メディアは大騒ぎをしていますが、もう私は西暦でいいじゃないかと。
なんだか嫌な予感がします。
安倍政権を忖度して「安」が入るのではないかと”案じて”います。
それに・・・この会議に林真理子まで入っているって、余りにも安直ではないかなぁ。
まぁ、あと2日で平成も終わりますから、国民はいやおうなく決められた年号を使うことになります。
お願いですから「安」の字だけはいれないでよね。
メディアは大騒ぎをしていますが、もう私は西暦でいいじゃないかと。
なんだか嫌な予感がします。
安倍政権を忖度して「安」が入るのではないかと”案じて”います。
それに・・・この会議に林真理子まで入っているって、余りにも安直ではないかなぁ。
まぁ、あと2日で平成も終わりますから、国民はいやおうなく決められた年号を使うことになります。
お願いですから「安」の字だけはいれないでよね。
私が卒業した学校は創業115年の歴史がある学校でした。
女子だけ、当時は3クラスの少人数で中学と高校一貫校でした。途中で入ってくる人も
数人いましたが、それも仙台と神戸の姉妹校だけみたいな感じ。
なにちゃん、と姓じゃなく通称で今でも通用するほどみんな仲が良い。
昨年同期会の最後があったのですが、私はNY行と重なって欠席したのですが、
50人ちかく参加したらしい。
そんな懐かしい同窓会報が今日ポストに入っていました。
2018年3月以降の永眠の方が列挙されていました。
あぁ~~涙が出そうになりました。同級生で4名の名前が・・・・
最初に亡くなった方は卒業して3年ほどして1人、だからまだ21才くらいでしたか。
もう40名ほどが亡くなっているのでは?行方不明の方の何人か。
海外に渡った人もいますし、地方にお嫁に行った方も。
ただ、たいていの方は横浜、東京近辺ですが、それにしてももうそういう年齢なのです。
毎日が大事、人が大事と生きてきましたが、なんだか同窓会報でしんみり。
私はからっきし球技がダメな人間で、野球もサッカーも勿論ラグビーなんて興味もないし、
放映していてもチャンネルを変える。
ただ、今回イチロウーさんの引退に対しての記者会見の見事さに感動。
彼とインタビューアーとのキャチボールは時に講演を頼まれている人間として
学ぶところが多かったわ。
講演会の最後に質問コーナーがあり、その際の受け答えは講演以上に緊張するものですが、
今回の”イチロウー”さんのは恐れ入りました、と言いたいほど見事でした。
私ごときが何度か涙がでてしまいました、本当に野球がわからない私がですよ、
人間として多くを学ばせてもらいました。めったに奥様のことを言わないらしい彼が
弓子夫人に感謝を、それもおにぎりに託して、彼女も今までの苦労がいっぺんに喜びに
満ちただろうと想像していました。
最後のお腹すいた、とか皆さん眠いでしょう、と人間としてのサイクルが
彼が怪人のように言われていることとかけ離れたコメントは「上手いなぁ」
皮肉なもので、私が衣替えすると寒さがぶり返します。これは毎年です!!
お彼岸に母の墓参りに行かれなかったので、昨日は白楽の実家へお花を持って行ってきました。
実家は我が家と違って単独戸建て、寒いのなんの、妹はいつもと同じだら平気な顔して過ごしていますが、
私は薄手のコートもスカーフも着たまま、「寒い、寒い」を連発。
妹は「おねえちゃまぁ、栄養が悪のじゃない?」ていう有様。
シャツを一枚貸してくれて、電気ストーブを抱え込む有様。
いかに我が家が暖かのか、マンション住まい、勿論気密性が優れているのと、隣も上の階も下の階も
人様が住んでいるので、なんとなくほんのりのしている。
よほどのことがない限り私の部屋も床暖つかいません。
あんなに一軒家が寒いって再確認。
年を取ったらマンションに限ります。暖房費だってばかにならないでしょうに。
いつもなら昔行っていたお風呂屋さんに行きましょう、と言い出すのですが、
こんなに寒いと風邪ひくからやめようと珍しく意見一致。
六角橋にも横浜の中華街にある福臨門があります。わざわざ中華街に行かなくても
立派な中華が食べられるので、そこで食べた大海老の「エビマヨ」です。
値段は中華街の半分です。
スーツにネクタイ、年の頃60才近いだろうおじさんが桜の枝を観て「まだ2輪ですから、開花宣言はお預け」なんて
ここ数日それに群がっているマスコミも暇だわねぇ。
私は毎年書いていますが桜が嫌い。特にソメイヨシノという桜の色がだめなのです。
私はそんなことを毒づきながらこの2日間ですっかり衣替えをいたしました。
あぁぁ~~~気持ちいい。これが終わるとどんなに寒くなっても夏物です。
あと何回衣替えができるでしょうか?
