Love is Blue 1968年NYに赴任したとき盛んにラジオで流されていた曲です。
口づさむことはできるのですが、題名が聞き取れない。
ニューロシェルというところに住んでいたのですが、駅の近くのMacy'sというデパートのレコード売り場で
店員さんに「私がハミングするからこの曲教えてね、お願いします」と言ったら、自分ひとりだと間違えるといけないのでと
店員を数名呼んできてくれた。
その前でハミングする羽目になった思い出の曲です。首尾よく買うことができその後長く聴いていました。
これも当時映画が大ヒットしましたが、哀愁を帯びた曲が映画全体に流れていて、
「愛とは決して後悔しないこと」という文面が心にのこります。
このころ研一とジニーが付き合っていたので、実話と重なりました。
「ある愛の詩」ライアン・オニールとアリー・マッグロー主演、ボストンのハーバード大学で弁護士の勉強している
大金持ちの息子オリバーがパン屋の娘ジェニーと図書館で出会い、その後彼が卒業してNYの弁護士事務所に勤めた
矢先に彼女の白血病が・・・という悲劇なのです。
ずっとフランシス・レイのこの曲が流れているのです。
セントラル・パークに行くとこの曲が否が応でも頭から離れないほど、強烈な映画でした。
観終わって泣けた、泣けた~~~…こらえきれずに泣けたっけ~。
林伊佐緒さんのジャケット、私のコレクションでは異色なのですが、
日本の歌謡曲界では大御所でした。
とてもよくしてくださったおじさまでした。
私が「何が苦手ってカラオケなのですよ」と申し上げたら、先生から「稽古をつけてあげるから
いらっしゃい」と弟子入りを許されたのです。
先生のヒット曲「ダンスパーティーの夜だった」の譜面を頂いたので家でピアノを弾きながら練習をしていきました。
終わってから「あのねぇ、歌謡曲は音を半音から1音はずさないとつまらないのよ、譜面通りに歌うのは歌謡曲じゃないの、
森進一なんて全部外すからいい味がでるのですよ」と。
あなたの声と曲は「青い山脈」を歌いなさい。
と第一回でレッスンが終わってしまったのですが、その後もよく店にいらしてくださいました。
その後先生のレコードを頂いたので、この「ダンスパーティーの夜だった」は先生を思い出す曲なのです。
こうしてレコードのコレクション、白楽の3階納戸にしまってあったのですが、
昨日処分してきました。本来ならネットオークションにでも出せばいいのでしょうが、
もう、私はそんな時間と手間がかけられないのです。
マニアにとってはお宝でしょうが、もう一度聴きたいのが何枚も出てきましたが、
まずプレイャーがない、取っておく場所もない、残念ながら処分してしまいました。
せめて、ジャケットの写真を撮って供養したのです。