2日ほど前BSでエリアナ・パブロアの生涯を草刈民代さんが足跡をたどっていました。
エリアナ・パブロアと言われても特殊な人しか知らないと思います。
ロシア革命の時母親と妹と亡命して日本に来て、44歳の生涯を終わるまで、
最後は日本国籍を取ったロシアのバレリーナーです。
草刈民代さんがパブロアさんの鎌倉のバレエスタジオを訪ねて、
「瀕死の白鳥」を再現するのです。
私がこの番組を食い入るように観たのは、余りにも懐かしかったからです。
小さい時からバレエが大好きだった私はエリアナ・パブロアさんの直弟子だった服部島田バレエ団の
小倉礼子先生に習っていたからです。
この番組には牧あさみさん、谷ももこさん、など当時バレエ最先端の先生たちがパブロアさんの思い出を語っていました。
サンサースの「瀕死の白鳥」は3分間の踊りですが、憧れの舞台でした。
草刈民代さんはトウシューズははいていませんでしたが、パブロアさんの心をくみ取りながら
再現をしていました。
バレエは1日でも休むともう踊れなくなってしまうと聞いたことがあります。
ロシアから来たパブロアさんは終生日本で(戦争中は中国へ慰問に行ったりしていたらしい)
兵隊さんを元気づけ、歌も歌っていたとのこと。社交ダンスも上手だったそうです。
国籍を取って日本名「霧島えりこ」と名乗っていたらしい。
服部島田バレエ団にいたとき、よくエリアナ・パブロフさんのお話を聞いたものです。
懐かしです。彼女の亡きがらは横浜の外人墓地に眠っているそうです。
「瀕死の白鳥」・・・・踊った時があったような・・・今でも振付は覚えています。