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第62回日本現代工芸美術展
石川県の陶芸家大樋年雄先生から招待状が届いていたので、今日上野の「東京都美術館」に行って参りました。素晴らしい展示の数々、絵、陶芸、彫刻、などそれはそれは凄い作品ばかり、欲しい絵も数々有りました、が我が家には大きすぎるし勿論買えないとは思いますが、ため息をついてしまう作品でした。世の中にはこうしてこつこつと作品を作っている方がこんなに大勢いるという現実に驚きました。勿論プロばかりだと思いますが、あのコロナ騒ぎの中、芸術家は大変だなぁと感じていましたが、作品作りに励んでいたのが見ていてわかります。感動しました。写真も撮らせて頂けたので数枚記念に。
今回が最後という言葉を
今週火曜日からNYへ行くことにしています。13時間のフライト来年は耐えられるかと行くたびに思う。
それでも行くと決めてから「こむらかえり」のような症状があったのを克服し、カルシュームと芍薬甘草湯を飲みながら、階段はなるべく避けて今日もデパートを1時間くらい歩きました。
自分でダメだと思ったら負けですからね。暮れにはウイーンのニューイヤーコンサートの予定も要れたし、今年いっぱいは元気でいなくちゃ。死ぬまでに一度でいいからあのニューイヤーコンサートに行きたいと願っていましたが叶いそう。だから元気でいなくちゃあ。ウイーンはさぞ寒かろうと不安ですが、毎年ニューイヤーコンサートのDVDを買って「一度でいいから本物を聴きたい」が私の最後のお願いだった。昨年は可なり従来通りになりましたが2年前のはDVDを買って聴きましたが、余りにも指揮者の思い込みのためか、いつものコンサートとは違ってがっかりした。
指揮者はいつものは嫌だと思い込むのだなぁ。自分流にと思うほど観客は変化を望んでいないのよ。
ここ3年DVDを買って聴き比べていますが、3年前が一番良かったと私はおもうのですが、観客も何も変化を望んでいない、いつもの年越しをし、新年を迎えたいのだと3年間のニューイヤーコンサートを聴き比べてそう思いました。新聞評にもそれらしき批評が書いてありましたが。
花もこのくらい色が有った方が好き
亡くなった妹が良く私に向かって「おねえちゃまはキツイ性格だから、奥ゆかしいとか内に込めたなんていう言葉が全然ないのよね」と私を表していましたが、ソメイヨシノなんてどちらかというとピンクよりグレーに近く、はっきりしない色で私は好きになれない。
もう、今日辺りほどんどグレーだし、新芽の葉が出始めて・・・あっという間にマスコミに踊らされた桜も終わり。標本木の前で今日か、明日か、とメディアが取り上げていましたが日本は平和。
ところで、岸田首相夫妻がワシントン入りしていて、バイデン夫妻と岸田夫妻4人が写真撮影に臨んでいましたが、えぇ~~というほど岸田首相夫人のドレスコードが酷かった。大抵正式訪問だと無地とジャケットでしょう。小花のように見える花柄の赤いワンピース、異論は有るでしょうが、正式な服装ではなかったわ。側にいる人のセンスが今一かな。小花でもいいけど白いジャケットか何か、田舎のおばさん風で今一と私は思いました。
桜が満開
4日休みだった湊湯が今日から再開、夕方お風呂帰りに通った道は桜だらけ、わざわざ上野まで行かなくても充分。お風呂に入り桜をみて・・・果たして来年この桜を見られるだろうか?母が亡くなるころ桜を見ても何をしてても来年このような事が出来るだろうか?と自分に問うていたなぁ。
桜って私は余り好きじゃない、というのもはかな過ぎる。もう風に吹かれて花弁は道にいっぱい白い円を描いている。この儚さが日本人が好きなんだな。
久しぶりに「サンモトヤマ」のセールに
妹が大好きだった”サンモトヤマ”のセールに行ってきました。コロナ依來大型の会場ではなく帝国ホテルで開催されていたのですが、今日は国際フォラムで大々的に開催されていました。
もう、何も要らないといつも妹と言いながらも数枚買ってしまうのですが品物を見て百合ちゃんと、いいじゃない?とか「おねえちゃまには似合わないわよ」とか言いながらも楽しかったなぁ。今日も何回か彼女の姿が現れて、泣きそうになってしまった。
彼女の部屋片づけていた時、ここのタグが付いたものがたくさん出てきて、彼女は一度も手を通していなかったのを悲しみました。物を買って寂しさを紛らわせていたのかと想像して切ない気持ちになりました・
だから、残った私は好きな事して人に後悔なんて絶対させないから。好きな人生を送るんだ!!
