大前伶子 - 公式サイト
  • Facebook
  • Rss
  • トップページ
  • プロフィール
  • お問い合わせ
Home» Articles posted by 大前伶子

総裁選ね、

Posted on 2025年9月8日 by 大前伶子 in ブログ

国会議員と党員しか投票権がない高みの見物ですが、私流に考えると・・・
まず高市早苗って昔から嫌い、何だか男性に媚びを売るシナを作って女性から見ると嫌だなぁ。
茂木さんは元マッキンゼーにいたから、私は生で見たことが有りますが、お顔のせいか、人様に尽くすといういや国民のためじゃなく自分のために首相になりたくてなりたくて仕方ない人に見えるから嫌。
小泉進次郎になったら今までの50代から上の人はもう先がないわね。彼は若すぎるし、関東学院という経歴の次がコロンビア大学?卒?か行っただけか。首相になったら何処かの市長さんみたいに卒業したか、否か。がたたかれてしまうのでは。心配。
小林鷹之さんと林芳正さん茂木さんのお三人は本当に東大卒だしコロンビア大卒が堂々と書けるわね。
勿論学歴だけじゃない、茂木さんとトランプが会ったとしたら「怖いわ」ある程度お顔も品が有って最低限の英語が話せなくはこれからの首相は務まらないのでは?
勿論正式な会議だと通訳なしという訳にはいかないと思いますが、石破さんはトランプのお眼鏡にはかからなかったのか、もう石破首相には会いたくなかったみたい。何だか可哀そうですが、ご面相も大事です。だからと言ってトランプ大統領の容姿は決していいわけじゃないけど、あの押し出しとずーずしさで天下をとってるじゃないですか。

それでも若い時のトランプって素敵でしたよ。ハンサムだったし女性にもてたから今頃昔の女関係もちらほら出てきていますが、知ってる人は不審死してるし、悪い奴ほどよく眠るという諺があります。
何とかして寿命が延びる薬と大統領職が二期迄じゃなくプーチンさんや習近平さんみたいに永久皇帝を狙っているとか。そうそう、ノーベル平和賞も喉から手が出るほど欲しいらしい。
地位がない平民の私は結構人生楽しんだからこういう競争人生って聞いてるだけで疲れます。

佐渡で撮った写真です。私じゃありません、吉永小百合さんでーす。

>>

本当の誕生日

Posted on 2025年9月4日 by 大前伶子 in ブログ

今日は私の本当の誕生日なのです。
ただ、オフィシャルには12月5日、ある日私が丸紅に入社した時戸籍謄本を提出しなくてはならなくなり、当時本籍が有った対馬の厳原の役所から取り寄せたら何と12月5日になっていました。
それまで家族で祝ってくれたのは9月4日でした。どんなにささやかでも「今日はれいこちゃんのお誕生日ね」と母は一品多く盛ってくれたような?
戸籍謄本を取り寄せたら(対馬から)何と12月5日になっていた。これは公に登録された日、変更は出来ない!と言われ父と母は何度も言い合いをしていました。
母は「だから田舎はいやなのよ」と言い募り、父は3か月若いのだから文句は有るまい、と。

それ以来私の誕生日のお祝い!はうやむやになってしまいました。誰も祝ってくれない。
3か月遅いというのが嬉しいと言ってる時期はすっかり終わり、何時でもいいや。
研一宅の孫たちは律儀に誕生会をしているので、何だか自分の誕生日が霞んでしまいました。

それにしても政治家たちが入り乱れて言い募っていますが、誰が首相になっても同じ、ちっとも変わらない政治に呆れていますし興味もなくなりましたが、ちなみに麻生元首相は私と同じ年なはず、もういい加減口出しはしない方がいいと思います。ただ、麻生さんって娘曰く、シスコの空港で生麻生さんを見た時何とも言えないお品の良さとオーラがあったとコメントしていましたが家柄でしょうね。