娘は私と趣味が違うから私が死んでも遺品を着てくれないわなぁ。
でもいいや、私は色がきれいなはっきりした模様が好き、誰も着ないだろうと思うデザインと
色だから、案外「サン・モトヤマ」もセールで残っているのです。
クローゼットを開けるのがすごく気持ちいい。捨てるものも5袋くらいありました。
すっきりしたところで銭湯に行って・・・いつ夏が来てもいいわよ。
先週から忙しくてブログ書く時間がなかった!
この写真は先週「大前研一ライブ」放送時のものです。
今日「田原総一郎」さんの平成を語る番組をBSで放送しているのを観ました。
彼の看板番組「朝までテレビ」を振り返って平成を語っていました。
あの番組にはまだ既存のテレビに大前研一が出演していたこともあったのですが、
田原総一郎さんは私の家から近いので時々郵便局などでお会いしていました。
彼は84歳だそうです。
ところで、今日のゲストで胸に迫った方が・・・・・萩本欽一さん、77歳(私と同い年)
彼は73歳の時駒澤大学仏教科に入学して、まだ勉強中だそうです。
私はお笑いが嫌いだから見たことがないのですが、今日萩本欽一さんの言葉に”ぐさり”
「何が幸せかって、明日会う人がいること」
そうです、本当にそう思います。誰とも会う約束がないというほど寂しい人生はありません。
だって・・・私は明日も午後2時からびっしり予定を入れています。火曜日も午前中人と会います。
それ以外に3時になったら楽しい”港湯”の仲間が銭湯で待っていてくれます。
お休みするときはラインでお知らせしておかないとみなさん心配してメールしてくれます。
あ!!ごめん、ごめん、3時までに帰れなかったのよ、と後からお詫びのライン。
こうして待っていてくれる人がいるのは、会う約束がずっとないなんて幸せじゃないわね。
欽ちゃんが「人生は勝つか逃げるか」なんですって。負けるって駄目だ。
何故?駒澤大学なの?あの大学は仏教大学だから勉強せよ、と言わない、修行せよ、と
教えてくれる。
年を取って物忘れが激しくなってもOK,忘れるものは忘れて、新しいことを足していく。
田原総一郎さんの言葉「政治も整理がつかないけど、田原家も整理がつかない」って
笑っていました。部屋は本でいっぱい!
田原さん何故それだけ文句言っているのに政治家にならなかったの?と欽ちゃんが聞いたら、
「いくら誘われても出ないって!政治に文句言いたいから政治家にはならない」だそうだ。
私はこうして元気でいられるのも5月、8月、11月と今年も3回のNY行を決めているので、
会う人いっぱい、この一年予定を入れているので欽ちゃんが言うところの「明日会う人がいる」幸せを感じ
られるのかなぁ。
今日朝の番組でキラキラネームについての再考を議論していました。
平成になってこの傾向がさらに強くなり、その究極は○○王子様とつけたばか親がいたそうな。
唯一無二な自分の息子だからと理由をいっておりましたが、ただのバカ。
女の子の名前でプリンセスキャンディと付けられたという女の子も出てきていましたが、
まず、役所に届けるとき、役所も受理するのって変。
平成生まれになってこの傾向が加速し、役所もかまっていられないのですよね。
ただ、彼らが就職する段階で、このようなキラキラネームだと、面接で不利になる。
当り前じゃないですが、私が企業の面接官だったら、こんな名前つける親に育てられた子は
一事が万事ということわざがありますが、まぁ、その成長もしれますからね。
親の見識を疑うというやつです。
唯一親からつけられた名前は一生残るものですから、よ~~~~く考えて、89歳になっても100歳に
なっても人様から笑われない名前を付けるのが親の義務です。
名前を聞いて背筋が寒くなるようなキラキラネーム、それ芸名でしょうが・・・
先日ある方にご紹介されて、○○洋子さんという方の名刺を見たとき
久しぶりに素敵な方と名前が一致しました。その素敵な姿と名前が一致してすぐ覚えました。
キラキラネームだと本当に覚えられない、それに字も極端にフリガナでもしてくれないと
なんて呼んだらいいのか、親の見識というものが子供の名前に出ています。
将来外国で過ごすかもしれないから、あちらに行っても共通に使えると親は浅知恵。
のっぺり顔で一重でいかにも東洋人顔の女の子にキャロラインと付けた駐在員のバカがいました。
アメリカかぶれのそうそう、2女もマーガレットでした。
それも今から何十年も前の話ですが・・・あの女の子二人の人生はどうなったのでしょうか。
