今ではすっかり綺麗になっている日豊本線の折尾駅ですが、この駅には凄い思い出が有りました。
妹とは5歳違いですから、母からの話は遠い出来事と思うのでしょうが、
私はこの駅について母と涙ながらに聞いた思い出がありました。
対馬生まれの父と横浜育ちの母が数分の見合いののち、親が決めた相手と結婚式を済ませて、
東海道(勿論新幹線などない時代)本州から九州へ渡って来た時の事を何度も私に話してくれました。
折尾駅で乗り換えて若松に行く今から80年以上前の話です。
折尾駅で何度引き返そうかと思ったのよ、と私は耳にタコが出来るくらいこの折尾駅の話が出たのですが、
妹に言ったら「へぇ~~聞いたことない」とつれない返事でした。
私が写真を撮っていたら不思議な顔して見ていました、私にとっては運命の駅だったのです。
あのまま母が横浜へ逃げ帰っていたら今私たちの運命はすっかり違うものだったでしょうし、
今じゃ若戸大橋も出来ましたが当時は渡し舟でした。
少しまともな買い物は戸畑へもっと大きな買い物は小倉、博多へ行っていたような。
日豊線には「中津」という駅があります。
ここも母の従弟が歯医者だったと思いますが、母と二人で行ったのも覚えております。
中津の駅に人力車で迎えに来ていたのも覚えているのですが、何で私と母が2人で行ったのか?
詳細は覚えていないのですが、人力車とその従弟の診察室はやけに覚えています。
福岡は小学校2年生の時横浜へ引っ越したので、覚えているのもあいまいですが、折尾駅や中津駅
は妙に心に刻まれています。
若松の家も以前に向研会の高崎さんが「大前家」がいまだにあると連れて行ってくださったことが
ありますが、「そういえばここだったわ」と懐かしかったのです。
当時は家の前、石炭を若松港へ運ぶトロッコが走っていた線路は残っていました。
5歳も違う妹は福岡の思い出なんて全く覚えちょらんけ、つまらん。(ここ九州弁)
そんな気持ちになるのも福岡の思い出です。
高崎さんは福岡だけじゃなく九州全土で大成功されていますから、福岡に行くと必ずお会いしていますが、
ルーツである福岡は特別な気持ちがあります。
従って九州弁大好きなのですが、前回来た時より九州弁使う人が減ったような、
テレビの影響でしょうね。高倉健に似ておられる高崎さんが九州弁使われるとほんにかっこよか~~
男性が九州弁使うのは大好きたい 。