1996年98歳で没した宇野千代さんの伝記を読んでいます。
「この頃 思うのですけどね
何だか 私 死なないような 気がするんですよ
ははは は」という言葉を色紙に書いていたような。
山口県岩国市の生まれだそうだ。
地元の女学校を出て小学校の代用教員になる。
同僚の教師と恋におち村中の噂になり学校を辞めざるをえなかった。
人のうわさが煩くて、ソウルまで行ったがこの恋は破綻する。
その後従兄と結婚して札幌に移り住む。
その頃懸賞小説を書いて出版社に送るが、その返事がないと東京まで行って確かめる。
それが入選してお金が入ってくる。
その頃出版社との付き合いができて、そこで作家の尾崎士郎と出会う。
その日のうちに交際が始まり・・・・彼女25歳出奔の道へ。馬込に家を建てる。
北海道の夫と離婚し、尾崎士郎と結婚するが、数年後破綻。尾崎士郎の女問題
そんな時出会ったのが、画家の東郷青児。彼はフランス帰りの彼はオシャレでかっこいい男性だったって。
宇野千代はここでも家を建てる。
その後東郷青児は以前の女とよりを戻して二人の関係は終わり。
そこでへこたれる千代ではありません。
翌年取材にやってきた新聞記者で作家でもある北原武夫に一目ぼれの恋に落ち、
その時千代42歳、北原32歳、二人は結婚。
そして彼女はファッション雑誌「スタイル」を創刊。
恋多き女とはすなわち、別れも多き女なので、困難があっても逃げたり、隠れたりせずに
堂々と対処する。
彼女は各地に移り住み家を13軒も建てた放浪の人なのではありますが、
「おしゃれは、生きていく上での生き甲斐である」オシャレは晩年まで衰えませんでした。
米寿の祝いに桜吹雪の振袖を着たことでも、あでやかな女性だったのです。
いつもきちんとオシャレをしてるなら、失恋しても放浪しても、それはかえって美しく魅せるのでは?
「お化粧し、自分の好きなきものを着て街へ出る。すると、ついそこの、最初の街角で、
新しい恋人に出会うと言うわけです。ほんとうですよ。からっとした、まるで新しい気持ちになりさえすれば、
街へ出ても、ついそこの、最初の街角で、新しい恋人をめっけてしまうのです」とも千代は書いているのであり、
千代の恋が常に途切れなかったのは、決してうらぶれた自分を見せなかったせい。
彼女は「好き力」というべきことが男でも仕事でもオシャレでも人並外れていたのでしょう。
憧れます!!