もう何年か前本に掲載されていた記事で、歯磨きは柿の渋がいいと書いてありました。柿渋歯磨き粉を探していましたが、見つけたのは京葉線新習志野の大型スーパーでした。その時数個買ってきていましたが、さすが消耗品、近所の薬屋さんで気をつけて探していましたが、見つからず、用事が済んだら遠いいですが、歯磨き粉を買いに行きたい。今日やっと買ってきました。私はこの年齢まで入れ歯はなく褒められるところはいつも「歯がきれいですね」と。顔やスタイルは間違っても言われませんが、歯だけは気を付けています。柿渋の歯磨き粉っていつ知ったのか?記憶にないのですが、以前から使っています。本当に気持ちよく歯磨きできます。
同窓会報
私は横浜の捜真女学校(この言い方古い)を出ました。ミッションスクールで家から歩いて行ける距離というのが、母の考えだったみたい。私たち女姉妹と従妹たち女性は全員ミッションスクールに行きました。これは母の母(おばぁちゃま)が当時珍しかったクリスチャンで、女の子は全員キリスト教の学校に行くように仕向けていた、らしい。横浜、東京、長崎、を含めてミッションスクールが選ばれていました。その中で私は捜真女学校というところで中学、高校を過ごしました。
今日「同窓会報」が届き、改めて我が母校の発見というか・・・私が中学の時宣教師でコーリング先生に英語を習いました。ミシガン州出身の先生だったみたい、私はこの先生に制服の改造を叱られたのを強烈に覚えています。凄く日本語が上手な先生でしたが、校則迄注意されたのは忘れられません。
私たちが女学生の頃はもうご自分のお仕事が忙しくなって学校はやめていらっしゃいましたが、日本画家小倉遊亀先生もこの学校で教えていらしたみたい。その当時先生の絵が同窓会間に掛かっていました。日本を代表する女流画家が女学生に教えていらしたのです。
私は一番印象に残っているのは舞踊家大野一雄先生です。個人で土曜日に習いに行っていた師と仰ぐ唯一無二の先生で、卒業してもレッスンに伺っていました。大野先生がNYのやはりモダンバレエの一人者マーサ・グラハムさんが亡くなられた時、私がちょうどNYに住んでいて、先生に我が家に泊まっていただき、追悼の踊りを披露された時お世話させていただきました。その時まだご健在だったジャックリーヌ・ケネディさんが前に座っておられて、余りの美しさに感動したのを覚えております。
もう一人、芸大の声楽科の教授をされていた鈴木寛一先生も印象に残っている。先生が芸大を卒業されて捜真に赴任された時、私たちは高3で生意気盛り、テノールの歌声素敵と追っかけしたものです。
神奈川大学の上にある小さな学校でしたが、今思うといい先生が綺羅星のようにいらしたのだなぁ。卒業して60年以上経っていますが、いい学校だったと振り返っております。
トップ・ガン マーヴッェリック
私の趣味ではないのですが、今我が家に滞在しているスーさんがトム・クルーズのファンらしくどうしても観たい。まぁ~疲れる映画でしたが、案外面白かった。ただ、この映画はフライトでは上映しないでしょうね。観ているだけで酔いそう、フライト中に観たら途中で「怖い!」と悲鳴を上げそう。アメリカの陸軍、海軍も含めて訓練は相当なものだと思いました。映画だからというより、今世の中不穏な情勢ですから、何処から球が飛んできてもおかしくない。ロシアだけじゃない、中国もいつ攻め入ってくるか判らない状況で昨日の映画は身につまされるストーリーでした。ただ、私には向かない映画でした。トム・クルーズもすっかり歳をとりましたが、カッコいいのは確かです。ニヒルというのか、ちょっとした時、往年の二枚目が垣間見えました。戸田奈津子さんは字幕スーパーのお仕事リタイアされたと聞いていましたが、トム・クルーズのは彼女が引き受けたみたい。久しぶりに彼女の名前が字幕スーパーに出ていて凄く嬉しかったわ。
