朝の番組で高田純次さんの「じゅんさんぽ」を何気なくみていたら勝鬨橋近辺をレポートしていました。
勝鬨橋って一日に5回二つに分かれてその間大きな船が橋の下を通つていました。
そうそう、当時都電も通っていたのですよ。
昭和45年を最後に開閉することがなくなりました。
まぁ、私ぐらいの年齢の人でないとその風景は知らないとおもいますが、
丸紅に勤めていた当時勝どき橋の先に倉庫があり、よくお使いに行かされて、この橋が”キンキンキン”だったか”カンカンカン”だったかの
音がしているときは都電のレールも道も45度に上がってしまい、その間待たされお使いの時間が30分ほど遅くなってしまうのです。
よく上司に銀座のデパートにでも寄ってきたのか、と疑われたしましたが、今でも勝鬨橋を渡るときはその時の想いがよみがえります。
今の矢田区長が「夢よもう一度」と勝どき橋をもう一度よみがえらせたいとの公約を言ったことがありますが、
私は「とんでもない、そんなセンチメンタルな思いに1億円もかけるなんてもってのほか」と思ったことがあります。
それより、老人ホームや子供の施設にかけるべきだと・・・
そんな人寄せパンダのようなことを考えはダメですが、あの橋を渡るとき思い出す開閉は思い出だけで充分です。
昨日築地のお料理やさんに招待されて行ったところ・・・帰りに同席した男性が気が付いたのですが、
お座敷に上がっているうちに靴がきれいに磨かれていたのです。
ひと昔の料亭は必ず下足番という人がいて、お客様の靴を磨くという話を聞いたことがありますが、
今の時代でもなおそのようなサービス、感動しました。