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京都

Posted on 2015年6月14日 by 大前伶子 in ブログ

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スーさんと京都へ。彼女の贔屓「おきな」さんで楽しみな夕食。

この店のお客様は東京からわざわざ食しにいらっしゃる方もあり、凄いです。

上の野菜の冷製煮物、見た目よりしっかり味が付いていて、美味しいの何の!

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鰻のかば焼き、京都風。 東京と違うのは蒸して焼くというプロセスですが、京都の鰻はじかにやいてあり、

歯ごたえがあり、京都の山椒と少し多めにかけて物凄く美味しい。

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東京人は余り”はも”を食さないが(最近は良くメニューにありますが)このハモは韓国産だそうです。

韓国のハモは逸品だそうです。

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鮎ですが、私は鮎は苦手、従ってスーサンが2本完食。しかも骨まで揚げて出てきました。

私は川魚はどんなに美味しくても苦手、鮭はOKですが鱒は食べられません。

この”おきなさん”は本当に実力があるなぁと感心しきりです。

何を頂いても素材を大事に、丁寧な料理に感動。

京都の街からタクシーで40分ほど掛かりますが、そんなことを吹き飛ばすような料理です。

この日も最終の新幹線で帰京される方が、時間を気にしながら、その上明日上海に出張だと

二重に大変でも食べに足を運んでおられました。

私も料理やを経営していましたが、お客様にそこまで言われるって料理や冥利に尽きると思います。

それもこれも毎日の精進なのですね。

先ほど「天皇の料理人」を観ていましたが、あんなに簡単にそんなポジションにつけるとは???

ま、物語ですからOKです。

 

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ローバ⑥最終回

Posted on 2015年6月12日 by 大前伶子 in ブログ

老婆と書くと大変失礼になる。

昔私が卒業した学校の院長先生が交通事故で新聞に載ったことがありました。

その時何と新聞の見出し「老婆ひかれる」でした。

この老婆という言葉に私たちは大層怒ったものです。

果たして老婆と言うのは何歳からなんだろう、という論争もありや・・・でしたが、

昨今文章も差別用語を使うとその筋から横やりが入ります。

「おとしより」という言葉にとってかわりましたが、同義語です!