>>

どういう気持ちでつけた値段か

Posted on 2025年9月3日 by 大前伶子 in ブログ

先日大前宅の孫の誕生日で私はいつものちらし寿司を所望されたので作って行きました。帰りタクシーを呼んでくれると言ってくれたのに少し歩きたいと空の寿司桶を持って麹町を歩いていました。
その折見つけた看板12分330円也には驚きました。ATMの操作くらいしかできないでしょうね。
いくら土地が高いところといえ、12分とは驚きでした。
大前家はお孫ちゃんのバースディーは必ず守ってお祝いする習慣、そのために私は所望されるのがちらし寿司です。この暑さで生ものは使えないので、朝築地で買ってきたものも必ず熱を入れます。

いつまで私が作ってあげられるか?まぁ、頼まれている内が華かなぁ。

>>

佐渡島に行ってきました

Posted on 2025年8月29日 by 大前伶子 in ブログ

新潟からカーフェリーに乗って約2時間佐渡市と言えども離れ島ゆえどんな所だろうと思いながら結構大きな島なのです。金山で有名になって世界遺産に認定されて話題になりました。
私は離れ島というと父の故郷対馬を思い描いていたのですが、数段大きく米がたわわに黄金色に色ずき今回2泊3日の旅でしたが、島と言っても半分も観られなかった。
両津港から島の南半分だけ回りましたが、金山は顎が出るほど歩きました。今は観光化していますが、昔は栄えただろうという息吹を感じました。
1603年徳川家康の時代に金銀を掘り起こしていたのですから今はすっからかんになり世界遺産で再び芽を出したという島です。
良くできた観光地という感じです。外は死ぬほど暑かったのですが洞窟の中は涼しく昔の面影が再現されていて観光と言う分野では見どころが有った。
1989年平成元年に閉鎖されたと記されていますが、案外長い事活躍できた金銀山だったのです。
旅館で入ったお風呂はとろみがあるいかにも美容にいいかと思うお湯でした。
お風呂フェチの私はゆっくり入りましたが、床が滑る、すべるでへっぴり腰になりながらここで転んだら大変だと気を引き締めての温泉三昧。
帰りはジェットフォイルで1時間ほどで新潟港まで来て、新幹線で帰りましたが、ツアーのスケジュールは私の年齢にはきつかったか。こういう歴史を訪ねる旅は結構疲れました。

>>

やっと長いお休みが終わり・・・

Posted on 2025年8月17日 by 大前伶子 in ブログ

明日から後半の日が始まりますが、トランプとプーチンの会談余りうまくいかなかったのね。
プーチンさんって一筋縄ではいかない、利かん気が強いというか、いう事聞かない、わんぱくでは可愛すぎる、あのトランプをしても話が進まなかったのだな。
元KGBだものなぁ。不動産やさんの2代目大統領という立場が棚から牡丹餅のように落ちて来たボンボンでは叶わないわな。
アラスカのアンカレッジで会談をしたとの報道ですが、とても懐かしい地名です。
今はアンカレッジ経由なんて便めったに聞きませんが、私がNYへ最初の頃渡航した時は決まってアンカレッジで給油するために一度着陸したものです。
ここの空港で食べたきつねうどんは忘れられません。機内食ばかりで癖癖していたので、お醤油の味が恋しかったのね。アンカレッジと聞けばきつねうどんが・・・
もう少し乗ったら日本に着くのだという気持ちとアメリカとさよならする気持ちが交差しました。

