「新しい生活様式」を強いられて3年余り、もうマスク姿なんて当たり前になってしまった。何時解禁されるのか、今日築地までマスク、サングラス、帽子、自転車の両手に手先が出る手袋、もう地獄の出で立ちで築地まで行きました。それもビルの影を探して、築地に向かって左側、ここはほどんどビルばかりで陰になります。マスクの常時着用、デパートや店に入るのはアルコール消毒、リモートで仕事、黙食、ソーシャルディスタンス、時差通勤、イベントは人数制限、不要不急の外出制限、葬儀も少人数で、と御上が決めたことを日本人は結構真面目に実行してきました。こんな世の中に誰がした!と怒りがこみあげてきますが、もうそろそろマスクだけでも解禁して欲しいわ。暑いだけじゃない湿度が高い日本の夏は今日でも100人以上が熱中症で運ばれたじゃないですか。もう、いい加減にマスク着用だけでも解禁して欲しい。欧米はマスクしている人ほとんどいない、と聞きますが、マスクをしても手を洗っても、夜出歩かなくても、オミクロンにかかった私は、この禁欲を押し付けられている日本人はある意味御上に楯突く習慣がないから、言われたら、「はい、はい」という事聞くようにしつけられています。だから、どんな政治をしていても、くだらないオリンピックをしてもマスコミに飲み込まれていいことしたと錯覚しているのよ。支配層のいう事を聞くという日本人は大人しいいい子いい子でなりたっているのです。
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暑い一日
朝から台所の棚の掃除、要らないもの捨てる、これが半年に一度片づけていますが、どうでもいい物がどうしてこう溜まってくるのでしょう。7月9日に露生庵でのコンサートに前日リハーサル後の食事を頼まれているので、私特製のカレーを持って行く約束をしている。作ったカレーを入れるタッパの大きいのを探しに銀座のダイソウへ行ってきました。この辺はそういう銀座での買い物外の物を買うのは中々なかったのですが、このところ銀座のダイソウがお目見えして、あそこなら有るかと行ったのですが、やはり銀座では見つかりませんでした。帰りがけに築地のダイソウへ行ったら有りました。100円ショップでもそういうものは500円します。百斤なんて言いますが、この頃遠慮なく100円の物ではなく値段を上げています。今日買ったタッパは500円しました。20人分のカレーを家で作って持って行く。ミートソースも10人分作ってと・・・こうして頼まれるうちが華かなァ。
参議院議員選挙に行ってきました
私は大抵選挙の日より早く期日前投票をする習慣です。絶対に棄権はしません。ただ、候補者の名前を前にすると、あぁぁ~この人何で国会議員になりたいの?とかへぇ~~なんでまたこんなところに名前が出てるんだろう?泡沫候補と言われてもタレント候補と言われても出てくるのね。元々参議院議は要らないと言われていた時がありました。いつの間にかそういう声も聞こえてこなくて、歳費がもったいないような人が政治家を目指す。何でぇ?それだけ美味しいのよね。この暑いのに頭を下げてそれでもなりたい職業のようです。もし、私が今40歳くらいだったら「こういう日本にしたい」と思うかも。だけど、どれだけ選挙をしてきたか?いい意味で昔は本格的な政治家らしい顔と経歴があったものです。それが・・・今はタレント、名前が売れてる人が当選する時代ですから。私はしっかり候補者の顔を見て、政策を読んでから投票していますよ。そういう人は中々当選しないのよね。
断水になることを実感しました
朝は出ていた水が10時ごろ歯を磨いていて、お風呂場の水道から水をカップに入れようとしたら一滴の水も出ない。我が家だけだと思って慌ててマンションの外にあるメーターボックスを開けてみましたが、特に触った様子もなく・・・しばらくして又水をだしてみましたが、ダメでした。流石に慌ててマンションの管理組合の会長さんにお電話して、事情を話したのですが、彼は今近辺に居ないからもう少し待っててと言われました。昨今来るかもしれない大地震に備えて1L入りのペットボトルを飲む用4本とトイレ用に3本置いてありますが、今日みたいに水が出ないだけで慌ててしまった私は本当の地震が来たらもうお手上げだと身に染みて感じました。マンションの屋上のバルブの開け忘れだったそうですが、2階から13階まで私の部屋の番号が断水だったみたい。水が一滴も出ないってあわてます。有事に備えてなんて簡単に言いますが、11年前の様な事が起きるのが、そう遠くないと言われていますが、今日の教訓を生かしてもう一度備えを見直します。
ウルフギャング
とにかく暑い日でした。妹と帝国ホテルのサン・モトヤマのセールに行きもう新しい洋服は要らないと言いながら、それでもせっかく来たのだからと60%オフの夏のワンピースを一枚買いました。今年はともかく来年の夏まで生きているか分からないのでもう洋服は要らないと決めて行ったのに・・・それから娘とジョイントして3人で六本木のウルフ・ギャングでステーキディナーを。写真は2人分のステーキですが、それでも食べきれないほどでした。この店もそうですがNYが本家。Tボーンステーキががこの店の売りですが、3人で2人前でもすごい量、フレンチフライもほうれん草の付け合わせも大満足。デザートのチーズケーキも美味い。土曜日の夕方まだ早い時間だったので満員ではなかったが、5時台で80%埋っていました。やっと本格的にレストランが元気になったのを実感しました。骨のTの部分を持ち帰ったので、今出汁を取ろうと火にかけています。来週カレーを作りましょう。
冷やし中華
今日は蒸し暑かったので何を作ろうか、と考えていたところに娘からメールが来て「ママ夕食冷やし中華が食べたい」と。このところ野菜不足だなぁと考えていたところなのである野菜を全部刻んで冷やし中華の飾りにしました。自分で好きな野菜を食べる式のものです。思いっ切り野菜です。特にキャベツの隣の白いのは新玉ねぎのスライスです。これが美味しいのなんの。今新玉ねぎは熱を加えるより生が甘くておいしい。血液サラサラになるし。
過ぎしオリンピック東京大会・成功か?否か?