私の母方の祖母は今想うと大層知識人だった。お茶の先生、お花の師匠、

俳句もたしなみ、文章も、字もきれいだった。

母の姉妹だれも祖母に似なくて、可哀そうな感じ。

その上そそとした美人でした。これも誰も似ていない。

女流作家になってもおかしくないほどの手紙が私の手元に残っています。

与謝野晶子に憧れていたらしいが、

私がNYにいる時祖母から送られた手紙は遺作になってしまいましたが、大事なものとして

取ってあります。

おばぁちゃまに聞けば何でも知っていた。

93歳で亡くなったが、我が家の女系は長寿です。

今では鳩居堂の「日本のしきたり、豆知識」なんていう本が私のパソコンの前の

本棚に常備しています。

季節の催事、祝寿、弔い事、人生の節目、贈答の心、手紙、等々、親から習うのではない。

それにしても、女性より男性が一人になったら結構みじめですが、

女性はメリー・ウイドーという言葉通り、旅行をしても、おしゃべりしても

大いに人生を楽しむ知恵を持っているように思うのです。

よく、年寄夫婦の旅行風景、私にはとても我慢できそうにありません。

独りのローバが「おばぁさんの魂」を読んで感じたことを連載させていただきました。終

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ローバ⑤瀬戸内寂聴さん

Posted on 2015年6月11日 by 大前伶子 in ブログ

1922年生まれの瀬戸内寂聴さんは文壇でも長老として、今では身の上相談で

彼女は大人気だと聞いています。

昨今ご病気をされたと聞きましたが、日野原先生と同じで、

寂聴さんの講和は僧侶としてもあの世の世界まで教えてくれているようで、若い人に大人気。

若い時に散々な色事をしていたとのことですが、私は飛行機の中でお会いしたのですが、

140センチほどの小柄な方で、(でもオーラが凄かった)剃髪されているので、

異様な感じがしました。

瀬戸内晴美さんの時散々「ふしだらな人」というレッテルを貼られただそうです。

結婚後夫の教え子と恋におち、夫と子供の捨てて出奔したりが先行していましたが、

だから仏の道に入ったと聞いています。

流行作家が突然仏門に入る、そして困っている人の人生相談に情熱を傾ける。

寿命がきていよいよ死ぬという時は、若くて格好いい男性に手を握られながら・・・

というのに憧れるわ~~」という人がいるにはいるでしょうが、そんなの有りえないし、

また、今母の介護をしていて感じるのだが、母がコーラスをしていた時の指揮者が

いくらかっこいいと言っても母の手を握ってなんて、有りえない。あっ、その方も亡くなっていましたわ。

とにかく先に死ななくては物語は生まれません。

唯一、母の妹は今から7年ほど前に亡くなったのですが、叔母のこと若い時から好きだった牧師で、

叔母が亡くなるとき手を握りながら”祈って”くれていたそうです。

その叔母の葬儀の時も司式を司って、牧師先生の大告白大会になりました。

「よっこ(叔母の名前)ちゃんのお蔭で私は牧師としていまある、好きで好きで仕方がなかった」と。

私たち従弟たちでクスクス笑うのを押さえるのに苦労しました。(葬儀の場で)

「よっこちゃんが好きだった讃美歌、よっこちゃんが好きだった聖句etc.・・・」

こんなローバの死に方にも憧れますが、もう今からでは遅い!!

そういえばその牧師さんたぶん存命している現役の最長老と聞いています。

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ローバ④オシャレな・・・・

Posted on 2015年6月10日 by 大前伶子 in ブログ

酒井順子さんの「おばあさんの魂」を読んで、あぁぁ~~~そうよ、そうよ。

我が身にふりかかった同じローバ、人間だれしも年を取る。

その年の取り方でずいぶん明るくなったり、嫌なバーサンになったり、生き方は千差万別。

最近樹木希林さんのおばぁさんぶりに喝采を送りたいのですが。

彼女は全身癌よ、笑いながら、まだ主役級の映画に出たり、トーク番組もめちゃくちゃ面白い。

着ているものは質の良い決して華美ではないレトロ・モダンです。

樹木希林さんって映画にしろテレビにしろ存在感があり、域が広く長い。

少し変な旦那さんとも離婚せず、一人娘はいけてる俳優と結婚し、孫もいて、

ありていに言えば一人の女として最高の老後を送っているやにみえる。

勿論その中身は他人にはわからない苦労があったでしょう。

もう一人おばぁちゃんスターが白洲正子さん?