4月後半にNYへ行くことにしています。昨年妹の名前の入ったベンチをセントラルパークに寄付してきましたが、私が死んでも娘は未だ現役で仕事をしているからここまで頼むのもなぁ、と気をもんでいましたが、今月NY行を決心しているので生前に場所選とプレートには生前から場所を決めたと入れてもらおう。NYは好きな人と嫌いな人しっかり別れます。
私は最初住んだのが1968年でしたから、58年前です。未だドルが360円の頃です。会社から支給された当座の生活費が200ドルでした。今じゃ1回の晩御飯の一人分です。大抵のレストランでもチップは25セント2つあれば充分でしたが、本当に貨幣価値が変わりました。
100万ドルムービーというテレビ映画のタイトルが有りましたが100万ドルがお金持ちの目安でした。今じゃミリオンという単位になりました。日本だって初任給1万円なんて頃の事ですから。
セントラルパークのベンチ寄付金は一万ドルです。この一年私は日本に居るから参加できませんが、セントラル・パーク事務所から音楽会や青空パーフォマンスなどイベント招待がお知らせが来ます。
自己満足の世界ですが、あの公園を保つ一環に成れば嬉しい。4月後半にNYに行く予定で生前ですが寄付のベンチを決めて来よう。妹の隣はもう誰か決まってしまったとのデイビットの情報ですが、それなら探す楽しみが出来ました。ジョン・レノンのストロベリーフィールズの周りはもう隙間なくファンのプレートが並んでいます。
La・Boheme
オペラ「ラ・ボエーム」は友人のオペラ歌手本岩孝之さんが出演されているので観に行きました。
近場の有楽町朝日ホールですから雨が降っていても地下で通じているので、何となくすぐに「行きます」とメールしました。
オペラ「ラ・ボエーム」はセザンヌやルノアールも無名の頃音楽家はリストやショパンがパリで演奏し絶大な人気を誇っていた頃のオペラ。芸術家がしのぎを削っていた貧乏画家や小説家の卵たちの日々をオペラにしたものです。貧乏でも夢を求めて人間の生きざまを描いたものです。
今回は日本語でという事でしたが素晴らしかった。日本語だと奇妙になるかと思っていたのですが違和感なく楽しんできました。演奏が9時に終わっても有楽町からタクシーで帰ったら9時10分でした。
沖縄地方の地震
先ほど娘からメールが入り、フライトで台湾に着いたてバスタブにお湯を入れて入ろうとしていたら地震に見舞われて、お湯が大揺れでびっくりした、とのこと。彼女は初めて地震を体験したのが小学2年生の時始めてでした。2歳から7歳までニューヨークで過ごしていたので、あの地は岩盤でできている島なので地震がないとか。
日本に帰ってきて始めて体験し、「まま!プレイランドにいるみたい!」と喜んでいましたが地震体験は物心ついて「これが地震だ」と認識してから異様に怖がります。震度2や3だと私はソファに座って特に何も変化しませんが、彼女は大人になってからは「ネズミ捕り」に仕留められたネズミのように部屋の窓ガラスを開ける、玄関のドアを開ける、部屋をの中を駆けずり回ります。
「大丈夫よ」というと鈍い女とあきれられますが、地震になると異常反応するのです。小さい時体験していないせいか、アメリカ人がはじめて日本のホテルで地震を体験すると、隣の部屋に「少し静かにしてくれ」とドアーをノックしたという話もあります。
ニューヨークは岩盤のせいで地震はないと言われていますが、西海岸、特にサンフランシスコの地震は大災害が有ったのを覚えています。
実は東京も揺れたらしいのですが、私は全く気が付かなかった。
今日珍しい診療をうけました
NYのスーさんの知人の紹介で気功で「こむらかえり」を治す治療を体験してきました。
私の足を触って宇宙と交信するらしい。治ったような、未だ多少痛みが有りますが、マジックに掛かったようです。人間ここまで生きて来ると何かありますよね。あって当たり前ですが、天と交信するというのが今一つ。
中央線で武蔵境まで行きましたが??が付くにはつきましたが、焦らずに治そうと思っております。