内館牧子さんによると昔の事や思い出を語るのは如何なものか?そしていつ果てるとも知れず続けるのは、
どうも年配の男性に多い、と書いている。
私のブログもタイトルが「大前伶子のニューヨーク」だからなるべくNYに沿った話が・・・と思いながら
書いているのですが、もういいよ、と思われたり、この人「思い出話に酔っている」と思われたり
しているのは重々承知しているのです。
今でも1968年代から昨年の3月まで何度NYへ行ったか、勿論5年、5年と10年の滞在期間も含めて
私はNYが好き。
今は特にNYに住んでいた時や、その後何度も旅行で行ったNYも、映画の舞台になったNYも
大抵マンハッタンの景色の映像が映し出されると、ほぼどこだかわかるほど。
思い出を語っている時間はそのころに戻れるのだ、「その頃」というのは、多くの場合、自分の黄金期だ、
黄金期、その中にいた自分が甦る。何しろ懐かしい。
そんなNY好きが、今はコロナのせいで1年半ほど行かれない、NYの惨状は度々ニュース画面で見ているが、
思い出すだけで風景や空気までよみがえる。
「思い出と戦っても、勝てない」過ぎたこと、若かった、懐かしい、いい時代だった・・・よ。
日本はまだワクチンをめぐっていつ果てるともない行政の失敗が報じられているが、
アメリカはすでに国民の50%以上がワクチン接種が終わり、野球場へ入場する時も、
ワクチン接種をしてくれると、日本はワクチン接種争いになっている。
ここでも袖の下でスギ薬局のえらいさんが特別ワクチン接種をねだったってニュースになっていました。
後進国並みのワクチン争奪戦になっているので、河野ワクチン臨時大臣も不名誉な扱いをされていますが、
彼はあれが本来の姿だったのね。少し高く評価されすぎていたのかも。