センスの良い生き方、今の若い人の憧れになっている町田市鶴川の「武相荘」

鶴川の田舎に住んではいましたが、超モダン白洲次郎と結婚をし、家でも英語で会話をしていたと報道されたことがありました。

あ、そうですか~~日本人同士で英語で会話をするなんて、なんて気障。

だけど、彼らには似合っていたみたいです。その話を聞いたとき背中がむずむずするほど

気持ち悪かったですが、白洲夫妻には似合っているのかなぁ。

白洲次郎って人本職は何度かドラマになりましたが、彼が何者なのか今一つ判りません。

鶴川のお宅には若人が大勢押しかけていて、彼らの生活の痕跡を見るのが流行った時がありました。

ミセス誌などこぞって白洲正子さんの特集を組んでいた時から、この人の本職がわかりませんでしたが、

つまり、田舎で都会的な、でも緑、庭、花に囲まれて洋風な風を送っていた夫妻がスターになったということでしょう。

田舎で暮らして、田舎臭くならないことが大事なのかも。

よく、土曜日白楽で「田舎暮らし」の番組を観るのですが、私が「あぁいやだ、あんな生活」

と言うと妹が「おねぇちゃま、人それぞれだから、そう切って捨てるような事言いなさんな」と

注意されますが、こんな便利なところにすんでいるので、白楽すら不便を感じます。

おばぁさんこそ、シワをアジに変えて樹木希林さんみたいにポーカーフェイスで

乗り切るのが若者が逆立ちしても叶わないものではないでしょうか。

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ローバ③意地悪ばーさんの巻

Posted on 2015年6月9日 by 大前伶子 in ブログ

青島幸雄さんの意地悪ばーさんは実に堂にいっていました。

大前が熟考の上都知事選に出馬した時が究極の意地悪ばぁさんでした。

知事になって机をひっくり返すと公約しただけで当選してしまうほど、この意地悪が功を奏しました。

世の中は「お年寄りを大事にしましょう」という気配をただよわせていますが、

今の時代「うざい」と思われないように密かに生きるのが賢明かなぁ。

今日シャンプーとリンスを買いにドラッグストアに行ったのです。

どれにしようかなぁ、と思案していましたが、余りにも品数が多くて困りました。

お風呂屋さんに行っておばぁさん方はどんなシャンプーをお使いになっているのだろうと

観察してみました。

何と今風じゃありませんか、それもコマーシャルで綺麗な女優さんがサラサラ髪を風になびかせて

いるシャンプーが圧倒的に買われているのです。

宣伝力は凄いです、少なくなったり、禿げてきたりしているおばーさんもサラサラ髪のシャンプーを

お使いになっています。

少しでも老化を防ぎたい心が憎いじゃないですか。

森光子さんの最期の活躍も根性は凄いけど引き際も大事かも。

酒井順子さんの著書によると、

原節子やグレタ・ガルボなどは若い時だけ女優として活躍し、サッと引退したのちは、

世間から身を隠して生活した。変わりゆく自分の姿を世間に晒したくない、と言う気持ちからなのでしょう。

対して、森光子さんは、隠れません、「晒す」姿勢が、老いてなお生き続けているのをみたいし、

励みになっているのです。

「森光子も、年とったわねぇ」という事によって、普通の人はどれほど安心できることか。と書いてある。

普通の女優ではなく観客も参拝気分で「有り難い存在」になる。

森光子は92歳で亡くなられたが、神の領域にいた女優だったのでは?

 

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ローバー(老婆)②

Posted on 2015年6月8日 by 大前伶子 in ブログ

料理系バーサン、HNKの「今日の料理」系を見るのが中学時代からすきだった私。

最近有名な料理人が出汁の素などの広告に出る時代になり、世も末だなぁ。

江上トミ、土井勝、帝国ホテルの村上信夫先生たちが家庭料理を優しく教えてくれる番組でした。

趣味は料理でしたし、また、学校が当時から土曜休みのミッションスクールだったせいで、

土、日の料理当番は当時からでした。

その内栗原はるみさんやアメリカではマーサ・スチュアートなど、お料理をする人は

「素敵なライフスタイルも含めて、等身大の料理の先生」というくくりになりました。

自分の庭でハーブを育てたり、土鍋でご飯を炊いたり、しゃれた料理が出てくるようになりました。

今日も「ペヤング」が再販のニュース。あんなもの食べている今の若者は

おばぁさんが結んだおむすびと丁寧に出汁をとった味噌汁に涙することはないでしょう。

愛だの恋だの言って結婚しても夕飯に「ぺやんぐ」が出てきたらどうしますか?

しかもあの容器のまゝで!

ウマいご飯を作ってくれるのはバーサンの係り、と自負できるようなバーサンになりたい。

 

