まだ、咳が収まらないけど、だいぶ良くなってきて久しぶりにお風呂屋さんに行きました。
やはりここのお風呂とサウナはどんな薬より私には効きます。サウナで治らない病気は死を待つしかないという
北欧の譬えがあるそうですが、まさしく、まさしく私を癒してくれます。
さて、この写真は昨夜BSを何気なく見ていたら何と金沢の大樋先生が出ていらっしゃるじゃないですか。
いつもNYの陶芸コンテストの審査員長をして頂いているので、懐かしくカメラをテレビに近づけて写してしまいました。
村松具視(作家)さんが金沢の不思議を訪ねる番組でした。
大樋焼きは350年の歴史があり、先般お父様の後を継いでの大樋年雄先生ですから、すごいらしい!
金沢というところは2日間ほど観光に行っただけですが、来年早々にNYの陶芸コンテストの委員たちが
大樋先生のお宅を訪ねる旅をされるとのこと、日本側の受け入れを承諾しているので楽しみです。
さて、私がテレビ鑑賞をするのは決まってBS、今日もBS朝日放送ですごく面白い番組がありました。
加藤登紀子、北山修、南こうせつ、さんの青春を語りあう・・・・
私は彼らの歌をほとんど知らないのです。加藤登紀子さんが語っていましたが、1968年頃が盛んであり、
学園紛争が起こり、集まってフォークを歌う、とにかく集まるということに特化した時代だったらしい。
私はちょうど1968年NYに主人の転勤で行ってしまい、ある意味その間の日本の紛争をほどんど知らずに生きてきました。
浅間山荘事件もNYタイムズで知り、三島由紀夫が”ハラキリ”をしたのも1週間遅れの日本の新聞で知った。
というのも私はNYタイムズの「HARAKIRI」という見出しを見て、三島由紀夫原作「ハラキリ」というミュージカルが上演されるのかと
思ったくらい、日本のある姿から遠い存在でした。
その頃、日本はニュー・ミュージックが流行ってきたらしい。
そういえば、私たちがNYへ行く頃流行っていた曲は1968年「帰ってきたヨッパライ」フォク・クルセイダースだった。
私も当時娘が2歳でこの曲を掛けると腰を振って歌っていたので、それを一年前に渡米した大前の前で披露したら
「なんだぁ?世も終わりだなぁ」と言いながら何度も聞いていました。とても懐かしい話でした。
今、私たちの年代は「ともしび」時代というそうだ。
歌声喫茶が大流行、その歌声喫茶で一番がアムール川の波、2番100万本のバラ、3番五番街のマリー
だそうだ。こういうところへ行ったことない私ですが、案外大声で歌うっていい気持でしょうね。
一度行ってみたいわ。
それにしても私はフォークミュージックって好きになれなかったのですが、なんだか字余り、音程が不揃い、
気持ち悪い音楽だと思っていました、
今日の話を「なるほど」と思えて・・・・
それにしても歌手から精神科医になった北山修って白髪ではありますが、凄く素敵。
少し理屈ぽいところも彼なら許せそう。
私は知らなかったのでテレビが終わってからネットで調べたのですよ~~~
ボブ・ディランがノーベル賞を頂く時代ですから、私も少し70年代を勉強しなくては。