先週娘がフライトの為に羽田空港へ向かうと言ったので、丁度私は日本橋高島屋に用事が有るので彼女の荷物を2つ自転車の荷台に入れて京急の「宝町」まで運んであげました。彼女は私と羽田へ行くときは当たり前のようにタクシーを呼んでいますが、自分の仕事の時は電車で行きます。京急だと2本に1本位直通で羽田空港まで直通ですから。
その後私は本来の目的の高島屋へ。夕方5時半ごろでした。用事を済ませて晩御飯一人で食べるところと考えたのですが、いつも行く高島屋の特選食堂しか思い浮かばない。一人でも仕方ない、席に案内されていつものように「野田岩の鰻とビール」を頼んで何となくお隣の席に目が留まった。
50年ほど前、両親が現役で良く娘を連れて高島屋の特選(横浜駅の)食堂でご馳走してくれた時の事を思い出し、父と同じで娘の子供を目に入れても痛くないという可愛がり様で、「あぁ、あんな時があったんだなぁ」と涙ぐんでしまいました。
とにかく50年も前ですが、あの姿はまさしく私の両親を思い出さずにいられませんでした。2歳の娘を連れて私は主人の任地ニューヨークに行ってしまって今思うと何て惨い事をしていたのか、とお隣の席を見ながら本当に涙が溢れてきました。どれだけ寂しかったか改めて思い知ったのです。その後母から娘の事1行でいいから書いてね、読む前に真智子の事書いてないというとおじいちゃま手紙読まないから。と母からオーダーがあったこと、私は今最後の片づけをしているのですがその頃の捨てられない手紙を今でも読んで涙しています。今じゃこんな手紙が残る様はないのでは?パソコンであっという間に情報が届き消えていく。エアーメールや薄い紙に書いた手紙を大事に取ってありますが、今読める有難さがどれだけ大事だったか。
高島屋の鰻を食べながらいお隣の家族を眺め思い出に浸りました。今は亡き両親の愛情は限りなかったのだなぁと。