昨年食べそこなった白玉宇治金時氷あずき。
今年は何とか食べたいと思いながら・・・今日一人で銀座にいたので、思い切って”銀座かのこ”に立ち寄りました。
ランチにしては物足りないし、殿方とのお茶というには(例えば打ち合わせなど)まさか宇治氷が食べたいとは言えず、
1人で入るしかない。
思いっきり冷たい氷あずきを食べて”世は満足”という気分。
これも9月に入っては食べたいというものから外れますが、この暑い時氷を誘えるのは妹位。
何時銀座に来るか判らない人を待っていると又時期を逃すと思って一人で食べました。
これが、銀座でランチを食べる以上のお値段なのです。
ここの小豆も抜群に美味しい、甘い小豆の後の桜茶も秀逸。
これで私の夏も終わりにしたい。
ところで・・・朝テレビで散骨の事が話題になっていました。
私はこの散骨に大賛成なのです。というのは日本は狭い国だし、3代前までさかのぼるのがやっとの時代。
良く考えても私の先祖も母の親までしか辿れません。父にいたってはおばぁちゃんは覚えていますが、
おじいさんは私がこの世に生まれた時から一度も会っていません。
今、団地式お墓も宣伝していますが、これだって永代供養といってもハテ?何代まで補償してくれるのですか?
そんな契約書あって無きようなもの。
それなら思い切って回りが海に囲まれている日本においては海に散骨なんて大賛成。
ただ、日本においてのお骨の焼き方が今のままだと反対が多いのでは?ないかと案じます。
喉仏など丁寧に取り出す習慣がある日本においては意味あるのでしょうか?
ちなみにアメリカは骨はパウダーにしてしまうので、撒いたってどうということはないと思います。
映画「マディソン郡の橋」でも残った子供たちが橋の袂で撒くシーンが出てきますが、
この辺が日本はしっかり場所がわかるように焼くでしょう。
私はレアーではなくウエルダンにしてもらって、(骨を粉にして)
5等分に分ける。
①ま、大前家の墓(横浜霊園)に父が眠っているから1カップ
②銀座教会の共同墓地に1カップ(ここにお願いするとイースターにクワイヤの人たちがお墓の周りで讃美歌を歌ってくださる)
③ここ銀座が好きだったから勝鬨橋から撒いてもらう
④NYが大好きだったからハドソン川に撒いてもらう
⑤香港に30回以上行ってスター・フェリーに乗るのが好きだったからここから撒いてもらう
以上でOK.後々の人たちに私の足跡なんてどうでもいいのです。
生きているうちに人生楽しかった、幸せだったと感謝してこの世とおさらば出来ればすべて有り難い。
永代供養なんてちゃんちゃらオカシイししてもらう必要もない、と思うのですが考えすぎでしょうか?
生きているうちに食べたいものを食べ(例えば氷あずきなど)
ステキな人に囲まれて、理解しあって生きていたら、来世なんてどうでもいいのですが。
そんなこと言っていたら49日に閻魔様から地獄に落とされるかも・・・おお怖い。
朝のテレビを観て、反対する人たちの意見はおおむね、自分の周りに撒いて欲しくないという
こと。焼き方の工夫を考えてこれも有、樹木葬と言うのも流行っているらしい。これも粉にすればOKだと思います。
何代か後に樹木を植え変えたら、骨が出てきたというのはまずいから、パウダーだったら大丈夫でしょう。
そう神経質にならないでというのが私のこの世の生き方なのです。