東京会館本館
スーさんがルーム・メイトのコロナ感染によりアパートへ帰れなくなって4日目、月曜日のフライトが取れたので、いよいよ荷物を取りに行かなくては・・・ルームメイトに自室から出ないで!その間にスーツケースと荷物を取りまとめて我が家に移動。コロナ患者も可哀そうだけど、彼女も大変。今朝はホテル関係の知人が帝国ホテルのサウナに招待してくれて、二人でサウナ三昧。帝国ホテルのサウナもコロナ対策で2人づつしか入室出来ないですが、朝からゆっくりお風呂に入って、夜はトム・クルーズのトップ・ガンを観にこうと思っています。この映画めちゃめちゃに評判がいいので、私はこういうチャンバラ系は普段観ないのですが、”牛にひかれて善光寺参り”ですかねぇ。
御徒町
NYのスーさんにとって思いがけず困ったことになったと電話があり、ルームメイトの女性がコロナ陽性患者と認定されてしまって、家に帰れないのよと電話あり。とりあえず我が家に一つベットがあるからいらっしゃい、という事になりました。数日うちにNYへ帰ることになっているので今陽性になったら大変なことになる。検査キットや体温計など用意して何度も調べていますが、今のところ彼女はセーフ。私も2月に掛かった時はそれは、それは驚きましたが、こうして元気になりましたが、海外へ出る時は余程チェックをしないと空港で留め置かれますからね。
二人で御徒町へ買い物に行きました。彼女は買いたいものだらけ。こうして歩いているだけでも楽しいと良く歩きまました。帰りに日本橋高島屋に寄り、ご飯を食べて歩いて帰ろうと外へ出たら大雨。地下鉄で帰りましたが、東西線1駅、日比谷線一駅で電車で帰る方がよほど時間がかかりますが、徒歩10分なので、地下鉄は大回りなのね。
ブログが変わりました
私のブログの先生と先日来話してきて実現したいなぁと思っていた企画が、実現しました。画面の右側に「大前通信」のご案内が新しく掲載されることになりました。今までどんなに忙しくても、大前が出版する本は読むの大変と思っても、「大前通信」にはそのニュースの凝縮が綺羅星のようにわかりやすく編集されていて、初版以来ずっと「大前通信」はくまなく読んでいました。ハード・ブックは持ち歩くのにも重いし、ちょっと電車で読むというのも「よいしょ」になるので、この「大前通信」を以来欠かさず読んでいました。発売以来存じ上げている「小林さん」が編集されていて、20年以上のお付き合いだし、気ごころがわかっているし、先日久しぶりにお会いして変わらず情熱を持って編集しておられる姿に感動。
私のブログを毎日読んで下さっているみなさま、私とは少しトーンが違いますが、既存のニュースでは発信していない世の中、勿論BONDの卒業生やBBTの視聴者の方は重複するかもしれませんが、「大前通信」ほど世の中の事を凝縮して伝えている雑誌や新聞はないと思いますので、ぜひ一度お手に取って読んで頂きたいと思います。
血液型って・・・
我が家の血液型って学者さんが理論づけたのと寸分の違いがなくって笑っちゃいます。
父・・・B型
母・・・AB型
伶子・・A型
研一・・B型
妹・・・A型
なんんです。昔母に「おかぁちゃま!あなた血液型何型?」と聞いたら大前だからOじゃない?なんてとんちな返事、「血液型って知らないのよ」と言ったらから私が「おかぁちゃま!第二次世界大戦のころ何処かに張り付けていたんじゃない?」と聞いたところ、わからないていうから私が「おかぁちゃまの性格はAB型の様な気がするわ」と言いました。ある日母が病院に行くと言ったので、ついでに血液型も調べてもらった方がいいわよと言って病院から帰ってきてメモにAB型と先生に書いてあり大笑いしたことが思い出されます。案外血液型ってお付き合いするには重要な要素かもしれないという気がします。母はAにもなり、平気でBの性格を出す人でした。