>>

長いお休みですが、、、

Posted on 2025年8月16日 by 大前伶子 in ブログ

軽井沢から帰ってきて脱力気味、何もしないで一日が暮れていく。
それにしても、テレビはどのチャンネルもBSもつまらない。特に売れない3流の芸人が芸が売り物じゃなくただ、カメラの前でふざけていて、視聴者を馬鹿にした番組ばかり
店をダラダラ訪ねて、大口開て料理の味も知らなそうなチャラい人達がふざけているのは、暑いのに拍車がかかる。
まともな俳優はこういう番組には出たくないからね。良くここまで三流の人たちを集めてくるわ。
安く番組を作っているからか、視聴者をばかにしてるのか、食べる番組じゃなかったら、スーパーの「詰め放題」あれほど馬鹿にした企画をする、又それに出る方もどうかと思いますよ。
私はスーパーの詰め放題って大っ嫌い、絶対に最後まで食べきれないのに食べ物を笑いの種にするってそのうちバチが当たるから。
昔の人は一粒のお米も大事にしたのよ。昨日終戦記念日だったけどどれだけ戦争中食料が不足していて、母が私と弟が疎開している時、「あぁ、キャラメルを嫌というほど食べさせたい」と空を見て涙したことも話の種になっていました。今はそういう時代じゃないですが、今にバチが当たりますから。
世界の平和が脅かされているこの時に、もう一度第二次世界大戦の敗戦を振り返りましょう。

>>

戦後80年・一言で言っていいのか

Posted on 2025年8月15日 by 大前伶子 in ブログ

今でも世界では戦争が続いている国がある。80年前と一言でいうけどその時生まれた子が80歳になるということ。
私は終戦の時4歳半、妙に覚えているのはその当時母の実家があった大阪の鷹合町というとこだった。天王寺から近鉄で3駅ほどのところ。庭と言っても小さな空間が防空壕だった。母方のおじいちゃまが空襲警報が鳴ると私と弟の手を引いて「後を頼むよ」と炬燵が作ってあった防空壕に移動した。
今考えるとあんなもの焼夷弾が落ちたらひとたまりもないと思うのですが・・・
余りにも戦争が激しくなって祖母の実家がある山口県富田という所に私たちだけ疎開したのです。
疎開先はいい思いをしなかったらしく、母は山口県が大っ嫌いだった。首相を輩出する有名な県ですが、ニュースで山口県と聞くのも嫌だったらしい。
私達都会から疎開した人を冷遇したからか、「山口県の人はケチ、お芋の1本もくれなかった。ケンちゃんはお芋の匂いに連れられてお芋の側に行きたがって、それを逸らすのが大変だったのよ」と母の山口県に関する一つ話でした。
山口県が悪いわけじゃないのですが食うことにひもじい思いをした母は根っから恨んでいました。
終戦を迎えその後経済発展したやに言われる日本ですが、未だに世界では戦争があちこちで起こっていて、これからの世紀が心配です。
今日終戦80周年を覚えて決してしてはいけない戦争、きな臭い世界では有りますが、あとどんなに頑張っても10年未満の私はお芋の「ひもじさ」を時に思い出し、戦争で命を落とした人たちに祈りを捧げたいと思う一日でした。
戦争を覚えている人も少なくなってきました。余談ですが、私が初めてNYに住んだ頃、アメリカはベトナム戦争真っ只中でした。それも南ベトナムが負けていて、アメリカは荒んでいました。
道路には麻薬でボロボロになった帰国軍人がごろごろ寝ていました。
アメリカはどの戦争にも口をはさみますが、勝って官軍の時は太平洋戦争くらいじゃないですか。
今回もトランプとプーチンが会談しますが、お手並み拝見です。あんまり期待してないけど。

>>

だから言ったでしょう?

Posted on 2025年8月14日 by 大前伶子 in ブログ

関西万博ミソつけっぱなし。私が行ったのが初日だったからよ、と友達には言われていましたが、その後のニュースでいい事報道されずチョンボしたことばかり。
私が行った日は大雨でしたが会期も半分まで来ているのにまた今回のニュース。
いい事言われないまま閉幕だわね。
もう万博なんて古いのかも、ネットでジャンジャン報道される時代に1970年頃の大坂万博よもう一度なんて考えているのってお役人らしい。
昨日の事が電車が原因だとしても、そういう所で開会したのだからこういうアクシデントも考えなくちゃね。あのぎゅうぎゅう詰めの電車が夜中じゅう足止めなんて考えただけでもお気の毒。
わかりますよぉ、普段電車に乗ることが少ないから猶更驚きました。もう3か月以上経っているのにあの混みようは忘れられません。行ったのがバカと言われても「はい、その通りです」と返事をします。
この暑さの最高中に万博に行かれた方、お疲れ様です。

