭まですっきりしました。3か月に一度くらいこの治療をしに行くつもりです。
自分で耳かきなどもっての他だそうです。
聴こえがよくなったみたいですっきりしました。