昨日も白楽の3階で古いものの整理をしました。
この写真・・・・私が駐在員の妻としてNYへ赴任したときのものです。
これは捨てられない!まだ研一がMITの大学院にいっているころ、そう1968年のものです。
セピア色になっていますが、今でもよく覚えている。
NYから30分くらい北に行ったところにホワイト・プレーンという高級住宅地があります。
ここに住んでいたショエン・バーガーさんのお宅に研一と私と娘が招かれた時の物です。
この年月日が何時か??そう羽田空港に行くのにまだ高速道路がなく国道1号線で羽田まで行ったという頃です。
娘が2歳、今じゃ考えられないほど可愛いときでした。
お宅に招かれて初めてこういうアメリカ風もてなしをしていただいたのです。
ショウエン・バーガーさんは研一のアメリカでのお父さんみたいな方だったようです。
彼らは毎年クイーン・エリザベス号で日本にいらして、そのたびに研一がガイド兼通訳をしていたのです。
その後も多大な応援をしてくれていました。
大金持ちというのはこういう人を言うのだなぁ、と異国に行って感心したり、マゴマゴしたものです。
このお宅ワンフロア全部彼らの家でした。マンションの最上階、日本間もありました。
そこには和風の布団も敷いてあり、各部屋を見せてもらって唖然としたのをこの写真が思い出させてくれました。
テーブルに鈴が置いてあったので??と思っていたらしゃらしゃらと鳴らすと女中さんが出てきて、
へぇ~~~の連続。
どうしてこんなお金持ちになったのですか?と研一に聞いてもらったら、若いときは一部屋から始めたのですって。
そんな話、私にはお伽話としか感じられませんでしたが、本当のアメリカのお金持ちでした。
この方ご夫妻と研一が出演したカーネギー・ホールでのMITのオーケストラに行った時の事、
終わって私たちをレストランで食事をご馳走してくれました。
和やかに進んで支払いの時、MR.ショウエンバーガーさんがチェックをじっと時間をかけて注視しているではないですか?
日本人は食事の後のチェックはさーーとみるだけでカードを出す癖がありますが、
彼らは上からじっと眺めて食べたものを思い出しながら、フロアー・マネージャーを呼んでいるのです。
何事が起きたのかと心配していたら「そのメニューはそこに座っているヤング・レディーのオーダーです」と。
そうです、うちの娘のいわゆるお子様ランチ風のものだったのです。
彼らは納得して、その食事の金額と同じくらいのチップを置いていました。
私はその時初めてアメリカでのチップのあり方を勉強しました。
研一が困ったらいつでもショーエンバーガーさんに相談しろよ、と言っていましたが、その相談を
英語で言えない時をすごしていましたが、病院、車を買う、保険に入る、娘が学校に行く、
など、何も手伝ってくれない主人だったので、その後5年駐在員の奥さんとして強く生きておりました。
こういう写真が出てくると胸がいっぱいになります。