老婆と書くと大変失礼になる。
昔私が卒業した学校の院長先生が交通事故で新聞に載ったことがありました。
その時何と新聞の見出し「老婆ひかれる」でした。
この老婆という言葉に私たちは大層怒ったものです。
果たして老婆と言うのは何歳からなんだろう、という論争もありや・・・でしたが、
昨今文章も差別用語を使うとその筋から横やりが入ります。
「おとしより」という言葉にとってかわりましたが、同義語です!
私の母方の祖母は今想うと大層知識人だった。お茶の先生、お花の師匠、
俳句もたしなみ、文章も、字もきれいだった。
母の姉妹だれも祖母に似なくて、可哀そうな感じ。
その上そそとした美人でした。これも誰も似ていない。
女流作家になってもおかしくないほどの手紙が私の手元に残っています。
与謝野晶子に憧れていたらしいが、
私がNYにいる時祖母から送られた手紙は遺作になってしまいましたが、大事なものとして
取ってあります。
おばぁちゃまに聞けば何でも知っていた。
93歳で亡くなったが、我が家の女系は長寿です。
今では鳩居堂の「日本のしきたり、豆知識」なんていう本が私のパソコンの前の
本棚に常備しています。
季節の催事、祝寿、弔い事、人生の節目、贈答の心、手紙、等々、親から習うのではない。
それにしても、女性より男性が一人になったら結構みじめですが、
女性はメリー・ウイドーという言葉通り、旅行をしても、おしゃべりしても
大いに人生を楽しむ知恵を持っているように思うのです。
よく、年寄夫婦の旅行風景、私にはとても我慢できそうにありません。
独りのローバが「おばぁさんの魂」を読んで感じたことを連載させていただきました。終