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ローバ(老婆)は一日にしてならず①

Posted on 2015年6月7日 by 大前伶子 in ブログ

作家の酒井順子さんがお書きになった「おばぁさんの魂」を読みました。

女性のお年よりの外見を誉めるとき、私達は「美」という言葉ではなく、「若い」と言う言葉を使う。

「とてもお年には見えません!何てお若いのでしょう!」というのが最高の褒め言葉であって、

「何てお美しいんでしょう!」とは決して言わない。

おそらくかって美人であったお年寄りは、その言葉に不満を抱いているはず。

「何故私はもう、美人といわれないのか」と。

女性にとって、美人であるということは大きな栄光となります。がその栄光が大きすぎる故に、

「かって美人であった」ということは、「今、美人である」ことに比べるとほとんど無価値。

人々は、かって美人として良い思いをたくさんしたであろう元美人に復讐するかのように、

その不吉さを陰でささやきあう。

そもそも美人というのは顔立ちがはっきりしている場合が多いので、人よりも早く、老けて

そして激しくやってきがちなものです。

かつて美人であっただけに、老化前と老化あとの落差も大きく、すさまじかったりする。

「私は美人」のままなので、外見と内面の非対称性が、見る者に不吉な気持ちをもたらします。て。

外見は老化しているのに、美人パーソナリティだけは保ち続けているというばあさんは、

若者から「イタイー」と言われて、お話は終わりになります。

1000回を迎えた「徹子の部屋」、記念番組として昔美人の女優さんが

ぎょうさん出てはりましたが、じっくりみると、そうですよね、ラブシーンなんて出来ていた頃は

今から50年以上前ですもの。どう計算しても・・・・

「イタイー」と感じたのは私だけではないでしょう。

草笛光子さんと岸恵子さんはとてもきれいな年の取り方をしていらっしゃいますが、

教養も年齢と共に出てくるのは怖いようです。

小野小町は百歳まで生きた?もっとも出生証明もない時代の美人の代名詞。

この辺にも昔「八丁堀の小町」と呼ばれていた女性、ホホホ・・・今では仏の道に入りたいほどでは?

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手巻き寿司

Posted on 2015年6月6日 by 大前伶子 in ブログ

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築地に寄っていつもの白楽へ。

久しぶりに手巻き寿司をしよう!7時半に築地に行ったらもう観光客でいっぱい。

妹が母に何を作っても食べてくれない、とぶーたれていたので、

以前に好きだった中トロと赤貝、大定の卵焼き、生わさび、いつもより食べてくれました。

下の写真は宮崎マンゴです。

何と1個2800円!!800円負けてくれて2,000円でした。

ただ、これも季節ものだし、もしかして次の年はないかもと思うと多少高くても

母が好きそうなものを食べてもらう。

妹の談、いつもより食べたわ、と。

私は土曜日だけ見ているので、いつもがどのくらいなのか。

私たち二人は午後からお風呂屋さんへ。帰るなり母を家のお風呂に入れるのが仕事。

母と話すと何処もボケていない、「あなたも誰に遠慮なく毎週帰って来られる

自由の身、百合ちゃんもお嫁に行かなかったから、私は幸せだわ」と

湯船に入って必ず口にする言葉です。

つまり、私も妹も母の介護が誰の遠慮もなく出来て、自分は幸せだと言いたいのです。

それも毎週お風呂に入っている時レコーディングのように言うのです。

北海道や九州にお嫁に行っていたらこんなことしてもらえない、という事らしい。

毎週いう事が少しボケているのかなぁ、と思いますが、髪の毛を洗うと、

「あぁ、気持ちいい、このまま死んでしまいたい」と。

そう容易く死ねないのが人間なのです。

赤ちゃんの入浴のように妹が風呂の外でタオルを持って待っている。

こうして中途半端な娘二人に介護されながら、カラーでちゃんと髪を巻くのですよ。

何処へ行くあてもないのに、顔のパックもしっかりします。

オシャレだった母ですから、習慣はあの世に行くまで守るのでしょう。

 

 

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美空ひばりの思い出

Posted on 2015年6月5日 by 大前伶子 in ブログ

今日BSフジを観ていたら、美空ひばりの息子加藤和也さんがおかぁさんの想いでと共に昔の歌手が

ひばりさんの曲を歌っておられました。

私はこの世の歌手の中でとびっきり上手な歌手はエルビス・プレスリーと美空ひばりだと他に上手な歌手がいたとしても、

私はこの二人をおいていないのでは?勿論異論反論はあるでしょう。

フランク・シナトラもぴか一でしたが、エルビスにはかなわないでしょう。

その加藤和也は私は彼が小学校一年生で玉川学園小学部に入学した時から存じ上げています。

PTA(玉川では父母会といっておりました)にも美空ひばりさんは出席されていて、

玉川学園の父兄は結構派手な人が多かった中で、美空ひばりさんは極地味にしていらっしゃいました。

それに小田急線に乗っておられるのも拝見しました。

彼女は学校に行くより歌手生活を優先していたので、加藤和也さんに対しては凄くおかぁさんになりきっていて、

学校へ行くときは歌手を投げ捨ててもという感じがしました。

父母会は勿論、運動会にも参加して、しかも最初から最後まで地べたに敷物を敷いて、座って熱心にみていたのを

今日加藤和也を見ていて思いだしました。

家の娘が小学6年の時、彼が1年生で入学してきました。

父母会にお父さんが来たことがありますが、何だかその筋の方のような振る舞いで、

両脇にパンチパーマの人が囲んでいて、何だか学校にいる感じがしませんでした。

たしか、加藤和也さんも高校生の時、生徒にけがをさせたとか(これは定かではありませんが)

