生き延びて1年が過ぎました。あの時の咳は物凄く娘が見るに見かねて中央区役所へねじ込んで「私の母は死んじゃいます」と陳情にいったとか。熱はたいして出ていませんでしたが、寝られないほどの咳でした。区からの迎えのタクシーが来て、何処へ連れていかれるか、高速道路を新宿方面に走っているのはわかりましたが、運転手さんも無言でしたし、客席と運転席はビニールで仕切られていました。
結局11日間入院する羽目になった病院は中野の新渡戸稲造記念病院、幽閉状態でしたが、先生も一度も直接診察しに来なかったし、リモートでの診察、看護婦さんがとてもやさしいいい病院でした。お食事がめちゃくちゃ美味しく、今は亡き妹が私が送るメールの写真にれらく感動してたっけ。
美味しそうだからずっと居なさい、なんてメールが来ていましたが、生きて家に帰れるなんて思わないほどヒドイ咳でした。点滴が利いていて、1週間ほどでだいぶ良くなったのですが、何分にも人様にうつるコロナ患者でしたから、大人しくしていました。11日目に帰れましたが、娘は「生きていて良かった!」と迎えに来て泣いていましたが、しぶとく生き残りました。その反面あんなに元気だった妹があっという間に亡くなるアクシデントに見舞われて、神様は公平じゃないのね。コロナも下火になってきているのですが、日本の政府はマスクすらどうしていいか判らない優柔不断な集団ですから、一気にマスク要りませんと言ったらどうなるか怖いのでしょうね。国のかじ取りは無理みたい。