父の故郷は対馬ということになっています。
実際父は対馬で生まれ、74歳で亡くなるまで長崎県対馬で育ったのを誇りにしておりました。
朝鮮戦争の頃は大砲の音が聞こえるくらい朝鮮半島に近い、お天気のいい日は九州は見えなくても
半島はみえていました。
何故今父の故郷のことを思い出すかというと、今回の水害の姿を見て、父の言葉を思い出したのです。
大前家は元々広島の出だとのこと。父の親の代に広島は山が多いけん、住めんとよ。
従って親族の半分は対馬に,その他の親族はハワイに移民しよった、と。
実際ハワイには親戚が「オオマエ・蘭園」を、父の方は対馬で何でも屋(今のコンビニのようなもの)
そのラン園をしていたおじさんにハワイに行くと必ず訪ねていました。
今回の水害を目の当たりにして、あんなに山を崩して家屋を建てた事に悲劇が潜んでいたのです。
横浜も相当に坂の多い処ですが、今から50年ほど前はよく山崩れが起きていました。
捜真教会のトミーさんがその山崩れで亡くなったのを今でも思い出します。
今回も建ててはいけないようなところに家が出来ていたのでは?それでなかったらここまで大きな災害に
なっていなかったように思うのですが、明治の頃に父の親族はもう広島には住めないと移住を決心したのは
或いはそういう昔の知恵だったのでは?
亀井静香が音頭を取って作った広島空港だって、正気の沙汰ではないほど山奥にあります。
私はあの空港を2度ほど使いましたが、二度とも着陸に失敗し、急旋回してやっと地面に着いた記憶があります。
あんな山を切り開いて空港なんて作るって犯罪のようなものです。空港がすり鉢のような感じです。
しかも町まで1時間余り、くねくねと新しい道ができていましたが、これも政治銘柄じゃないかと疑います。
いずれにしても、本当に気の毒な災害にあった方々、早く援助の手が差し伸べられることを祈ります。