今回妹が亡くなってあらゆる役所事があるのですが、娘はまどろっこしいと電話で頼まず、羽田から福岡ー対馬まで飛行機で戸籍謄本を取りに行きました。3代前まで坂のぼるらしい。対馬厳原というところに役所があり、1日で取ってきました。
その原戸籍は3代前の子孫まで遡るらしい。もう20数年前に亡くなった従弟は戸籍上生きているという体たらく。知らない人の名前が入っていたり、確かに父は3男で確かめられたのですが、文字も古いし、手書きでした。明治37年に広島県安芸郡というところから対馬に分家していました。
父の従弟はハワイに移民していますし、広島って山ばかりで畑も出来ず大変な土地だったみたい。ハワイのおじさんは何度も会いましたが、欄園をしていましたが、結構いい生活していました。みんな大変な時代を過ごしたのだなぁ、そのおじさんは太平洋戦争の始まった時、ゴルフ場で球拾いしたいたと聞いたことがあります。父の実家は漁師でしたが、父だけ東京の学校に入れてもらったと語り草になっています。
こうしてルーツを辿るのも面白いものです。父と母は親戚の人のお世話で3分の見合いで決められてしまったと、母が一つ話のようにしていました。でも・・・「おとうちゃま(父の事)案外いい人だったからね」といい、母が強かったと私の心では反論していたのです。