今日も一日母の処へ行っておりました。
妹が髪がのびたので、美容院に行きたいからというので朝から肉じゃがを作ってね。
すっかり衰えている母の枕元で妹と小さな声で「おねぇちゃま、あの、それ、これ・・・」
「あなたぁ、何を話したいのよぉ、アノ、コレ、ソレじゃわからないじゃない」というと
普段母と会話にならない声を出しているので、私と話すとあの、これ、それ、固有名詞がでてきていない。
私も同じだと思いますが、はっきり言ってお互い脳の細胞が働かなくなっています。
今、売れているキャスターですら、あの、あの、あの、と言っているうちに話す内容が浮かんできているのが
はっきりわかります。
ちょっとぉ、先に話を進めてよ、という一呼吸すると言葉が出てくるのは何処のチャンネルのキャスターも同じ。
「でもですね・・・」「だけどねぇ・・・」と言っているうちに何とか次のフレーズが浮かぶのです。
これはボケというより「分相応」なことなのかもしれない。
本当は一日一度声を出して本の一ページを読むと良いと物の本には書いてあります。
平等に年を取り、死んでいくのですから大いに楽しまなくちゃ。
それにしても母のような人生私たちには送れそうにない。
出戻りの娘と行き遅れの娘に遠慮なく甘えていられる、未亡人になってからはQE2の客船で世界中旅をして、
優しい息子が「おふくろ、おふくろ」と見舞い、世界中行かないところは”あの世だけ”と豪語していたのですから。
今日も母が「心臓って中々止まらないのねぇ」なんていうのですよ。止まったらあの世なのに、
あの世に対してちっとも怖くないようにみえました。
妹のたっての願い、最後まで家で看取りをしたいと決心したのですが、
考えている以上に大変ですが、誰にでも公平にあの世に行くのですから親孝行は
人間の原点です。