このニュースが流れるたびに思い出します。私が母を車に乗せて蓼科に向かっている時あの事故は起こりました。中央高速を走っている時物凄い羽音でヘリコプターが何機も飛んでいました。車のラジオを付けたらこの近辺にJAL機が遭難したと、その時未だ御巣鷹山と特定されていのでヘリが探していたのです。娘は高校2年生だったと思います。彼女は夏休みサンフランシスコのサマースクールに行っており、留守でした。その後彼女からそのニュースの週刊誌送って欲しいと言われ、凄く迷ったのですが、当時写真週刊誌が有ったので送ったのを覚えております。
あれから38年!もうそんなに経ったのですね。あの事故の後JAL体質が問題になり、その後小説にもなり、映画にもなってJALが会社更生法にまでなってしまった。
あの事故では電通の人が数人亡くなったと聞いていますが、金曜日の夕方最終便だったので、キャンセルした人は命拾い、そのキャンセルチケットが手に入った人が亡くなるという人生の大番狂わせになったと聞きました。本当に人の命は一寸先は闇ですから。