NHKBSで「アナザーストーリー」を観た。
1964年初めてJALパックが開始されて、それに参加した人たちのストーリーが放映された。
1964年、勿論戦後1ドルが360円にフックスされていたころのお話です。
パック旅行で使われた飛行機はパン・アメリカン航空でした。
7日間ハワイツアー211,000円だったそうだ。ホノルルだけじゃなくハワイ4島めぐり。
それは、それは歓待されたようです。
その後JALパックも旅をサポートするために「ツアーコンダクター」を養成し、
海外旅行で言葉が出来ないために「わずらわしい」「めんどくさい」という人のニーズに応えるため
旅のすべてを組む、観光ガイド、英語通訳もかねて養成していたそうだ。
運輸省お墨付きのツアーガイド試験で1発合格した研一もはしりだったのね。
1965年には2000人もの人がJALパックで海外に行っていたそうだ。
1973年には229万人になったそうだ。そのころかの有名な旅行雑誌「地球の歩き方」
が創刊されてバックパッカーの発案だそうだ。読者から記事をもらって体験者目線
今じゃ119か国の情報を掲載し、旅行者のバイブルのようになった。
私もよく買った本ですが、2年に一度の改訂版で、新しくないと、いざそのつもりで行っても
閉店になっていたり、場所が移動していたりで、新しい情報をゲットしていないと失敗する。
さて、この番組をみて、私が最初にパスポートを取った時からずっと大事にしてきたのを
あたらめて見てみました。
7冊のパスポートにはいろいろ思い出がつまっていました。
良く香港に行っていたのね、それはNYに住んでいる時航空会社の都合で以遠権というのがあり、
NYから成田経由香港まで同じ値段だったので、帰るときは必ず香港まで足を延ばしていたのです。
ただ、その前1968年に初めて主人の転勤でNYに行ったとき、忘れもしない7月19日、
娘の2歳の誕生日でした。
会社から200ドル現金を頂いた(当時1ドル360円)ちゃんとパスポートの最後のページに書いてある。
当時200ドルというのは凄いのです。富士銀行が換金したことも書いてある、
持ち出しが決まっていました。
今じゃ2~3人で夕食食べたら200ドルなんて1回しか・・・もしかしたら足りないかも。
当時2LDKのマンションの賃料が200ドル、主人が私にくれた生活費も200ドル、そのくらい1ドルの値打ちが
有ったころです。200ドルの生活費から20ドルくらいはへそくりが出来ました。
今、マンハッタンで2LDKの賃料は4000ドルはすると思います。
そんな時代を体験して7冊のパスポートをめくりながら、ずいぶんあちこちに行ったのだなぁ。
あとはあの世か。。。。でももう少し何処かへ行きたい!!この息詰まる日々をなんとかしてくれ~~~