>>

真夏のジャズ イン 軽井沢

Posted on 2025年8月13日 by 大前伶子 in ブログ

グレース・マーヤさんのボーカルと納浩一さんのベース・川村亮さんのドラムといつもはクラッシックの音楽会だったのが趣向を変えてジャズ三昧でした。
マーヤさんのピアノとボーカルはピカ一でした。ジャズだけど基礎がしっかりしているなぁと感心するくらい音楽を楽しみながら演奏する姿は思わずもう一度聴きたいと願うほど。ベースの納(かのう)さんも京都大学を卒業してから音楽の道に入られた異色の方、河村亮さんもしっかりお勉強して岐阜大学教育学部を出てから音楽家になった人達で実力派として演奏活動をしている方たち。
とにかく楽しい音楽会でした。音楽で食べていくって大変だと思いますが、人々を楽しませるマジックだから応援していきたい。

今年の軽井沢露生庵での音楽会は今回で終り、来年また春から始まると思いますが、軽井沢行の新幹線が行きも帰りもチケットが取れないくらい混んでいて、着いた日に帰りのチケットを取っておかないと大変なことになります。昔母を連れて軽井沢から帰る時座席が取れずにスーツケースを2つ重ねて座らせたことを思い出しました。新幹線のチケットは軽く見たら座れないから着いた日に予約しておかないと・・あの頃よりインバウンド客が大幅に増えました。

>>

銀座教会の歴史

Posted on 2025年7月20日 by 大前伶子 in ブログ

母方の祖母から続いている銀座教会の歴史を今日プリントを頂き1942年に三井勇牧師が就任されたのを知りました。母方の親戚に行くと必ず三井先生の話が出るのですが、私で3代目の教会員です。
1942年に三井勇先生は赴任されたようで、私は1歳でした~~~戦前です。
というのはある日私が学校から帰ると母と叔母二人の3人が喪服を着て今から三井先生のお通やに行くと忘れもしない私が女学校の高校の1年生だったか。妙に叔母たちのあわて具合と母の喪服の姿を思い出します。今日銀座教会の年表を見て私が15歳の時だったのです。
その日邦楽の宮城道雄さんが列車から落ちて即死したのも同じ日でした。妙な事を覚えているって人間不思議ですよ。父が亡くなった日とか母が亡くなった日にちは即答できないのに三井先生の急逝は凄く良く覚えています。母の姉妹3人が喪服を着ていたからかなぁ。
三井牧師は戦争末期東京大空襲で親や家を失くした子供たちを教会に招いてお世話されたお話はずいぶん経っていたのにその頃の信者さんから伺うことが出来て感動したのです。
キリスト教ではお通やと言わずに前夜祭と言います。

2025年創立135年記念礼拝7月20日行われたと記されていました。

宮城道雄さんは全盲で当時の列車は自動ドアじゃなくあずき色の列車でドアが開いていたので、たぶんトイレにでも行って間違えて線路に落ちたのではないか、と想像しますが。当時の新聞には方向を失って転落したと載っていた気がします。余りに昔の事で定かではないですが。

>>
  • 1
  • 2
  • 3
  • ›
  • »