人の家のことどうでもいいですが。
アカデミー賞を取った「グリーン・ブック」を観てきました。
1960年代黒人をまだ差別していた時の物語です。黄色人種も差別されていましたが。
映画が始まってまず安心したのは「字幕戸田奈津子」さんだったのです。
彼女の字幕はいつも安心してみていられる。最近若い人になっているので戸田奈津子さんが
登場とは久しぶりでした。
私が最初のニューヨークに住んだのが1968年、まだまだ人種差別はありました。
不思議に日本人は日本人の中でもどちらかというと白人に近いと勘違いしていて、いろんなところで
違うよ、ちがう、と思うことがありましたが、それでもトイレやレストランで差別されることは
なくなっていました。
キング牧師が人種差別を撤廃したいと台頭してきていました。
あの頃の話は今まで映画の材料に何度もなりましたが、以前はアメリカインディアンと白人の
戦いが映画の材料になっていましたが、さすがにマカロニウエスタンはなくなりました。
今、そんなもの作ったら即人種差別と糾弾されるし、今回の「グリーン・ブック」も
昔を忍ぶのならいい映画かと思いますが、もう掘り起こさなくてもいいのでは?と疑問に思いました。
ただ、黒人の高尚なピアニストと少しフラッパーなイタリア系アメリカ人の
人情ものと思えばいい映画でした。日本の「寅さん」とか「釣りバカ」みたいな感じでしょうか。
アカデミー作品賞はちょっと持ち上げすぎかなぁ、もっとも日本のアカデミー賞も
「万引き家族」にスポットが浴びる時代ですから、
「万引き家族」をいいという人、信じられない、汚い、暗い、悪い、法律に違反している、
それでも評価されるって、いったいどこを観ればいいのでしょうか。
終わってから食事もしたくないほど「嫌」な気持ちになったのです。汚くて匂いがしそう。
ただ、今回の「グリーン・ブック」はほのぼのとしていていい映画なのです。
秋葉忠利さん、今日、BS・TBS8時から政治番組に出演されていて、久しぶりにお目にかかりましたが、
やはり私たちと同じ年ごろ、年をとったわ。でも政治家の醜い顔にはならずにいまだにすっきりでよかった。
彼は広島市長を3期もしかしたら4期したかしら。彼はまだ社会党と言っていたころ衆議院議員をしていましたが、
ある時広島市長選に出馬したのです。
何故彼?そうです、研一とMITの頃同級生で、彼はNYの私の家にも来ていました。
彼はMITの数学科の学生で、研一と同じ苦学生でした。
秋葉さんの英語の美しさはほれぼれします。原爆の日彼の英語でのスピーチはぴか一でした。
なんだかとても懐かしくって、今何をしているのか?大学の先生になったと聞いていますが、
相変わらず素晴らしい声で淡々と語っていました。
先日来ニュースで父親が娘を折檻死させた、だの、23歳の母親が5歳の女の子をやけどさせ、
そのまま放置してパチンコへ行っていたなど、鬼畜にも劣る振る舞い、いやになってしまいます。
どっちの親も住居を転々と移動しているって、近隣住人ともうまくいかないのよね。
こういう子供を育てた親の顔がみたい、というのは簡単ですが、これが難しいのです。
たいていそういう行動をするのは親に責任があることが多い。
昨日港湯にいつもの面々で気持ちよくサウナに入っておりました。
20歳くらいの女の子二人、入ってくるなり、シャワーを出しっぱなし、おしゃべりしている間も
ずっとなのです。
私たちおばさんたちは40分くらい我慢していたのですが、いくら何でもカランのお湯とシャワーをだしているので、
まず、私が最初に「あなたたち、おしゃべりしているときはせめてシャワーをとめなさいね」といったのです。
そうしたら、一人の女の子が「なにぃ!!私たちが何しようが勝手でしょう」と掴みかからんばかりに
口答えしてきました。目が座っている。
私はそのままサウナに入って、今注意したら反対にすごまれちゃった、と仲間に言いました。
そしたら、その彼女たち「お金払って入ってきているのだからどうしようと勝手」
まぁ、私たちも人様のお風呂屋さんだから水がもったいないなんて考えなくてもいいのか、
だけど、こうして注意してもあの恐ろしいばかりの凄みは、よほど家でのしつけがなっていないのだな。
口うるさいおばぁさんたちよ、「うるせいなぁ!」という感じ。
掴みかからんばかりの女の子、お互い裸だから怖いわ。
どういううちの子なのでしょう、なんて考えるのが年を取った証拠かも。