退学させられたと聞いています。

今日、母の思い出を語っている加藤和也さんは実に誠実に母を想う息子になっているので、

美空ひばりさんは天国でさぞ喜んでいるでしょう。

しかし・・・・今日森昌子さんや雪村いずみさんが美空ひばりさんの歌を歌っていましたが、

こんなにベテランの歌手ですら、あの美空ひばりさんには遠く及ばないのです。

美空ひばりさんの曲は私たち耳に焼き付いているので、残念ながら歌わない方が賢明だと思いました。

 

 それにしても玉川学園というところは、芸能人及びその子息がたくさんいたので、

運動会などずいぶん楽しんだものです。

しかも運動会は全校(幼稚園、小学校、中学、高校、大学)で開催されていましたので、

その卒業生も話題の方を身近に見ておりました。

そういえば、池上きみこさん、先日旅番組で拝見しましたが、どーーんとした重量感ありの中年の

おばさんになっていて驚きました。彼女を学園で見た時は、すきっとした可愛い女の子でしたが、

月日が怖いようです。

 

 

 

 

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一軒家VSマンション

Posted on 2015年6月4日 by 大前伶子 in ブログ

私がいつも行く実家の近く、かなり古い一軒家がありました。

六角橋に買い物に行くたびに通る道にほどんど人の出入りを見たことない民家でした。

坪数50坪ほどでしょうか。

ある日取り壊しが始まりました。ただ、その後母の入院もあり六角橋に通うことが

なくなり、約2か月ほど過ぎて、母が実家に戻っていつもの生活になり、

土曜日の炊事当番が再開しました。

何と古い民家が取り壊されて(一軒家)その土地に3軒の新しい3階建てが出来ていました。

それもあっという間にまるでお菓子の家のような・・・・つまり窓枠などベルサイユー風。

へぇ~~~たった2か月で壊して作る家って凄い。(これは皮肉も含めて)

勿論地の利は良いかと思います。東横線白楽駅から徒歩5分と売り出すのでしょう。

そのお菓子のような家(3階建て)にもう両側2軒は入居済で、洗濯物がひらめいていました。

真ん中の家が売れ残って、セールスマンが小さな椅子に座って客待ちをしていました。

私がマーケットへ行くときそのセールスマンが「こんにちわ!」と元気に挨拶してくれました。

行は急いでいたので、返事だけして、帰りにまたその子の前を通過しようとしたら、

こんな年寄に「観るだけでいいですから、のぞいてくださいよ」と。

私は「家は要らないから買わないわよ、でも見せてもらおうかな」と。

男の子は大喜びで「上がってください、荷物は預かりますから」

私は靴をはいたまま1階をのぞきました。駐車場の横に玄関があり、その前に2階に上がる階段が

あり、「あ、だめだ、私の年になると階段はだめなのよね」と覗くのもギブアップ。

若い時ならいざ知らず、あの急階段絶対に無理。

勿論買う予定何てさらさらないので、「どうして両側が売れたのに真ん中は売れないのでしょうね」

と聞いたら、「日当たりが悪いのですよ」と正直。しかも4部屋もあるのですって。

1軒だったところに3軒建って、全部1階が駐車場、今の若者は車離れがと言われていますが、

こんな狭いスペースに3軒も建って、夜中に車で帰ってきて、エンジン音なんかでもめないのでしょうか。

私は今のマンションがまったくバリア・フリーが売りの建物なので、

あんな細い急な階段、海外旅行のスーツケースなんてどうやって持ち上げるのだろう。

とても私には不向きな物件でしたが、セールスの男の子の挨拶と気さくさで、

何とか売れて欲しいなぁ。

「また、よろしくお願いします!」と元気な挨拶をされると応援したくなりました。

新しい家の心配より、老人ホームの心配をしている今日この頃ですから。

 

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