戦後と言っても今の人は何時の戦争?と聞いてきます
日本は第二次世界大戦以降戦争はしていませんが、何となくアメリカの子分になってしまったので、
アメリカが何度も戦争をしたので、そのたびに日本人は日本の領土であると錯覚していますが、
アメリカの基地から戦闘機が出撃していることを、ひた隠し。
その象徴が沖縄じゃないですか。日本政府もそこはなるべくそっとしておくという姑息なことをしていますが、
那覇に行ったときなど、ここは何処?こんなに戦闘機が頭上を飛んでいいの?と、敗戦国を思います。
私は第二次世界大戦が始まった2日前の生まれで、れっきとした戦前です。
今日8月15日終戦記念日の催し物が各地で行われましたが、テレビも特攻隊で命を失った家族の話、
また、生き残って帰ってこられた方のインタビューもみましたが、あの戦争に行った人の生き証人は
もう90歳を超えています。
どの人のインタビューも悲惨な思いをされて、もうダメと口にする上官は居なかったようですが、軍に
仕切られていたので、今の中国みたいにその部分は”言えない”今から思ったら、当然誰もが戦争は負けている”
のはわかっていたと思います。松脂が燃料だったり、食べるものがなくなって、本当にひもじい思いをした
母の話を耳にタコが出来るほど聞いていました。
母と私と弟は祖母のふるさと山口県に疎開していたらしい、田舎の人は都会から来た私たちに
食料を恵んでくれなかった!と母は恨みに思っていたみたい。
死ぬまでそういっていましたから、訂正の言葉を聞かれずにあの世にいってしまいしたが、
私はその母の言葉は終戦記念日に思いださずにいられません。
山口県の人は「けちよ」が口癖でしたから、よほど戦争中いじわるされたみたい。
私はその後”すくすく”かどうかわかりませんが、流れ流れて横浜の地で学齢期を過ごし、
今、横浜球場になっているところが米軍の兵士たちの教会で、そこで聖歌隊の奉仕をしたのですが。。
アメリカが朝鮮戦争に参加したこと、その後ベトナム、湾岸戦争と彼らが関わった戦争中は
大抵ニューヨークに住んでいました。
アメリカは戦争をしている時は景気がいいのですよ、困ったもんです。
終戦記念日を心して祈りのうちに過ごしたいと思います。