プーチンさんの後継者が取りざたされています
プーチンさんの後継者となると彼が亡くなった後でないと、もし生きているうちに自分のポジションを明け渡すとなると、何処の国も同じですが、身内が取りざたされます。今、出ているニュースではプーチンさんの次女の名前が出ているらしい。あぁぁ、こういうポジションは人様には渡せない、院政を敷くと言われていますが、振り返って日本も安倍元首相も弟がどんなにお体が悪くても、防衛大臣を任命したまま、勿論今の首相が任命したのですが、岸田総理も上を向いて防衛大臣の任に着かせているのです。危なっかしくって仕方ないです。中国もロシアも北朝鮮も何時牙を剥いてくるか、心落ち着かない日々です。
1人になって不安なブログ
画面が新しくなり、先生が帰ってしまって不安がいっぱい。10年位同じ画面で書いていたので、まるで違う画面だと書きたいことも頭に浮かばない。先生が帰られた後、お茶碗を洗っていたら、最後に残った大倉チャイナのコーヒーカップを割ってしまいました。このカップの感触が大好きだったので、同じようなものを探していますが、中々気に入ったのがないのです。カップが割れる割合が多いので、ソーサーが残ってしまいます。
今日パソコンの先生が調べたら大前伶子という名前が数人いることがわかってびっくり。同性同名の人はNYの住んでいるって。この世に1人だけと思っていたので、ふざけているのかと思いました。伶の字が玲で編が違いました。良かった!
新しいブログになりました
さて、パソコン苦手の私に新しいシステムを習うって凄い事!
一生懸命先生の教えて従って頑張っていきますので、今までみてくださっている方々、どうぞよろしくお願いいたします。
新しい形式でドキドキしていますが、慣れるしかない!
日本橋の丸善
今日久しぶりに日本橋の丸善へ。入ったらすぐの右側に視線が行ったら何と大前の本がしっかり並んでいました。
この棚の辺りはプーチン、プーチン、プーチンとプーチンだらけ、亡きあとを予想している戦争評論家などはどうも彼が亡くなった後の事を書いているのだろう思われるタイトルでした。大前のはまだ頭の中を徹底分析せよ、という表紙ですから、私もプーチンさんの頭の中を見てみたい。私は大前のライブ放送を観ているので、大方の予想はつきます、から買わないで帰ってきました。
伊集院静さんの「もう一度歩き出すために」という本を買いました。
本の表紙に「二度と会えないひとがいる。もう取り戻せない時がある。だが、それでいい。
人は哀しみを積み重ね、今日という日を生きてゆく。」 というタイトルに惹かれて買いました。もう一冊平野敬一郎さんの「ある男」、平野啓一郎さんの「マチネの終わりに」が好きな小説だったので、新作を読んでみましょう。
Du クラッセっていう広告
この頃良く目にするDU・クラッセという洋服や?さんの広告、長いドレスを着て女性二人が海岸の浜辺を歩くシーン
私はこの広告を作った人、もしくは人選をした人、プロデュースをした人、を疑います。妹に言ったら「おねえちゃまぁ、そんなこと言ったらきりがないし、人の事だから」と取り上げてくれませんでした。
というのは二人が浜辺を歩く時そのうちの一人の歯が何と銀歯、今時モデルをしている人で銀歯が目立つ人を人選するでしょうか?日本人ってあんまり歯を気にしないと言いますが、ドレスの宣伝ですよ。犬歯に銀歯が入っている人をモデルにするって信じられない。気になってしょうがないのですが、妹は「おねえちゃまの歯に対する厳しさが信じられない」と一喝されてしまいました。そうでしょうか?どんなに綺麗な人でも歯がダメだったらペケな私はあの会社の製品は買わないわ。最近は少し変わってきましたが、日本人は歯並びとか見えるところに銀や金を入れるってセンスがどうもね。
昔娘がNYの小学校に入学していたころの思い出ですが、ある日本人の父兄が学校の先生に呼び出されて、「お宅の子供さんの歯並びを直しなさい」と言われたとぷりぷり怒っていました。「人のうちの子供の歯まで指図されるって酷い」とえらい怒りようでした。それほどアメリカ人は歯を気にします。歯が乱食いだったら余程子供に興味がないか、どうでもいい教育しかしない人とみなされる、今日本人も歯を矯正する人が増えていますが、八重歯なんて日本人と真逆な評価、ドラキュラーとまで言わなくてもそれに近い事を言われます。だから歯並びが悪い人は親が相当貧乏か、興味がないか、と疑われてしまうほど歯にはみんなお金を掛けます。子供時代に直したら早く並びが良くなるので大抵小学校か中学の頃に直す人が多かった。という経験をしての私は、
今回の広告の動画で中年の女性の銀歯にはドキドキしてしまいました。
冷やし中華
今、NYのスーさんが来日していて、今日は我が家へ来るという。彼女も来日以来外食ばかりでしょうから家で作りましょう。先日彼女と食べた「とりぎん」のキャベツの千切りが美味しかったので真似をしてこのなんの変哲もないキャベツを手で千切りにして、しその葉も同じく千切りで、築地の市場で勧められたドレッシング(コーン味)で食しました。これが美味しいのなんの。トウモロコシの味がしっかりしてクリーミーで何とも言えない。お野菜がいくらでも食べれそう。