中国の友達と長電話
今日は朝から昨日放送のBBTの番組を観て、暑いから何もする気にならず、昨日丁寧掃除をしたのでガラス磨きだけ、やればいくらでもある用事を暑いが理由で珍しくテレテレとしていました。そこへ日本に住んでいる中国の友達から電話、何と2時間ほど話したかしら。
BBTの番組で中国の状態がどうなっているか、朝ビデオで観たばかりでしたが、あの国の政治に関しては直接話せません。年に数回行っていた上海が懐かしい。壁に耳ありの国だし、ひと昔前は香港より開放的でいい街でしたが、今はどうなっているのでしょうか。領主が変わるとここまで変わってしまうって怖いわ。
日本だって、参議院議員選挙中に安倍元首相が凶弾に倒れ、それが宗教の力だったと報道されてからここまで汚染されていたって、「清き一票」はどうなってしまったのでしょう。ちっとも清きじゃないことがわかってもう選挙なんか行かないという人が出て来る。不肖私は選挙権を放棄したことがないのですが、もう、どうでもいいわと思ってしまいました。こんなに新興宗教に汚染されていた選挙と候補者は何をきれいごと言っても説得力がないわ。
暑いのにうっとうしい報道ばかり、その上コロナ患者がうなぎ上りの状態だと不穏なニュースばかり。スカーートするニュースはないかしら。その上この暑さ、秋になったらNYへ行こうと画策していますが、地図を広げて計画しているといくらか希望が出てきます。今度のNYはナイアガラからトロントまで行く計画で、秋のNYから北の方は得も言えぬ紅葉が綺麗なので希望は秋に賭けています。いくら暑い、暑いと言っても涼しくならないから、ニューイングランドの紅葉を想像して楽しみましょう。
今日も五木寛之さんの本から
ある日本人ジャズマンがジーン・クルーパーという大変有名なジャズ・ドラマーに楽屋に行き、アドバイスを求めたら、彼はたった一言「Keep on」といったのだそうだ。続けなさい・・・
この話を読んで、私も心に刺さるものがあります。もう10年以上ブログを書き続けていますが、コメントが書き込める様式だった時、本当にめげるコメントが多々ありました。一時期めげて、落ち込んでもういいや、とやけっぱちになり、ブログを辞めたことが有りました。ただ、いきなり私が書くのを辞めたら、何で??とあらっ?という問い合わせがきて、もう誰が何といってもいいやぁ、私が生きている証拠としてエネルギーがあるうちは書いたろ!と思い悩んだ末の”今”です。キープ・オンという言葉は私にはとてもいい励ましの言葉です。そこに意味があろうがなかろうが、世間に認められようがみとめられまいが、キープ・オンです。五木寛之さん有難うございます。
交通会館の東京会館
以前は回転していた交通会館の最上階が東京会館だって今日知りました。あそこはお上りさんが行くところだと思っていました。不詳私は毎日のように観ている風景で、あの回転レストランって今一つ行く気がしなかったことと、入っているレストランがまさか東京会館とは今回初めて知りました。何時も自転車を交通会館の下に止めています。ここは6時間100円で安心して自転車を置ける場所なのです。
東京会館はメインがフランス料理ですが、カレーもあります。今回は妹が姪に当たる我が家の娘の誕生日のお祝いランチをご馳走してくれたのです。娘は私より叔母に当たる妹の方が仲がいい。娘にところで何歳になったの?と聞いてしまいましたが、娘の年も自分の年もどうでもいいわ。聞いたからって減るものでもないし、この頃彼女が2~3歳のころをしきりに思い出します。今は憎らしい事平気で言いますが、あの当時はいい子だったの。日本語と英語が混じり始めたころです。
東京会館の名物料理、舌平目のムニエルです。