この本を半年余り前に送っていただいて、その感想をお伝えしたいと何度も電話を試みたのですが、
繋がらず、、、気になっていたのですが、コロナ禍ということも有り、何となく胸騒ぎがしていました。
まだ、今の丸紅が丸紅飯田と言っていたころからの同僚以上につながりのあった宮内貴正さんが今日
お嬢さんから亡くなったとの連絡を頂きました。
最後の丸紅の友達だったのに・・・私が横浜市大病院で手術をした後、市大病院へ検査に行くたびに
連絡をしてお昼をご一緒していたのに。前回9月の検診の時にお電話したら繋がらなくって、気になっていました。
ただ、今日お嬢さんからのハガキによると8月1日に亡くなったとのこと。
9月の検診の時連絡が取れなかった時はもうこの世の人ではなかったのです。
胸が締め付けられるような気持ち、だって私がまだ20歳ごろからの付き合いだし、家族も全部存じ上げていたし、
元主人の部下でもあってNYへの転勤も同じころ、その後彼は数回アメリカ各地に転勤をされて、
カサブランカにもいて、彼がカサブランカにいる時映画の酒場はあったの?とか、一度カサブランカに行きたいわ、
とこんなに心安く付き合いができる昔の同僚が亡くなるなんて、まだ、信じられない。
彼は横浜で1人暮らししていたので時々安否確認ね、と電話していたのですが・・・
あぁあぁ~~~人の命って限りがあるのね。ショックです。
写真の本は彼が自費出版したものですが、読後の感想を言いたいと何度も電話していたのですが。
私の元主人の事がたくさん書いてあり、家ではいい亭主ではなかったですが、宮内さんにとっては
天下一品の上司だったって。NYに駐在している時も同じころでしたし、それも元主人が彼を指名して
駐在員になったとか。家では会社の話を絶対にしない主人でしたから、宮内さんの本に書いてある事実が
私には遠いところの話だったと今思います。
その後NYのジャズ歌手の天野しょうこさんが東京に来た時も二人で聴きに行ったり、本当に昔からの
友達でした。その彼が亡くなるって現実を突きつけられて、今日は心が落ち着かない。
最後に会ったのが昨年の春かなぁ、私が背骨の術後の検診の時、市大病院まで迎えに来てくれて、
三浦海岸にある音羽の森ホテルのレストランで食事をしたのが最後だわ。
81歳だったそうですが、60年くらいのお付きあいの友達が亡くなるって本当にショック。
しかも時々安否確認なんて冗談いいながら電話していたのです。
最後に電話したのが9月だったのですが何となくかけている最中胸がドキドキしたのです。
いい友達がひとり亡くなって寂しいわ。
彼は横浜出身でよく横浜駅で同じ電車になり、東京駅でコーヒー飲んでから会社に行ったのが
今での思い出としてコーヒーショップも覚えています。私たちってこうして友達が次々に亡くなっていく年齢なんだわ。彼とは横浜駅、丸紅、ニューヨーク、ジャズ好き、元主人の部下、と話は尽きない人でした。
哀しい、悲しい、思い出ばかりがちらつき心ここにない一日でした。
彼の本もう一度読み直そう。