最近は子守りのことをベィビー・シッターと横文字で言っているが、つまり子供を守るということ。
終日前に起こった事件、インターネットで探した男にお預けて死なせてしまった。
この事件、考えさせられることが多く含まれています。
少子化が叫ばれて久しいですが、ただ、子供を産めば良いと考えているのか、考えていないのか?
この母親は記事によると22歳、しかも下にもう一人10か月の子供がいるって。
その子も同時に預けられていた。幸いこの子は無事だったようだが、
この母親、母親と呼べるのだろうか。
シングル・マザー(これも気に入らないフレーズ)10か月の子供がいるというのは最近まで
男性がいたのでしょう?(普通に考えて)
何があったか(他人の家を詮索するつもりはありませんが)2日間も預けなくてはいけない用事って、
親の葬儀でもない限りそんなこと子供がいたら家を空ける用事って親なら優先順位が違います。
死なせてしまった男は勿論犯罪ですが、安易にネットでわけも分からない人に預ける方がよほど罪が重いと思います。
やむにやまれない事って子供の命と引き換えにすることでしょうか?
NYで子育てしていた時、考えさせられることが何度かありました。
一つはまだNYに赴任して間もない頃、家の娘は2歳でした。
丁度その時私が会社にいた時の社長「桧山広」がNYへ視察にいらっしゃいました。
私は大変お世話になった方だったので、駐在員の家族も含めて社長主催のパーティーがありました。
私は当然行くつもりでしたが、主人は「まだ、娘が英語もわからない時にベィビーシッターなんかに預けて行くなんて、
とんでもない、どっちが大事か良く考えろ」と言われた。
私は泣く泣くあきらめたのですが、それから娘が自分で言いたい事が言えるようになるまで人に預けるのを禁止されました。
娘がナーサリー・スクールに行っていた頃同じアパートにドイツ系の女の子が娘を可愛がってくれていました。
彼らは小さい子と遊んであげるのは自分のビジネスになる、おこずかい稼ぎにベィビー・シッターのアピールをしていました。
ある日その子に頼んで数時間預けて出かけました。
何と素晴らしいお譲さんだったか、私はお約束したお金を払って、次の時もお願いします。
ある日その子のおかぁさんに会いました。彼女曰く「決められたお金以外ぜったにあげないでくださいね」と。
そのドイツ系のおかぁさんが言ったことは今でも忘れません。
「娘のベィビー・シッター料金は、もし、前に頼まれた人より後から多くくれる人から頼まれると少ない人のを
断ったりする子にしたくない」ってきっぱりと注意されました。
如何にもドイツ人独特の固いというイメージがありましたが、それが当たり前のことです。
いまでも彼女の子供を育てる姿勢を思い出すと、子守りをしてくれた女の子も実にしつけの厳しい家に育ったというのが
看て取れました。
アメリカのベィビー・シッターも良く問題になります。
彼女(彼)たちにゆるされているのが、電話を使っていいこと、冷蔵庫を開けて良いことが条件でした。
しかし、質の悪いシッターは長距離電話を使い放題、ボーイフレンドを呼んでどんちゃん騒ぎというのも
聞いたこともあります。
おむつを水洗トイレに流して詰まらせてとんでもないことになった例もあります。
何処の国でも同じような悩みのなかで、子育てしなくてはいけないのです。
22歳の子、2人置いて2日間あけなくてはいけない用事、代償は大きものでした。
大臣まで出てきてべぃべー・シッターの”制度”云々取ってつけたように語っていましたが、
今の若者の人間形態の方を重要視した方が良いのでは?と考えます。