冷やし中華は麺を少なく飾りを多く、もやしも両端取って茹でて、少し味をつけて、卵は錦糸、ハム、キュウリ、かまぼこ、トマトと具を多くしました。というメニュー、立ったり座ったりしなくて済む料理を考えて、お客様料理では有りませんが、スーさんは気が知れていますので、気取らない料理を作りました。
豊洲市場のトミーナ
築地市場の場内にあったトミーナ、頻繁に行かれる大好きなパスタ屋さんでしたが、豊洲市場に引っ越してからは遠すぎるために年に2回くらい。たまたま上野の美術館で旧友に出あって、久しぶりにトミーナのせっちゃんに会いに行こうという話になりました。築地市場に有ったときは、度々行っていた好きな店NO1だったのですが、豊洲はおっくうで余程気持ちを入れないと行かれない。不便だし、築地市場の雰囲気は皆無だし、これはトミーナが悪いわけじゃない、豊洲に市場を移そうと考えた亡き石原慎太郎です。行ってみてください!ここが市場?考えた人出てこい!何を思ってこんな不便なところへ移そうとおもったの???といくつも??マークが付きます。
1時間に1-2本位しかバスも通っていない、陸の孤島という感じ。それでもこんなところへ移ってもう7-8年経っているのよね。凄くつまらないビルの3階にポツンと一軒家ではないですが、事務所使用ビルにお寿司屋さんが7,8軒ここは何?築地市場の面影は薬にしたくとも「無い!」廃墟ビルに忽然と現れた150メートルくらいの飲食店群、設計する人も困っただろうに。素人が考えてた愚の骨頂のような建物です。店主のせっちゃんも良く我慢してるわ。
だから「よいしょ」と掛け声かけないと行かれないところですが,昔よくご一緒した方と思いっきり覚悟して行ってきました。味は相変わらず美味しいし、懐かしい味でした。私はミートソースが好きなので、この日は水ナスのミートソースを所望しました。美味しかったので多少の不便は我慢しますわ。
おじさん用語が職場で飛び交う
先日テレビで昨今おじさんたちがおじさん用語を多用するのでへきへきするって。例えば
交通整理=役割分担の再整理
ダマでやる=気づかれずにこっそり動く(これはもしかして政治家言葉?)
鉛筆なめなめ=数字を操作して帳尻をあわせる
正直ベースで言うと1丁目一番地の新企画=ダメが確実だから1回ガラガラポンして全員野球でやっていこう
ガチャンコ=この意味は聞漏らしました
こういう新しい言葉というか言い回し、耳が悪いせいか意味がちっともわかりませんが、わからないままでいいのですが、ダマでやるなんていかにも嫌な言葉です。この頃お笑いの人たちがメディアを占拠しているので、笑わせようとし過ぎで反対に笑えず、この馬鹿と思う人達に番組が乗っ取られています。いい加減まともな番組が待たれます。
「赤ちゃんポスト」の想い
熊本にある慈恵医大の「赤ちゃんポスト」に以前伺ったことがあります。というのももう亡くなった方ではありますが、熊本出身の鈴木かつこさんがご存命の頃、もう10年くらい前のことです。鈴木かつこさんの生涯を書いた本「60歳なんて怖くない」を出版した時、私が彼女のインタビューをして、当時6~7本のテープ起こしをして、本に仕上げたことがあります。その本の印税を彼女は熊本の慈恵医大に行き担当者と面会して寄付をされた時付いて行きました。
その時、この様なシステムと言ったら叱られるかもしれませんが、あのポストを鮮明に思い出します。産んでも育てられない母親が、そのポストの籠に入れて去っていく。胸が締め付けられるほどつらい思いをしながらの行為だとはわかり切っていますが、その姿を想像しただけでとても辛い気持ちになったものです。最近盛んにこの赤ちゃんポストの話題がテレビで放映されるので、あの時の事を思い出しました。鈴木かつこさんも最初の男の子を産んだ後、自分で育てられずに、親元へ子供を置いて上京するのですが、戦後間もないころ、女一人で食べていくことは並大抵ではなかった、という事がその本に書いてあります。私はテープ起こしをしながら何度も涙が出て困りました。彼女はその事が一生ついて回ると何度も口にしていました。だから、本が出来その印税の一部を赤ちゃんポストへ寄付したのです。
鈴木かつこさんはすでに亡くなられましたが、心優しい、チャーミングな方でした。私はその頃NYへ行くと必ず彼女のところでご飯をご馳走してもらったものです。焼き鮭や味噌汁ぬか漬など、ここは何処?NYじゃないの?ここまで日本食をご自分で作って食べている人今時珍しい女性でした。旅の間に鮭とや味噌汁が頂けるなんて・・・と。
彼女は「60歳なんて怖くない」を書いて、出版記念のパーティーにも呼んでくださって、熊本八代にも伺いました。その折「赤ちゃんポスト」への慰問をしたのですが、後ろ髪惹かれる思いで行ったのを覚えております。彼女はどうしてもそこへドネーションしたいと・・・長男はその後引き取っていましたが、彼女はあの厳しいNYの不動産業界でも生き残って部屋中に表彰状が飾られていました。あぁぁぁ~懐かしい、もう一度会いたい女性でした。