サイト内検索

最近の投稿

  • 総裁選ね、
  • 本当の誕生日
  • どういう気持ちでつけた値段か
  • 佐渡島に行ってきました
  • やっと長いお休みが終わり・・・
  • 長いお休みですが、、、
  • 戦後80年・一言で言っていいのか
  • だから言ったでしょう?
  • 真夏のジャズ イン 軽井沢
  • 銀座教会の歴史
  • ピーチシティ
  • 今日参議院議員選挙投票に行ってきました
  • 関西万博開催から3か月経過
  • 料理番組の土井善晴さん
  • 暑さも最高、、、
  • 今日の日曜日は・・・
  • 何故テレビに映る男の子の前髪が長いの?
  • トランプブランドの香水
  • え?え?ベトナムにトランプ・タワー?!
  • 久保修先生の展覧会が来週始まります

アーカイブ

  • 2025年9月
  • 2025年8月
  • 2025年7月
  • 2025年6月
  • 2025年5月
  • 2025年4月
  • 2025年3月
  • 2024年11月
  • 2024年10月
  • 2024年9月
  • 2024年8月
  • 2024年7月
  • 2024年6月
  • 2024年5月
  • 2024年4月
  • 2024年3月
  • 2024年2月
  • 2024年1月
  • 2023年12月
  • 2023年11月
  • 2023年10月
  • 2023年9月
  • 2023年8月
  • 2023年7月
  • 2023年6月
  • 2023年5月
  • 2023年4月
  • 2023年3月
  • 2023年2月
  • 2023年1月
  • 2022年12月
  • 2022年11月
  • 2022年10月
  • 2022年9月
  • 2022年8月
  • 2022年7月
  • 2022年6月
  • 2022年5月
  • 2022年4月
  • 2022年3月
  • 2022年2月
  • 2022年1月
  • 2021年12月
  • 2021年11月
  • 2021年10月
  • 2021年9月
  • 2021年8月
  • 2021年7月
  • 2021年6月
  • 2021年5月
  • 2021年4月
  • 2021年3月
  • 2021年2月
  • 2021年1月
  • 2020年12月
  • 2020年11月
  • 2020年10月
  • 2020年9月
  • 2020年8月
  • 2020年7月
  • 2020年6月
  • 2020年5月
  • 2020年4月
  • 2020年3月
  • 2020年2月
  • 2020年1月
  • 2019年12月
  • 2019年11月
  • 2019年10月
  • 2019年9月
  • 2019年8月
  • 2019年7月
  • 2019年6月
  • 2019年5月
  • 2019年4月
  • 2019年3月
  • 2019年2月
  • 2019年1月
  • 2018年12月
  • 2018年11月
  • 2018年10月
  • 2018年9月
  • 2018年8月
  • 2018年7月
  • 2018年6月
  • 2018年5月
  • 2018年4月
  • 2018年3月
  • 2018年2月
  • 2018年1月
  • 2017年12月
  • 2017年11月
  • 2017年10月
  • 2017年9月
  • 2017年8月
  • 2017年7月
  • 2017年6月
  • 2017年5月
  • 2017年4月
  • 2017年3月
  • 2017年2月
  • 2017年1月
  • 2016年12月
  • 2016年11月
  • 2016年10月
  • 2016年9月
  • 2016年8月
  • 2016年7月
  • 2016年6月
  • 2016年5月
  • 2016年4月
  • 2016年3月
  • 2016年2月
  • 2016年1月
  • 2015年12月
  • 2015年11月
  • 2015年10月
  • 2015年9月
  • 2015年8月
  • 2015年7月
  • 2015年6月
  • 2015年5月
  • 2015年4月
  • 2015年3月
  • 2015年2月
  • 2015年1月
  • 2014年12月
  • 2014年11月
  • 2014年10月
  • 2014年9月
  • 2014年8月
  • 2014年7月
  • 2014年6月
  • 2014年5月
  • 2014年4月
  • 2014年3月
  • 2014年2月
  • 2014年1月
  • 2013年12月
  • 2013年11月
  • 2013年10月
  • 2013年9月
  • 2013年4月

メニュー

  • 大前伶子のニューヨーク(旧ブログ)
(c) 2013 - 2024 大前伶子 公式サイト