「JOC山下会長」が過ぎし東京オリンピックの総括をしていて成功だったと感じているらしい。橋本オリンピック大臣も「東京大会のレガシーを繋ぐ」ってまだ懲りていないのね。政治家はそれほど世間に疎くても成り立つ職業なのか。何だか怒りを感じます。東京大会の経費1兆4238億円だった。その上森会長が余計な口を出して引退する羽目になったり、コロナの為に無観客のみじめな大会だったじゃない?私はオリンピック組織委員会が近所に有り、その上身内がここで働いていたので、何と無用な大会だったのだろうと、公費負担ばかり気になっていました。橋本聖子さんは「長い旅路が終わった」とのコメントだったらしいが、もっと酷いコメントを出したのが小池百合子知事「史上最も準備が整った大会だった」と高い評価だそうだ。今出てきているコメントのどの人もまったく世相を読み切れていないのね。その上森会長に感謝だって!!森元会長は女性蔑視で辞めざるを得なかった人なのに。山下会長は2030年冬季オリンピックを札幌に誘致するのを意欲的に語ったですって。もう、オリンピックを誘致するなんて経費の無駄、誰かがいい思いをしているのでしょうが、国民はもう結構です、いりません、と思うのでは?
もう?シャネルは秋物
今日久しぶりに銀座通りを通りました。これから梅雨が始まるというのに銀座はもう秋のディスプレーです。まだ、夏も来ていないのに、暑苦しいわ。それでも入店を待っている人の行列がありました。シャネルの洋服なんで着ていくところがないからどうでもいいのですが、それにしてもファッション界は秋に賭けているのですね。今年は紫が流行るのかしら?そんな雰囲気でした。何しろ銀座まで自転車で行く人ですから、気取ってなんかいられない。電車より自転車の方が早いし、階段の上り下りを考えたら自転車が楽です。
眼がとび出るほど値上がり
10月中旬にNYへ行こうと飛行運賃を調べてみたら何とコロナ前より3倍くらい値上がりしていました。私は娘の会社の恩恵で乗せてもらえますが、一緒に行く方の値段を見ていて驚きました。勿論燃料が上がったのが理由の一つではありますが、それにしてもエコノミーでも24万円が最安値でした。以前は11万円くらいで在りましたが、値段の付け放題みたい。ビジネスクラスだと一番安いので85万円、高いのは1、230、000.ー百万以上!!誰が付けた値段でしょう。それでも満席だそうだ。コロナ禍の時は見渡しても人が乗っていなかったらしいので、その時の損を取り返すつもりかも。それでも海外に行けるという嬉しさはコロナの辛かった辛抱がやっと叶ったのです。陰性証明も要らなくなって、羽を伸ばして後3年何とか海外に行かれるだけ行きたいわ。国内は多少年とっても行く気持ちになるかもですが、海外となると、まず空港からややこしいし、着いても入国が大変。私は海外旅行は後3年と決めています。
胸がざわざわしていて落ち着かない
先日ナワリヌイ氏の映画を観てから、普段のニュースを見て現実を報道していないのでは?と疑問詞がついてしまう。戦争評論家などが何を言っても絵空事のように聞こえるのです。独裁者のプーチンが内部から崩壊するとは思えない。彼は権力が生きがいのすべてなので自分一人で世界を制している気分だろう、彼が生きている限り戦争はやめないでしょうね。もう、ロシアが嫌いになった学者や音楽家はすでにロシアという国を出ていると思います。西側と話せる人たちは自国が普通ではないととっくに悟っているから。プーチンさんは癌だとか、余命数か月というニュースが流れた時もありましたが、何と昨日は4時間の自説を述べていたじゃないですか。このニュースもいい加減だったと思います。この頃BSのニュース番組もウクライナとロシアで飽きてしまった。世界に1人こういう人がいるって,第二次世界大戦の時の日本やドイツに居た人と同じことをしているの。日本国陸軍はまだ戦争を続けるって、陛下が御前会議で敗戦を認めてもう戦争は止めるとおっしゃったにも関わらず、まだ続けるって言い続けたのよ、そんなことしていたら今の私たちは居なかった。日本は負けて良かったとおもいますよ、それでなかったらその後又戦争を仕掛けていたと。ただ、私は1968年ニューヨークに主人の転勤で当時2歳の娘と共にアメリカに渡った時感じました。行けども、行けども眼下はアメリカ領土、こんな大きな国と戦争をしたなんて、なんて日本の軍は馬鹿な事をしたのだろう、負けるに決まっているじゃないか、”井の中の蛙大海を知らず”だと心の底から感じました。ロシアの選挙でプーチンさんが100%以上に票を取るって、それだけでも変と思わなくては、日本の政治家が大好きな「忖度」でなければ、票を何度も書く人がいるのですね。ファン投票じゃないのですから。
1968年という年は私にとって特別に思う年です。ある日東京の小さなアパートからNYのウエストチェスターに引っ越したのです。当時まだ1ドル360円でした。会社から200ドル現金が支給されました。台所が荻窪からニューヨークになり、貨幣価値も運転も勿論言葉も全部違う国になり私は途方に暮れたと言いたいところですが、ものすごく奮闘したのを覚えております。一ドル136円なんて驚いてはいけません、360円の時から日本は頑張ったのです。舶来品をありがたがる風潮から輸出へ舵を切った日本がありました。