スーさんがこの日フライトが満員で乗れないので一日空いたの、と電話があり、お花見でもいきましょうか。
桜が嫌いと言い続けていますが、この儚さはやはり寂しくなりますね。
靖国神社に行くと拝殿に向かって左側に第二次世界大戦の時、強制的に戦争に行った若者の遺書があります。
私は時々この遺書を頂いてきて、じっくり読みます。
戦争はしてはならぬことですが、あの第二次世界大戦の時はそんなこと言ったらお縄になってしまう、
でも、私の父も戦争に行っていました。
終戦とともに(敗戦か)父は南方から帰ってきましたが、昨日読んだ遺書の陸軍伍長は20歳で台湾台北方面で
戦死したのです。
拝啓
父上様、母上様、長い事お世話様になりました。
19歳の今日まで何一つ孝行できず、本当に申し訳ございません。
自分もいよいよ、待ちに待った南方の第一線へ行くことが出来るようになりました。
もとより、生還を期せず、一死君国に報ゆる覚悟です。
今度こそはきっと立派な孝行を致します。
大君のためにきっとやります。
では父上さま、母上さまには、自分のことにはご懸念無く。お元気にて、
では最後に、ご統一様のご健康を祈ります。
遺歌(自作)
身はたとひ砕け散るとも君が代を
思う心の一すじに
今日の日待ちて惜しみし我が命
愛機と共に今ぞ咲くらん
昭和19年12月3日
いつも頂いてくるこの遺書に今のこの年齢の人たちには絶対に書けない言葉です。
それだけ一億総戦争に突入していく姿が読み取れます。
それにしても北朝鮮はこの時代を思い出す報道が多いのですが、
どうなっていくのでしょうかねぇ。一抹の不安があります。桜の下でそんなこと考えていました。