世界文化遺産の登録をされて、一気に有名になった島、軍艦島へ行ってきました。
伊王島の宿泊しているところの桟橋に軍艦島行きの船がきてくれるので、思い切って行ってきました。
ここは通称軍艦島と言いますが「端島」という島で石炭の発掘で多くの人が移り住んで一つの街ができていた。
1891年から1974年まで最盛期には5300人が生活する一大都市になっていたらしい。学校も病院も
あり、何処で働くより高給取りだった炭鉱の町だったようです。
テレビの普及が日本一だったみたい。
ただ、今回この島に足を踏み入れて感じましたが、海底1000Mもの底で働いていた炭鉱夫の人たちは
いくら高給取りであっても肺をやられたり、岩盤が崩れて死を覚悟しながらの生活を強いられて、
胸が痛い思いがしました。その上、台風が度々やってきて日本で一番の高層住宅であっても
それは、それは大変な場所で有ったのはこの島に渡って感じました。
今回私たちが行ったのは波がかなり穏やかだったので島に上陸できましたが、
4回行っても上陸できなかった人がいたみたい、波が荒かったら島に乗り移れません。
今では世界遺産に登録されたので、人気の観光スポットらしい。
私たちが宿泊していたアイランド・長崎に途中船が迎えに来てくれて、総勢50人くらいで
上陸できましたが、凄くラッキーな天候でした。めったにない天候でした。
関東の海の色より、海の色が深く、九州の感じが色濃い景色でした。
私も小学2年まで北九州の若松で過ごしましたが、やはり炭鉱の町で家の前に石炭を若松港に運ぶ
レールが敷かれていました。
父は石炭会社の財務にいたと聞いています。日本も石炭がエネルギーの主な源の時があったのですが、
今じゃ大気を汚すと嫌われていますが、あの時代は石炭で日本は復興したのです。
軍艦島は度重なる台風で風前のともし火になっていますが、昔の人たちの姿を見ることにより、
日本が頑張って先進国に仲間入り出来ているのを先人たちの努力を感謝せずにいられませんでした。